「デジタル」「脱炭素」とグローバル・ルールの新展開
2021/08/31
米軍のアフガニスタン撤収とそれに伴う混乱は、いずれにせよ起きる時間の問題だっただろう。それにしても米国の動きは速かった。米同時テロから20年となる9月11日までに区切りをつけようというデッドラインの圧力。国内世論の後押し。それらに加え、アフガンから手を引いて対中シフトに注力したいという気持ちが影響した面もあるのではないか。
対中重視は当然だが、一点豪華主義のように偏れば危うい。中東、ロシア、北朝鮮といった地域や国への対応が手薄になり、想定外の事態を次々と招きかねない。米外交が迷走すれば、中国の思うつぼでもある。
アフガンが示す米国のジレンマ
世界の全方位ににらみを利かせるパワーはいまの米国にない。それゆえの資源集中と、力の真空が生じる領域で高まるリスク。アフガンの惨状は、米国の抱えるジレンマを容赦なく世界にさらけ出した。同時テロからの20年間でこの構図は決定的になった。
余裕を失った米国がもたらすリスクとして、国際秩序を支えるルールの不安定化という問題もある。新しいルールが求められる時代になったにもかかわらず、米中対立の激化という要因も加わり、行方が見通しにくくなっている。ルールをめぐる動向について考えてみたい。
米国と日欧で調整できた時代
東京五輪やパラリンピックの熱戦を観て、知らなかったルールに新鮮な思いをしたり、にわかルール通になったりした人も多いだろう。選手は決められたルールを守り、審判の判定に従う。そのコンセンサスがなければ、世界各地からこれほど多くの選手が集まることは考えられない。
ルールを守るのは当たり前のことのようだが、スポーツを離れた国際政治や国際経済の世界では必ずしも、さにあらずだ。ルールに違反しながら開き直る国があれば、そもそもルールが存在せず野放しの領域もある。もめごとが生じても、皆が尊重し従う審判役がいないことも珍しくない。
国際社会がひとつの国家でなく、絶対的なルールの執行者がいないのがそもそもの原因ではある。それに加え、米国かかつてのようにリーダーシップを振るって調整したり、政治力や経済力を背景に説得したりするパワーが落ちていることも影響している。
例えば、第二次大戦後の世界の貿易ルールは、冷戦時代のソ連圏などを除き、最大の経済力を持つ米国を中核に、欧州や日本などとの調整によって決まるのが基本だった。ケネディ・ラウンドとか東京ラウンドなどと名付けられた包括的な交渉で、貿易の自由化が進んだ。冷戦終結後の1995年に発足した世界貿易機関(WTO)は、ルールづくりの旗を振るだけでなく、貿易にまつわる国と国との紛争を解決する強い裁判官役も期待された。
機能不全の審判役
しかし、大規模な貿易ルールづくりは停滞してしまった。94年に決着したウルグアイ・ラウンドを最後に、この包括交渉方式は成功していない。中国やインドといった新興国が力をつけ、利害調整が難しくなったことが背景にある。
中国も加わり、WTOの加盟国数は160カ国を超えるまでに増えた。全会一致による合意は容易でない。さらに米国が、圧倒的だった経済パワーの相対的低下に直面し、影響力が後退してきたという事情もある。
WTOの裁判所的な役割は、深刻な機能不全に追い込まれている。二審にあたる上級委員会に米国が不満を募らせ、委員の任命を拒否したことが原因だ。ルールはあっても最終的な審判役がいないので、違反行為を十分取り締まれない。
米国のWTOへの冷淡な態度は、トランプ政権のときに鮮明になった。しかし、国際協調路線を掲げるバイデン政権になっても、通商政策への姿勢は基本的に変わっていない。7月には、政府調達で自国製品を優先するバイ・アメリカンの強化を打ち出した。
国内の労働者保護をアピールしないと、政治的にもたないという考えは、民主、共和の両党に共通する。来年秋の中間選挙に向けて、アメリカ・ファースト志向は強まりこそすれ、なくなることは考えられない。中間選挙の後も、あまり変わらないだろう。
WTOよりFTA?
