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第33回 切り札・プリヤンカの政界入りはあるのか―ネール・ガンディー家、新たな勝負のとき(12年8月17日)


 初代首相ネール、その娘インディラ・ガンディー、そして息子のラジーブ・ガンディー――。独立後65年に及ぶインドの歴史において、実に計約37年間にわたって首相を務めたのが、米ケネディ一族ともしばしば比較されるネール・ガンディー家だ(図表1)。しかも2004年以降、与党連合の代表として首相を任免する権限さえ持つ事実上の最高権力者は、ラジーブ・ガンディーの妻にして与党国民会議派総裁のソニア・ガンディー(65)なのである。最近の州議会選挙で劣勢が続き党勢拡大が思うように行かない国民会議派は、2014年春に控えた次期総選挙に向けて戦略の練り直しを迫られているが、局面打開の切り札として、ソニアの長女でラフル・ガンディー国民会議派幹事長(42)の妹プリヤンカ・ヴァドラ(40)が急浮上してきた。

 今もなお多くのインド国民から熱狂的な支持を得るネール・ガンディー家の栄光と悲劇に彩られた歴史を振り返ってみよう(図表2)。

 ※図表 1「ネール・ガンディー家略系図」、図表2「ネール・ガンディー家と独立インドの歴史」は会員限定PDFをご覧ください。

 国父マハトマ・ガンディー(モーハンダス・カラムチャンド・ガンディー)を補佐してインド独立運動を推進。現在まで続く老舗政党・国民会議派を率いて初代首相に就任したのがジャワハルラル・ネール(1889-1964)だ。実に17年間にわたってインドの首相を務め、国の近代化を推進したほか、今日まで多くの優秀な人材を送り出しているIIT(インド工科大学)など技術系教育機関を育てた。1949年には上野動物園に娘と同じ名をつけた象のインディラを寄贈、敗戦で打ちひしがれた日本国民を大いに元気付けた。1964年5月没、62年秋に起きた印中武力衝突における完敗のショックが死期を早めた、との説もある。

インド版「鉄の女」インディラ・ガンディー

 66年、ネールの後継首相ラール・バハドゥール・シャストリ(1904-1966)の急死に伴い、与党国民会議派は当時情報放送相を務めていたネールの一人娘インディラ・ガンディー(1917-1984)を首相に擁立した。当初は「お飾り」と見られていたインディラは徐々に強力なリーダーシップを発揮。66-77年、80-84年の計約15年間にわたって首相を務めた。「ガンディー」は夫フェローズ・ガンディー(1912-1960)の姓で、独立の父マハトマ・ガンディーとの血縁関係はない。

 インディラ・ガンディー政権は「緑の革命」による農業生産性向上で食糧自給を達成、銀行国有化など公的セクター主導の経済政策を相次ぎ採用した。また核・ミサイル開発を推進、1971年の第3次印パ戦争を勝利に導き、国民の熱狂的支持を集めた。その一方で1975年には非常事態宣言を発令して野党や反対派の政治家を弾圧、インド民主主義の歴史に大きな汚点を残した。さらにはアムリツァルの黄金寺院に立て籠もったシーク教徒過激派を武力弾圧するなど強権的な政治運営も目立った。インディラは84年、この武力弾圧を恨んだ自身のシーク教徒ボディーガードに射殺されるという悲劇を招いた。

与野党に分かれたガンディー家

 インディラの2人の息子のうち、弟のサンジャイ・ガンディー(1946-1980)は政治家として類まれな才能を発揮。母親の側近として権勢を振るい、人口抑制のため貧困層に対する強制断種手術を実施、デリーのスラム街の取り壊しなどを断行して大きな反発も招いた。その一方で、「国民車構想」を発案して、スズキ自動車の誘致に尽力、今日のマルチ・スズキ社の基礎を築いたことでも知られる。1980年、自家用飛行機操縦中にデリー・サフダルジャン飛行場近くで墜落死した。

 サンジャイの妻で環境活動家、動物保護活動家として知られるマネカ・ガンディー(1956〜)は夫の死後にガンディー家と決別した。義母インディラやソニアらと良好な関係を築けなかったためといわれている。83年に亡夫の名を冠した政党「ラーシュトリヤ・サンジャイ・マンチ」を結党。88年に反国民会議派を結集したジャナタ・ダルに合流した。マネカはV・P・シン政権の89-91年に環境相を務め、その後現在の最大野党であるインド人民党(BJP)に入党、司法担当国務相や文化相などを歴任した。マネカの一人息子ワルン・ガンディー(1980〜)は、生後3カ月で父サンジャイと死別。2004年の総選挙には被選挙権年齢の25歳に届かず立候補できなかったが、2009年の総選挙で母親と同様にBJPから出馬して当選している。かくしてガンディー家は政界において与野党に分かれたのである。

