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実哲也の揺れるアメリカを読む

トランプがFRBとぶつかる日

 

2018/06/01

 米トランプ政権の通商政策はもはや制御不能の状態だ。中国から欧州、日本、カナダ、メキシコまで、手当たり次第、高関税の脅しをかけて成果を得ようとするやり方に対して政権内で異を唱える声はない。

 危機感を抱いた著名な経済学者らは5月初めに1000人以上の署名を集めて、保護主義政策を撤回するよう求める手紙を大統領と議会に提出した。10人を超すノーベル経済学賞受賞者らも名を連ねた重みのある書簡だが、効果はゼロ。専門家を嫌い、主流派の政策を否定してきたトランプ大統領にとって抗議の手紙はむしろ勲章のようなものかもしれない。

 過去の常識をものともしない大統領だが、今のところその毒牙にかからずにすんでいるのが米連邦準備理事会(FRB)の金融政策だ。トランプ大統領が進めてきたFRBのメンバーの人選も常識的で、イエレン議長に代えて指名し、今年2月に就任したパウエル議長にしても、理事に指名された人たちにしても、金融政策の伝統を重視する「専門家」といえる面々だ。大統領による金融政策についての言及も意外なほど少ない。政治指導者は公の場で金融政策について語るべきではないという節度を守っているようにもみえる。

 とはいえ、トランプ大統領の望みが低金利の維持にあることはみなが薄々感じていることだ。昨年4月のウォールストリート・ジャーナルとの会見では「正直に言えば、私は低金利政策が好きだ」と語っている。FRBの新議長を選考する過程で会談したイエレン議長(当時)には「あなたは私と同様に『低金利の人』だと思っている」と語りかけたと一部報道では伝えられている。トランプ氏はもともと巨額の借金を背負いつつ不動産ビジネスを拡大していった経験を持つ。だれよりも低金利の妙味を認識している人物といっても言い過ぎではない。

 FRBは今年あと2~3回、来年も数回の利上げを実施することが予想される。その間も大統領が果たして「節度」を維持できるのかというのは、政策専門家や金融市場関係者の頭によぎる当然の懸念だろう。 そんな中で目を引いたのが、パウエル議長が5月25日にストックホルムで行った講演だ。金融政策への政治の介入にきっぱりとクギをさしているからだ。

 「金融の安定と中央銀行の透明性」と題した講演の趣旨自体は地味な内容だ。金融イノベーションに合わせて金融安定化政策のアプローチを変えていく必要があり、中央銀行はそのために政策の透明性を高め、説明責任を果たしていくことが重要だとしている。

 だが、講演のなかでパウエル議長は、わざわざ時間を割いて中央銀行の独立性の重要性に言及している。まず、政府や公的機関への信頼が著しく低下している環境下では、「中央銀行は独立して政策措置を取るのが当然のことと決めてかかれなくなっている」と指摘。「短期的な政治的考慮とは離れて金融政策を決めることが有益だという点は立証されており、そこに独立性を維持すべき根拠がある」としながらも、物価の安定が長く続くなかでこの点についての理解が弱まっているのではないかという懸念を示した。そのうえで、「中央銀行に独立性が欠けた結果、歯止めなきインフレとその後の経済収縮を招いた過去の教訓を忘れてはならない」と訴えた。

 過去の教訓といえば、米国のだれもが思い出すのはニクソン政権の圧力で緩和的な金融政策を続け、高インフレを招いたアーサー・バーンズ議長の失敗だ。慎重居士で知られるパウエル氏がトランプ大統領への事前警告とも受け取れるような内容を講演に忍び込ませた真意のほどは不明だ。

 だが、トランプ大統領がいずれFRBに矛先を向けるかもしれないと考えられる理由はいくつかある。それは単に「トランプは低金利が好きだから」ということにとどまらない。いずれもトランプ政権が実施している経済政策やそれがもたらす影響にからむからやっかいだ。

 1つはトランプの減税政策だ。大規模減税は拡大を続ける景気をさらに上向かせ、物価を押し上げる要因になりうる。近くニューヨーク連銀総裁に就任するジョン・ウィリアムズ・サンフランシスコ連銀総裁は昨年秋、減税が景気過熱をもたらす可能性があると指摘している。減税効果を考慮に入れれば、FRBは当初想定していた以上に金利を引き上げる必要が出てくる。

