日本経済研究センター JCER

齋藤潤の経済バーズアイ

2014年12月22日 企業の貯蓄超過は賃上げの原資か

日本経済研究センター研究顧問 齋藤潤
【注目される賃上げの行方】

 消費税率引き上げ以降、景気の低迷が見られています。その大きな背景には、賃金引き上げが消費税率引き上げの影響を含む消費者物価上昇率を相殺することができなかったこと(つまり実質賃金が引き下げられたこと)があったと考えられます。このため、これから来年にかけては、来年の賃上げがどの程度のものになるのかが注目されます。政府も、12月の総選挙直後に早速、政労使会議を開催し、財界に賃上げに関する最大限の努力を要請しました。

 賃上げ要求の強力な根拠の一つとなり得るのが、現状において、企業部門が貯蓄超過であること(つまり貯蓄が投資を超過し、金融資産が蓄積されていく資金余剰の状態にあること)です。金融資産を蓄積するくらいであれば、賃上げに回すべきだというわけです。

 そこで、以下では、企業部門がなぜ貯蓄超過になっているのか、その理由を探ってみたいと思います(なお、以下は、現時点での国民経済計算に基づいているため、平成24年度までのデータとなっています。平成25年度のデータについては、今月末から来月末にかけて発表される平成25年度確報で確認していただければと思います)。

【企業部門が貯蓄超過に転じた理由】

 企業部門が投資超過から貯蓄超過に転じたのは、1990年代末です。図表1を見ると、その要因としては、この時期にみられた純貯蓄の増加と純固定資本形成の減少が挙げられることが分かります(「純」とは、固定資本減耗を控除したものであることを意味しています)。
※図表をクリックしていただくと、拡大してご覧いただけます。


 まず、純貯蓄の増加から見てみましょう。なぜ純貯蓄が増加したかということについては、二つの要因が考えられます。

 第1は、雇用者報酬の減少です。1980年代までは、比較的高い経済成長を背景に、雇用者報酬は着実な増加を示していました。しかし、その雇用者報酬も、バブル崩壊後の1990年代初頭以降は横ばいとなります。さらに、図表2でもわかるように、金融システム不安が表面化した1997年以降になると、企業部門が本格的なリストラに乗り出したことを背景に、緩やかな減少を見せるようになります。そして、そうした減少傾向は、2000年代に入っても続きました。背景には、比較的賃金水準の低い非正規雇用へのシフトや、リーマン・ショックのような外的ショックがあったように考えられます。このように、企業の貯蓄超過の一因は、確かに雇用者報酬が減少したことにあります。しかし、純貯蓄が増加した理由は他にもあります。


 第2は、財産所得の支払いの減少です。特に利子の支払いが減少したことが大きく影響しています。図表3を見ると、この減少の時期は、日銀が金融緩和を進め、ゼロ金利政策(1999年〜2000年)や量的緩和政策(2001年〜2006年)を導入した結果、金利が低下していった時期に一致しています。また、図表4で分かるように、企業部門が過剰債務を解消するために、銀行借入を削減させた時期にも対応しています。しかし、支払い能力がなくなったから銀行借入を削減したかというと、必ずしもそうではないようです。これとは対称的に、発行株式に対する配当の支払いは増加しているからです。



 次に、純固定資本形成の減少ですが、これについては三つの要因が考えられます。
 第1に、中長期的な期待成長率が低下していることです。バブルが崩壊し、人口減少が顕在化してくると(生産年齢人口は1990年代末から減少に転じました)、将来の需要の伸びが期待しにくくなったため、企業が資本ストックを維持したり、増加させたりするインセンティブが低下してきたと考えられます。

 第2に、資本財の価格が低下していることです。ここでみているのは名目の純固定資本形成です。したがって、資本財の価格が低下していると、それだけ金額が抑制されることになります。実際、民間企業設備投資デフレーターは継続的に下落を示してきました。

 第3に、無形資産が一部しか統計には含まれていないことです。この時期、無形資産の重要性は高まったと考えられます。しかし、そうした資産への投資は、現在の統計では無形資産の一部(ソフトウエアの一部等)を除き、固定資本形成には含まれていません。こうしたことによって、純固定資本形成が伸びていないように見えている可能性もあります。

【企業部門における貯蓄超過の金融的側面】

 ところで、企業部門が貯蓄超過に陥っていることに関連して、その結果、企業部門は現金預金を積み上げているのではないかという見方がしばしば示されます。企業部門の金融資産・負債の状況を図表5で見てみると、確かに1990年代末以降、現金・預金が増加しています。しかし、それ以上に企業部門の貯蓄超過に大きな寄与を示したのは、図表6で見られるように、資産側では「その他資産」が増加していることであり、負債側では「借入」が減少していることです。



 このうち、その他資産の中には直接投資と間接投資(証券投資)を通じて蓄積された資産が含まれています。また、銀行からの借入の減少は、企業が過剰債務を解消しようと努め、また銀行が不良債権問題に直面して「貸し渋り」「貸しはがし」をしていたと言われている1990年代末から2000年代初めにかけて見られています。

【企業の資金調達行動の変化】

 こうした事実を踏まえると、この間の企業部門の資金調達行動の変化の背景には、先行きの不確実性が高まる中、リスクを回避するために、一方で現金預金を蓄積し、いざという時のバッファーを確保しながら、他方で間接金融(銀行借入)から直接金融(証券発行)にシフトして、経営困難に陥った際の柔軟性を確保するように動いていることがあるように思えます。

 もちろん現金預金の保有には機会費用が伴います。しかし、このコストは、金融緩和の下での金利低下で、かなり軽減されている可能性があります。また、銀行借入ではなく、株式発行で資金調達することは、利子の支払いが費用に計上できることを考えると、課税所得の増加につながり、法人税支払いを増加させる要因となります。しかし、このコストも、1980年代以降の法人税率の低下傾向の中で、軽減されていると考えられるのです。

 実は、こうした傾向は、日本だけでみられるわけではありません。企業部門が貯蓄超過に転じているという傾向は、今日、先進国に共通にみられる現象なのです。そして、その背景には、以上に述べたようなことが共通してあるように思われます。

【賃上げの原資としての評価】

 このように考えてくると、確かに、企業部門の貯蓄超過傾向には、雇用者報酬が抑制されたことが反映しているといえます。その分は、今後の賃金上昇の原資になると言うこともできるかもしれません。しかし、企業部門の貯蓄超過のすべてが賃金に充てられるべきかというと、そういうことにはならないように思います。一つには、貯蓄超過が、最近の金利低下に由来する面を有している限り、いずれ金融情勢が正常化してくれば、この部分は消滅すると考えられるからです。

 また、企業部門の一部は、純固定資本形成の減少によってもたらされていますが、これに対応する部分も、今後、日本経済の活性化が功を奏して期待成長率が上昇してくるとすれば、消えていく可能性があります。

 他方で、企業部門の貯蓄超過が、不確実性高まりの下での企業のリスク回避度の強まりを反映しているとすれば、それは一朝一夕に変わり得るものではないように思います。むしろ、日本がバブル崩壊を、また欧米が金融経済危機を経験した後だけに、これは当面続くと考えなければならないと思います。

 このように企業部門の貯蓄超過の背景には構造的なものも存在しているという共通理解を踏まえて、賃上げのあり方についても議論していく必要があるように思います。

(2014年12月22日)


(日本経済研究センター研究顧問)