 サンジャイの兄ラジーブは当初政治に関心を示さず、国営インディアン航空(現在はエア・インディアと経営統合)パイロットの道を選んだが、弟の急死によって急遽政界入り。さらに84年の母インディラの暗殺によって図らずも首相に就任する。在任中はIT(情報技術)産業に対する輸入関税減免などの優遇措置を実施し、のちにインドがIT大国へと飛躍する基礎を築いたが、スウェーデンの兵器メーカー・ボフォース社を巡る疑獄事件に巻き込まれるなど脇の甘さも目立った。スリランカ内戦に介入したため、1991年総選挙のキャンペーン中に反政府タミル人武装組織の自爆テロで死亡。米ケネディ家を想起させる悲劇の歴史に新たなページを刻んだ。

 国民会議派はラジーブの弔い合戦となったこの選挙で勝利。ナラシムハ・ラオ首相の下、マンモハン・シン財務相(当時、現首相)主導の経済改革に乗り出すことになる。

イタリアからインドのトップレディに

 妻ソニアはイタリア・ミラノ近郊の中流家庭に育ち、語学留学中のロンドンで通っていたギリシャ料理店でラジーブ・ガンディーと出会い、1968年に結婚し渡印。後にインド国籍を取得する。瞬く間にヒンディー語をマスターするなどして義母インディラにも気に入られるが、このことがのちに義弟サンジャイやその妻マネカとの不仲を招く。

 夫ラジーブがテロに倒れてしばらくは政治に関心を示さず表舞台から退いていたが、1998年に党長老らの説得を受け入れて国民会議派総裁に就任。2004年総選挙で勝利し政権を奪還した。インド民主主義のルールでは国会下院第一党の代表が首相に就任するが、イタリア出身ということから野党BJPなどが猛反発。悩んだソニアは上院議員団長だったマンモハン・シン元財務相を首相に立て、自らは党務に専念することを決め、現在に至る。ソニアの悲願は、ガンディー家の当主として息子(あるいは娘)を首相職に就かせることだ、と言われている。

 故ラジーブ・ガンディーとソニアの間にはラフル(42)、プリヤンカ(40)の2児がいる。兄ラフルは米ハーバード大、英ケンブリッジ大などで学び、ロンドンのコンサルティング会社などで勤務した後、2004年の総選挙で初当選。07年に党青年局を担当する幹事長に就任した。独身だがベネズエラ在住のスペイン人女性と交際中。将来の首相候補と目され、昨年母ソニアが病気療養のため渡米した際には党務代行を任されるなど、着実に足場を固めているラフルだが、線の細さや失言癖が目立ち、陣頭指揮を執った12年春の州議会選でも結果を出せず、求心力はやや低下している。

 ネール・ガンディー家、そして国民会議派にとって、本当の切り札は妹プリヤンカだといわれて久しい。04年の総選挙でラフルを出馬させた国民会議派も、当時は「政権奪回までは無理」と考えていた節がある。今後の政治情勢次第ではあるが、昨年から現職閣僚らの相次ぐ汚職疑惑や地方選での低迷、経済成長の減速などで失点が続く与党国民会議派が、2014年総選挙でプリヤンカを前面に押し立てて戦う選択をする可能性は少なくない。

祖母譲りのカリスマ性

 母親ソニアの選挙運動では常に傍らに寄り添い、時には応援演説もこなしてきたプリヤンカだが、本人はかねて政界入りは否定してきた。ところが12年1月には「兄(ラフル)が望むなら、私は協力したい」と述べ、はじめて政界入りの可能性に言及した。

 プリヤンカは演説もうまく、自ら群衆の輪に飛び込む親しみやすさもあってラフルが政界入りする前から「インディラ・ガンディーの再来」として特に農民や村の婦人など重要な票田となる有権者からカリスマ的人気を集めていた。本人もこうした点を意識し、しばしば祖母インディラ形見のサリーを着て遊説している。出馬が実現すれば会議派にとって人気回復の追い風になるかもしれない。

 こうした状況に対し、最大野党BJPきっての論客アルン・ジェイトレー元法相や、ソニアの首相就任に真っ向から反対した同党女性リーダーのスシュマ・スワラジ元情報放送相らは「インドの民主主義を根付かせるにはカリスマ政治の打破が必要」などと批判を強めているが、政策論議よりも人気先行、国家百年の大計よりも目先の利益誘導、というのがインド政治のリアリズムでもある。ネール・ガンディー家4代目がどこまでやれるか、じっくりと見守っていきたい。
                                   

(文中敬称略)


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日本経済研究センター主任研究員 山田剛  新興国の雄として高度経済成長を続けるインドには、日本のみならず世界各国の政府・企業から熱い視線が集まっています。その一方で日本における正しいインド情報は必ずしも十分ではなく、メディアには今もステレオタイプのインド観や偏見、あるいは無責任な称賛などがあふれています。
 本連載では、こうした現状を踏まえ、最新のニュース解説をベースに、インドの政治、経済、産業、そして社会の実像や深層をタイムリーにかつ分かりやすくお伝えしたいと思っています。※隔週掲載予定


(主任研究員 山田剛)


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