主張するEUとルール覇権 グリーンとデジタルを二枚看板に
2020/02/27
1月末に欧州連合(EU)を離脱した英国とEUの間で、自由貿易協定(FTA)などを結ぶための交渉が3月から始まる。果たして年末の期限までに間に合うのか。残された時間は短い。
焦点のひとつは、英国がFTAを求めつつもEUの雇用関連や競争政策などのルールや規制を受け入れない姿勢と伝えられている点だ。EUにしてみれば、関税ゼロを継続して英国が恩恵を得ながらEUより緩い規制で競争上優位に立つ「いいとこ取り」は許しがたい。一方のジョンソン英首相はここで果実を得てこそ、離脱の効果を国民にアピールできると考えているはずだ。
英国の離脱がもたらす影響
両者の違いは一見大きい。だが、政治的な責任回避に敏感なジョンソン首相は、何の合意もないまま期限切れを迎えるリスクは恐らく取らないだろう。英国もEUもそれぞれ筋を通したように見せながら、落としどころを探る方策に知恵を絞ることになるのではないか。それもうまくいかなければ、年末までの離脱移行期間を延ばして交渉を継続する手もある。
EUにとって本質的な心配事は、英国という主要メンバーが抜けたことでこの先、経済的にも政治的にもEUが弱体化していくのかどうかという点だ。この問いへの答はすぐ得られそうにない。離脱のもたらす影響には、はっきりするまで時間のかかるものが多いだろうからだ。
ルール形成のグローバルパワー
それでも確かなのは、英国が抜けてもEUはなお27カ国、4憶5000万人の市場を持ち、GDPの規模で米国に次ぐ豊かな共同体だという点である。この体力に裏打ちされたパワー、とりわけ経済活動に影響を及ぼすルール形成におけるEUのグローバルパワーは侮れない。
英国が抜けたあとも、大陸欧州型の思考を前面に打ち出しながら、理念と実利の二兎を追う動きはむしろ活発になるかもしれない。日本はそんなEUのパワーをうまく利用しながら、次の時代を左右する国際的なルールづくりの議論で自国の利益を確保していく発想が必要だ。
「欧州グリーンディール」掲げる
EUが自己主張を強めるのではと感じる兆しのひとつは、2019年12月に新体制が発足したEUの執行機関、欧州委員会が環境やデジタルの分野で意欲的な姿勢を見せていることだ。政策の目玉である「欧州グリーンディール」では、2050年に域内の温暖化ガスの排出を実質ゼロにする野心的な目標を掲げている。
ポーランドが抵抗するなど、域内で足並みをそろえるのも容易でないが、まず大きなゴールを設定し、どうやるかは後から詰めるのがEU流である。環境分野で世界の先頭を行く意気込みは長く続くだろう。
外国への炭素税構想も
この分野で注目すべきものに、環境対策が十分でないとみなした国の製品に関税を上乗せする「国境炭素税」(カーボン・ボーダー・タックス)という構想がある。EUだけが脱化石燃料を進めても、ほかの国の基準が甘ければ、EU企業はコスト負担の面で不利になりかねない。競争条件をそろえるために、外国にもEUと同等の基準に合わせるよう求め、受け入れなければ関税をかけるというものだ。
EUが独自に基準を設定し、関税の脅しを使って外国に従うように要求するというのは何とも一方的に映る。とはいえ、「米国第一」と叫んで制裁を振りかざすトランプ米政権に比べれば、グリーンという理念がベースにある欧州流のほうが説得力の点で勝る。挑発的な関税構想がそのまま実現するかはわからないが、いかにもEU的な自己主張を感じさせるアプローチだ。
EU基準をグローバルスタンダードに
域内の規制を外部にも適用して対応を迫るというルールの広げ方を、EUは2000年ごろから活発に展開している。例えば、工業製品に使う物質に規制の網をかけたことで、EU市場向けの製品はサプライチェーンの各段階で違法な物質が含まれないように注意する必要が生じた。
メーカーにしてみれば、EU向けの製品だけ仕様を変えるのは効率的でない。それなら全製品をEU基準に合わせようという企業が増えれば、結果としてEU基準がグローバルスタンダードになる。これが小さい市場ならそうはいかない。無視できない巨大市場を持つEUならではの規制パワーである。
日本の対EUロビイング
EUの諸機関が集中するベルギーのブリュッセルに、EU向けのロビイング活動などを手掛ける日本の組織「在欧日系ビジネス協議会」がある。設立は1999年。その事務局長を2000年代前半に務めた経産省出身の藤井敏彦氏は、こうしたEUの物質追跡型の規制に日本の産業界が強い警戒感を持ったことが、この協議会創設につながったと著書で指摘している(注1)。
背景にあるのは、できあがった規制に受け身で対応するのでなく、形成過程にかかわり、日本企業の利害を反映したルールにするよう能動的に働きかけようという発想である。藤井氏はその後、経産省の通商政策課長などを経て、昨年秋に政府の国家安全保障局(NSS)の審議官になった。NSSの中に今年4月にできる経済班を担当し、経済と外交・安全保障が絡む政策やルールの問題に取り組むのだろう。
「ブリュッセル・エフェクト」
