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竹中平蔵のポリシー・スクール

2010年6月1日 ケインズと経済政策

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 音楽の“クラシック” は、それがつくられた時点では決してクラシックではなかった。同様に、経済古典として学習や研究の対象となっている名著も、執筆された当時は経済古典ではなかった。むしろ当時の切実な経済問題に対する具体的な処方箋について執筆された―。こうした問題意識で前回はアダム・スミスを議論したが、今回はケインズを考えたい。

ケインズという“リアリスト”

 言うまでもなくケインズは、大恐慌当時の深刻な失業問題を認識してあの『一般理論』を書いた。問題解決のスキルとしての経済学そのものであったと言える。ちなみにケインズは別の機会に、経済学者の在り方について、次のように明快に述べている。

 「経済学でも立派な学術書が教育上は必要かもしれない。…しかし現実の経済が絶え間なく変化するものであり、現実から遊離した経済理論が不毛である以上、経済学が進歩し役に立つ学問であり続けるために、新しい経済学を構築しようとする者が書くべきものは、学術書ではなく時論的なパンフレットなのである。…マルサスは元々論争的なパンフレットであった『人口論』を第二版で学術書に変えたためにダメにしてしまった」『マーシャルの伝記』(1924)。

 1929年に勃発した大恐慌は、アダム・スミス的な予定調和の世界と大きく異なる現実をもたらした。米国の株価は、それ以前の5年間で5倍に跳ね上がったものが、わずか5日間で半分になったのである。記録によると、1932年の国内総生産(GDP)はマイナス13%成長、33年の失業率は25%に達した。それへの処方箋を示せない従来の経済学に対し、ケインズはリアリストとしてソリューションを提示しようとしたのである。その姿勢は、次のような有名な表現にも示されている。

 「長期的に見ると、われわれはみな死んでしまう。嵐の中にあって、経済学者が言えることが、ただ、嵐が遠く過ぎ去ればまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく無用である」『貨幣改革論』(1923)。

 長期的に見れば、賃金が低下し、結果的に雇用が拡大するはず―。こうした従来型の議論では何も役に立たない。「長期的にみな死ぬ」というシニカルな表現が、ケインズらしさを物語る。

 これを象徴するように、ケインズの代表作『一般理論』は次のような強い書き出しから始まっている。

 「私は本書を『雇用、利子および貨幣の一般理論』と名づけた。一般という接頭辞に力点をおいてである。このような表題を付したのは、…古典派理論のそれに対比させるためである。古典派理論の公準が妥当するのは特殊な事例のみで一般的には妥当せず、…古典派理論の想定する特殊な事例はあいにくわれわれが現実に生活を営んでいる経済社会の実相をうつすものではない」

 ケインズが見た現実が、古典派の現実といかに異なるかが示されている。

現実的処方箋を提示したケインズ

 ケインズはスミス的な予定調和の世界を特殊な状況と考えたが、こうした考えはもちろんケインズ以前にも存在した。社会の秩序が極めて不安定であることを指摘した古典的議論としては、マルサス、リカード、マルクスらの名を挙げなければならないだろう。『人口論』の中でマルサスは、幾何級数的に増加する人口と、算術級数的にしか増加しない耕地面積の違いから、決定的な食糧不足の到来を告げた。その友人リカードは、マルサスの議論を否定しつつも、やはり人口拡大の可能性を認識しつつ、地主だけが社会の唯一の受益者となるメカニズムを分析し、穀物法(輸入制限)に対する反対論を展開した。そしてマルクスは、労働価値説に基づく搾取の仕組みの中で、また資本の高度化と利潤率の低下のもとで、必然的に資本主義が崩壊することを描いた。しかし、こうした悲観的予言は結果的に(一部を除いて)実現されなかったと言ってよい。そうした中で、大恐慌直前のブームが訪れていたのだ。しかし大恐慌は、改めて資本主義の経済秩序に対する基本的な不安をもたらした。

 ケインズは、労働に対する需要が「有効需要」によって決まることを明確にしたうえで、その現実的処方箋を描いたことになる。現実に米国では、ケインズの一般理論以前に財政拡大政策が採用され、いわゆるケインズ理論はその理論的正当化という位置づけであった。しかしこの考えが、後の世界の経済運営に計り知れないほど大きな影響を与えたことは言うまでもない。もちろん、市場の失敗と同様に政府の失敗をどう考えるのか。民主主義の中に、財政を拡大させるメカニズムがビルトインされており、財政問題の深刻化をどうするか。ケインズ的エリート主義をどのように評価するか―。提起された問題は数多い。しかし、当時の環境の中で、ケインズが示した現実的処方箋の意義は、決して過小評価されることはないだろう。

 多くの人々から、アダム・スミス、ケインズ、シュンペーター。誰が正しいのか、という質問を受ける。しかし、正しいか正しくないかと聞かれれば、皆正しい回答を示したと言わざるを得ない。ケインズが一般理論の冒頭で述べているように、問題は、どのような状況を想定して処方箋を書くか、に依存する。何が一般的な状況と言えるのか。何が特殊な状況なのか。経済への処方箋は、決して「ハウ・トゥー」もののように理解されてはならない。

 その意味で、以下のようなケインズのもう一つの名言が思い出される。

 「経済学の研究には非常に高度な特殊能力が必要とは思われない…(しかし)経済学の大家には種々の才能のたぐいまれな組み合わせが要求される」

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(日本経済研究センター研究顧問)

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