 しかし、政権の考え方はこれと大きく異なる。金融政策の独立性を重視したゲーリー・コーン氏に代わって国家経済会議の議長に就任したラリー・カドロー氏は「減税は供給サイドを刺激して成長率を高めるもので、インフレにはつながらない」と主張している。失業率の低下や成長率の上昇だけみて利上げを続けるのは妥当ではないとう見解だ。減税効果を相殺するような形で利上げが進めば、政権とFRBとの間に溝が生じる可能性がある。

 2つ目の要素は財政状況の悪化だ。減税は十分な財源を用意しないまま実施されたが、政権は高成長によって税収が増えるので心配ないという考え方だ。しかし、専門家の多くは財政赤字が大きく膨らむとみており、2020会計年度(2019年10月~2020年9月)には1兆ドルに達すると予想されている。FRBが国債を購入する量的緩和政策を取っていたこともあって、米長期国債の利回りが財政状況に反応することはしばらくなかった。しかし、FRBが保有する国債額は利上げと並行して徐々に減っており、長期金利が財政悪化に反応して大きく上昇する局面がどこかの時点で訪れることはありうる。そのときに、トランプ大統領が反射的に利上げを進めるFRBに責任をなすりつけようとする恐れも杞憂とは言い切れない。

 もう1つの要素は通商政策だ。トランプ大統領は脅しで相手国の譲歩を引き出す強引な手法で貿易赤字を削減することをめざす。だが、国の貿易収支は基本的には貯蓄と投資のバランスで決まるというのがエコノミストの常識だ。減税による財政刺激は米国の貿易赤字のさらなる拡大につながる可能性が高い。それを避けようとするならドル安を促すしか手がなくなる。FRBの利上げ政策はドル相場を上昇させる要因になるから、トランプにとっては目障りな存在になるだろう。

 表立って言わないにしても、正統派のエコノミストたちの牙城であるFRBが、貿易赤字削減にこだわるトランプ政権の保護主義政策や財政悪化の放置を快く思っていないことは間違いない。しかも、いずれも金融政策の決定に何らかの形で影響するものだ。その意味では政権とFRBの間にはすでに潜在的な緊張関係が生まれつつあるといってもいいだろう。

 もちろん、政権の政策も含めた所与の条件下で政策のカジを取るのが中央銀行の定めだ。金融政策を決めるFRBの連邦公開市場委員会(FOMC)のメンバーも、インフレ率の急上昇を懸念するタカ派は少なく、利上げは慎重に進めていく考え方が主流だ。その点では政権と大きな差はなく、対立関係になることはまずないという見方も成り立つ。

 ただし、それもトランプ大統領が金融政策に刃を向けることはないことが前提だ。いまは攻撃の対象が外国に向かっていてFRBは視界に入っていないかもしれないが、先行きどうなるかはわからない。大統領が金融政策を批判した場合の金融市場などへの悪影響については、ゴールドマン・サックス出身のムヌーシン財務長官も、長年金融エコノミストやテレビの市場コメンテーターを務めたカドロー氏も先刻承知のはずだ。だが、トランプの怒りがFRBに向かったときに体を張って止める度胸があるかは疑問でもある。

 とはいっても、さすがのトランプ大統領も金融政策批判はタブーとわかっているのではないか。そう思いたいところだが、不吉なコメントをする人もいる。FRB議長の候補でもあったケヴィン・ウォルシュ元FRB理事だ。同氏は議長の選考過程で大統領と一時間にわたって面談した際に感じたことを先月のインタビュー(注1)でこう語っている。

 「(FRBなど政治から)独立した機関という広い概念は、大統領にとっておそらく自明のものではない」 パウエルFRB議長も当然、トランプ大統領から面接を受けている。その際にトランプ氏についてウォルシュ氏と同じような印象を抱いたとしたら、講演で中央銀行の独立性に言及したのもうなずける。

(注1)米政治専門メディア・サイト「ポリティコ」との会見