規制やルールづくりで影響力を持つEUだが、中国の台頭や英国の離脱で優位性が揺らぐことはないのか。EUの規制パワーを分析し、その地位は当分健在だとする議論が最近フォーリン・アフェアーズ誌に掲載された。米コロンビア大のアヌ・ブラッドフォード教授の論文は、グローバル市場に影響を及ぼすEUの規制パワーを「ブリュッセル・エフェクト(効果)」と呼ぶ(注2)。これを書名とする本も出版されている。
中国は輸出大国だが、スタンダードの設定(ルール形成)で力を持つのは売り手よりも、製品を受け入れる巨大な市場を持つ買い手の側だと教授は見る。EUの強さの源泉はここにあり、「北京エフェクト」が近い将来、EUにとって代わることはないという。英国の場合も、輸出のほぼ半分がEU市場向けなので、離脱後もEU市場の規制パワーから逃れることはできないと予想している。
規制パワーは続く
こうした説に懐疑的な声もある。英誌エコノミストのコラムはブリュッセル・エフェクトについて、欧州が受けるメリットは限定的であり、EU経済の地位低下や技術革新により、そのパワーは今後衰えかねないと指摘した(注3)。
どちらの見方が正しいのか。筆者は、EUの規制パワーはこれからも簡単に衰退することはないと考えている。グローバルな経済ルールの形成で物を言うのは、3つのパワーだ。巨大な市場を背景とした購買力などの経済力、議論を主導したり他国に圧力をかけて協力させたりする政治・外交力、そして説得力のある理念や規範というソフトパワーである。EUは少なくともこのうちの2つを持っている。ルールをめぐる覇権争いに絡んでいく条件は十分とみるべきだろう。
攻守で取り組むデジタル政策
グリーンと並ぶEUの看板政策として、デジタルをめぐる動きにも注目したい。EUは健全な競争や安心・安全な社会の構築といういわば守りと、経済成長力や競争力の強化という攻めの両面でデジタル化に取り組もうとしている。
欧州委員会は、米IT企業に競争法(独占禁止法)違反として巨額の制裁金を科すなど厳しく対処してきたが、さらに規制強化を検討中と伝えられている。2月19日には欧州企業の産業データを共有する制度の構築などを盛り込んだデータ戦略を発表した。取り締まるだけでなく、米IT大手のGAFAや中国企業に対抗して産業データを自分たちで活用する仕組みを作るなど、産業政策にも力を入れようという攻めの姿勢だ。
競争環境を整備
欧州の独禁政策の顔となっているベステアー欧州委員は19年12月からの新体制で、上級副委員長に昇格しデジタル化への対応もあわせて担当することになった。規制と活用の両面でデジタル政策を推進し、競争環境の整備を進めていく意図がうかがえる。
グリーンとデジタルを二枚看板として戦略を練っていくEUの動きには、日本の参考になる部分も多いはずだ。同時に、もしEUが独自の主張に基づく政策を強力に進めていけば、国際的に摩擦を引き起こすこともあるかもしれない。とくに懸念されるのは、EU以上に自己主張を強めている米国との確執の高まりだ。
米欧の対立激化の懸念も
そうでなくても米欧間には対立する案件が多い。通商関連の分野だけ見ても、米国による鉄鋼・アルミ製品への追加関税とEU側の報復関税、航空機補助金問題をめぐる世界貿易機関(WTO)への提訴合戦、フランスや英国によるGAFAを想定したデジタル課税の問題がある。次世代通信機規格5Gをめぐり中国企業を排除するか否かという議論もある。
トランプ大統領は秋の大統領選挙に向けた手柄にするため、EUとの貿易協定をまとめたい意向を示している。トランプ政権は中国と第1段階の合意にこぎつけ、カナダとメキシコには自由貿易協定の改定を受け入れさせた。日本とも貿易協定を締結した。2月下旬にはインドとの貿易交渉開始も表明した。残る主要な貿易相手として、まだ大きな合意がない欧州を標的にしても不思議ではない。
自由貿易守る決意を
かたや欧州側のトランプ政権へのいら立ちは大きい。地球温暖化対策のパリ協定やイランの核合意から次々と離脱を表明し、多国間の枠組みに背を向ける姿勢は欧州にとって目に余る。マクロン仏大統領は、米国が警戒する欧州独自の防衛協力構想にたびたび言及してけん制している。欧州側が貿易交渉でトランプ政権の要求に簡単に譲歩するとは考えにくい。
欧州と米国が本格的な貿易戦争に突入すれば世界経済へのダメージは予想もつかない。エンドレスな制裁合戦の口火を切らないよう、とくに米側の自制が重要だ。不穏な風向きになったときには、日本は高みの見物を決め込むことなく、自由貿易体制を守るため知恵を絞る覚悟が求められるのは言うまでもない。
(注1)藤井敏彦「競争戦略としてのグローバルルール」東洋経済新報社、2012年
(注2)Anu Bradford, ”When It Comes to Markets, Europe Is No Fading Power―The EU Sets the Standards for the Rest of the World,” Foreign Affairs, February 3, 2020
(注3)”The parable of the plug,” The Economist, February 8, 2020(日本語訳「 EU規制、吸引力の源泉と限界」日本経済新聞2020年2月11日付朝刊)
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