経済に待ったをかける安全保障 ルールの常識が変わる時代に
2019/10/02
デジタル経済のめまぐるしい進展、グローバルなサプライチェーンを揺さぶる米中の貿易戦争、そして型破りな政治指導者による自国優先主義の嵐。急激に姿を現した世界の新しい構図は、経済をどう変えていくのでしょうか。この新コラムでは、政治や安全保障との相互作用を深めつつ刻々と変化するグローバル経済の最先端を読み解きます。
9月下旬に安倍晋三首相とトランプ米大統領が合意した貿易協定は、日米関係の新たな図式を象徴的に示すものだった。
日米合意の意味するもの
安倍首相は新たな日米協定について「日米双方にとってウィンウィンとなる」と宣伝した。日本ではまずまずの内容だったと評価する声も聞かれる。日米の二国間取引としてはそうなのかもしれないが、もう少し視野を広げ考えておくべき点が2つある。
1つは、自動車への追加関税をちらつかせる米側をなだめるかたちで、日本が農産品の関税引き下げに応じたことだ。自動車への追加関税の脅しはトランプ政権が一方的に持ち出したもので、仮に断行すれば世界貿易機関(WTO)違反になる疑いが濃い。本来、交渉対象になりえないような関税措置を日本は取引材料として受け入れ、見返りを与えたことになる。
WTOとの整合性は
2つ目も自動車がらみだ。米国がオバマ政権時代の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉でいったん約束した自動車・自動車部品の輸入関税の撤廃を事実上先送りし、期限をつけずに将来の交渉課題とすることで日米は合意した。最終ゴールが撤廃であることは文書に入ったとはいえ、いつになるかわからない。
二国間や地域で貿易自由化の協定を結ぶ場合、WTOは関税を「実質上すべての貿易について」撤廃するよう求めている。「実質上すべて」とは90%以上が目安とされる。今回の日米合意で米側は約92%、日本側は約84%の関税を廃止するというが、これはゆくゆく米国の自動車・自動車部品の関税が撤廃されればという話だ。それなしには米側の関税撤廃率は大幅に下がるから、少なくとも撤廃の時期を明示しないとWTOとの整合性を問われかねない。日米の間では相手の顔を立てて、そこそこの合意を導けたと安堵していても、外から見ればWTOのルールをさし置いて二国間の事情優先に走ったと映るかもしれないのだ。
安全保障が隠れたキーワードに
今回の日米合意は安全保障が隠れたキーワードだったことにも注意したい。これにも2つの面がある。
まず、日本側が発動見送りを勝ち取ったと説明する自動車への追加関税が、そもそもどこから来たのかという点だ。米国には安全保障を理由とした輸入制限を認める米通商拡大法232条という国内法があり、これに基づき既に、鉄鋼とアルミニウムで外国製品に追加関税を課している。トランプ政権が自動車と自動車部品について関税引き上げがあり得ると警告してきたのも、やはり安全保障上の理由からだった。
なぜ自動車が安全保障と関係するのか、首をかしげる人が多いに違いない。実はWTO協定にも、安全保障上の正当な理由があれば貿易を制限できるという趣旨の条文がある。その定義は必ずしも明確でないが、軍事目的でない普通の自動車に一方的に関税をかければ、先に述べたようにWTOでクロの判定が下ると考えるのが常識だろう。もし各国が独自の解釈で安全保障を理由とした貿易制限を乱発すれば、世界の通商秩序は混乱するのが必至だ。
それでもトランプ政権は自国に都合のよい解釈を平然と振りかざす。貿易交渉を有利に進める取引材料にしているだけにも見えるが、利用できそうなものは利用するのがこの政権だ。安全保障を持ち出せば何でもあり、といわんばかりの姿勢を米国が続ければ経済に及ぶ影響は大きい。もしトランプ氏が2020年の大統領選挙で再選されれば、二期目も同様の手口を繰り返すと考えるべきだろう。
対米重視と多国間主義
日本にとって、安全保障のもっと本質的な面が透けて見えたのも今回の日米合意だった。
北朝鮮の核・ミサイル問題への対処はもちろんのこと、軍事大国化にまい進しアジアで影響力を増す中国の存在を考えたとき、緊密な日米同盟の重要性は増す一方だ。相手がトランプ政権であろうがなかろうが、この点は変わらない。
規格外れの大統領であるトランプ氏は、アジアにおける日本の地政学的重要性をどれだけ理解しているかわからない。頭の中を占めるのは、日本に米製品を買わせたり、在日米軍の駐留経費をもっと負担させたりすることかもしれない。そんな米国をしっかり同盟の枠組みにつなぎ留めていくことが重要なのは言うまでもない。
そんななかで今回の日米合意は、WTOやTPPによる多国間主義の重視を掲げている日本にとって、改めて米国との二国間関係の優先度が高いことを内外に示すものとなった。ここでのキーワードも安全保障である。
技術覇権をめぐる争い
もちろん、だからといって多国間のアプローチがおざなりになっていいはずはない。米国抜きでもTPP11を実現させた日本のリーダーシップは海外で高く評価されている。対米関係重視と多国間主義という2つの基本政策をどう両立させていくか、日本は鋭く問われていくことになる。
安全保障が経済活動に影響を及ぼす構図は、出口の見えない米中の確執でも鮮明になっている。トランプ政権は安全保障上の懸念があるとして、通信機器大手の華為技術(ファーウェイ)のような中国企業の排除に動いた。これを個々の技術の管理の問題としてだけみるべきではないだろう。技術で主導権を握る国は軍事力でも優位に立てる。米国が技術覇権の確保に必死なのは、経済の競争だけでなく安全保障に直結する問題でもあるからだ。
安全保障が経済活動に待ったをかけたり干渉したりする領域が増え、ルールの常識を変える時代になった。国として企業としてどう対応するか、考えておかないと思わぬ流れに巻き込まれかねない。
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