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山田剛のINSIDE INDIA

2016年12月7日 番外編 ジャヤラリタ・タミルナドゥ州首相死去
  映画のヒロインからカリスマ・チーフミニスターへ――大作ドラマを地で行った女性政治家、波乱の生涯に幕

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 人口7200万人に達するインド南部タミルナドゥ州の首相(チーフ・ミニスター、県知事に相当)を通算14年にわたって務め、庶民の間で絶大な人気を誇ったJ・ジャヤラリタが12月5日夜、州都チェンナイの病院で死去した。享年68歳。その生涯は勝利と敗北、栄光と屈辱、賞賛と非難に彩られ、絶体絶命の危機から何度も劇的なカムバックを果たすなど、どんなインド映画よりも波乱に満ちたものだった。稀代の女性政治家の、あまりにもインド的な歩みを振り返ってみたい(敬称略)。


タミルナドゥ州のJ・ジャヤラリタ前首相(同州政府のHPより転載)


 1963年に15歳でタミル語映画の女優デビュー。そのふくよかで蠱(こ)惑的なルックスは男性ファンを大いに魅了し、タミル語映画の大スターで後に州首相を務めるMGRことマルトゥール・ゴパラン・ラマチャンドランと数多く共演して人気女優の座を不動のものとした。
 生涯に約140本の映画に出演し、1982年にMGRの強い引きでタミル地域政党、全インド・アンナ・ドラビダ進歩同盟(AIADMK)に入党。そのルックスや抜群の英語力を買われて翌年には党の広報担当に就任し84-89年には連邦上院議員となった。
 MGRとは私生活においてもパートナーだったといわれ、87年にMGRが死去するとやはり女優出身の正妻ジャナキ・ラマチャンドランと壮絶な党の跡目争いを展開。AIADMKはジャヤラリタ派とジャナキ派に分裂したうえ、野党に転落した。州議会議員に転じたジャヤラリタは89年3月、映画脚本家出身でライバル政党ドラビダ進歩同盟(DMK)を率いるムトゥベル・カルナニディ州首相の演説中に議場で小競り合いを演じ、DMK議員にサリーを脱がされるという屈辱を味わう。この体験が、その後20年近くに及ぶDMKとの仁義なき政争につながる遺恨となった。

清貧とスキャンダル
 党の再統一を成し遂げたジャヤラリタは1991年の州議会選で中央与党・国民会議派と組んで圧勝。ついに悲願の州首相へと上り詰めた。自らの月給を1ルピーしか受け取らないと宣言して話題となった一方、巨額の不正土地取引疑惑などスキャンダルが噴出、養子の結婚式に1億ルピー(現在の価値に換算して約6億円)という前代未聞の費用をかけ、15万人を招待するという派手な行動が大きな批判を浴びた。AIADMKは96年の議会選でわずか4議席という大敗を喫して下野。さらに同年12月には不正な財産取得を理由に逮捕・収監される。
 ジャヤラリタはこの苦境から見事に復活。2001年の州議会選で再び圧勝し、州首相に返り咲くと最初にしたことはライバル政党DMKの党首で前州首相だったカルナニディを逮捕することだった。ところが就任わずか半年後の2001年9月、汚職疑惑を理由に最高裁が州首相就任を不適格とする命令を出したため辞任に追い込まれ、またも大きな挫折を味わう。翌02年3月に最高裁が命令を取り下げたため、ジャヤラリタは州首相に劇的な復帰を果たすものの、政治の私物化や汚職・不正蓄財疑惑などで人心が離反し、06年州議会選では三たびDMKに敗北。選挙のたびに与野党が目まぐるしく入れ替わるインド政治の荒波の中で天国と地獄を味わう。


12月6日午後、チェンナイ市内の公会堂に弔問に駆けつけ、安置されたジャヤラリタの遺体に手を合わせるナレンドラ・モディ首相堰iインド報道情報局提供)



バラマキ政治の面目躍如
 満を持して臨んだ2011年の州議会選では、今も評価が分かれるバラマキ政治や人気取り政策が最高潮を迎えた。キャンペーンでは「貧困層にコメ20キロと飲料水20リットルを無料配布」「高校生にノートパソコンを無料配布」「貧困家庭に羊4頭を提供」「貧困女性の結婚資金を援助」など、てんこ盛りの公約を掲げて圧勝を飾った。
 ところが、14年9月に不正蓄財容疑で禁固4年の判決が下り、一切の公職を辞任。さすがに政治生命もこれで終わりとだれもが思ったが、翌15年5月の高裁判決で無罪を勝ち取り、補選で圧勝して州首相に復帰。16年の議会選でも勝利して同州では極めて異例の「連勝」を果たしたばかりだった。
 職権乱用や強権政治にポピュリズム、そして数々の汚職・蓄財疑惑などにまみれ、まさにスポットライトと塀の中を交互に出入りするような政治人生を送った一方、その政策を評価・歓迎する市民は少なくない。ジャヤラリタは1期目から孤児対策や貧困女性への財政支援などに取り組み、最近でも新生児を持つ母親に対し、ベビー服やせっけん、シャンプー、蚊よけネットやタオルなどを詰め合わせた1000ルピー相当の「育児キット」をプレゼント、貧困家庭向けに自身の顔写真がついた扇風機やミキサー、ミネラルウォーターなどを相次ぎ無料配布している。
 また、農村住民や貧困層向けの医療保険を導入し、州内各地に後発薬を扱う低価格の薬局をオープンするなど、弱者にやさしい政策は喝さいを浴び、市民からは「アンマ(お母さん)」の愛称で慕われた。
 タミルナドゥ州は過去15年間でさまざまな社会指標が劇的に改善。出生率や乳児死亡率、女性や子供に対する犯罪の発生率はいずれもインド各州の中で1、2位を争う低さだ。近年はインフラ整備を追い風に、州内の工業団地への外資誘致も加速していた。
 映画のヒロインから人気政治家へと転身、泥臭い手法で庶民の心をしっかりとつかんだ「偉大な」チーフミニスター。同じタイプの政治家はもう二度と登場しないだろう。一度肉声を聞いてみたいと思っていたが、もはやかなわぬこととなった。

(2016年12月7日)



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山田剛/主任研究員(兼日本経済新聞Nikkei Asian Review 編集委員)



日本経済研究センター主任研究員 山田剛

 大きな期待とともに船出したインド・モディ政権の経済改革はまだ道半ば。税制改革や土地収用の仕組みづくり、インフラ整備まで、なかなかスピードが上がらない状況です。それでも、新幹線導入や日系企業専用の工業団地開発などに象徴される日印関係の緊密化には目を見張るものがあります。投資環境も徐々にではありますが改善に向かっています。こうした情勢を踏まえ、今なおめまぐるしく変化を続けるインド政治・経済の深層と最新情勢を、詳細かつわかりやすくお伝えしていきたいと思っています。

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