WTOのグローバルなルールづくりが、一部の例外を除いて停滞する一方で、近年広がっているのが、二国間や複数の国による自由貿易協定(FTA)だ。日本の場合、環太平洋経済連携協定(TPP)、東アジアの地域的な包括的経済連携(RCEP)協定、欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)、日米貿易協定、EUを離脱した英国との二国間協定と、わずか数年の間に次々と締結している。
日本はかつて、FTAよりWTOの多国間交渉を優先する立場だった。しかし、WTOのグローバル路線が停滞し、代わってFTAが流行し始めると、遅れをとるわけにいかなくなった。
米国はここでも内向きだ。前政権が離脱したTPPに、バイデン政権も慎重姿勢を崩さない。トランプ政権が日本と貿易協定を結んだのも、TPPに背を向けたことで対日輸出が不利になることを懸念し、直取引でカバーする狙いだった。目先の狭いそろばん勘定がすべてに見える。
中国はそんな米国を見透かしたように、巨大FTAに意欲的だ。参加国の国内総生産(GDP)が世界の3割に及ぶRCEPに積極的に加わり、TPPへの参加にも関心を示す。
企業に負担求める新ルール
グローバルな経済秩序は、さらに新しい局面を迎えている。この夏、ルールをめぐる大きな動きが相次いだ。EUが主導する国境炭素税と、このコラムで前にも取り上げた、経済のデジタル化などに対応する新たな国際課税ルールだ。
脱炭素関連とデジタルといえば、いま注目のテーマだが、この2つのルールはいずれも自由化を推進するのでなく、企業に負担を求める方向のものである点に注意したい。
国際課税ルールの交渉には130以上の国・地域が参加している。7月の20か国・地域(G20)会議での合意を踏まえ、秋の最終決着を目指す。これには2つの柱がある。
デジタル化と国際課税
法人税に少なくとも15%の最低税率を設け、1980年代から続いてきた国際的な税率の引き下げ競争に歯止めをかけるのがひとつ。グローバル化とデジタル化により、多国籍企業が税率の低い国に利益を移したりするケースが目につくようになった。それが法人税の「底辺への競争」と呼ばれる事態につながった。
2つ目の柱は、デジタルサービスなどで稼ぐグローバル企業を対象に、工場や事業所を置いていない国であっても、消費者やユーザーがいれば相応の納税をしてもらおうという内容だ。現行のルールはここに穴があいている。GAFAと呼ばれる巨大IT企業だけでなく、一部の非IT企業も含まれる見込みだが、対象企業は全部で100社程度にとどまるもようだ。
2本の柱はともに、「巨額の利益を得ている企業からもっと税金を取りたい」という関係国の思惑が背景になっている。デジタル化やグローバル化で成長した企業が、いいとこ取りを続けることに待ったをかけるもの、と見ることもできるだろう。
国境炭素税の狙い
EUが意欲を燃やす国境炭素税は、脱炭素の規制がEUより緩い国の企業からの輸入品に事実上の関税をかけるものだ。EUの企業が、外国企業との競争で不利になるのを防ぐ手段とする。実現すれば、中国やロシアなどのほか、日本の企業も影響を受ける可能性がある。
一方的なルールの押し付けとなれば、国際協調やグローバルな多国間主義の観点から疑問も生じる。EUはしばしば、自分たちが先駆けてスタンダードを設定し、巨大な単一市場への「入場券」として外国企業に追随を促す。EU市場を失いたくなければ従うしかない。
国境炭素税には、別の狙いも込められている。EUは債券を発行して資金を調達し、新型コロナウィルスからの復興資金として加盟国に配分する計画を進めている。その債券の将来の償還資金の一部を、国境炭素税でまかないたいというのだ。
もし外国がこぞってEU並みの規制を導入すれば、この税収は得られなくなり、当てが外れるのではないだろうか。そうなるまでには相当な時間がかかるはず、とEUは踏んでいるのだろう。
米欧間に確執も
デジタル関連の国際課税ルールにも、似たような側面がある。国際的な交渉のかたわらで、一部の欧州諸国は既にデジタル課税を実施している。EUとしてもこれから独自のデジタル税を導入し、国境炭素税のようにコロナの復興資金に役立てたいと考えていた。
これに黙っていないのが米国だ。新しい課税ルールが決まれば、現行のデジタル税は廃止すべきと主張していると伝えられる。EU独自のデジタル税新設にも当然反対するだろう。米国と欧州の綱引きはなお波乱含みだ。
課題があるにせよ、新たな時代にふさわしいルールをつくることの重要性は増している。脱炭素社会に向けた取り組みは、EUの一方的措置よりも、多国間の大きな枠組みでルールを積み上げていくのが、本来あるべき姿だ。法人税などの国際課税ルールも、グローバル企業に適切なレベルの税負担を求め、公平性を高めることの意義は大きい。
広がるルールの新領域
デジタルとグリーン(環境)のほかにも、宇宙や北極圏、サイバー空間、AI(人工知能)など、ルールがなかったり古くなっていたりする領域が広がっている。ルールに求められる目的と役割も、格差是正、社会的公正さの確保、持続可能な経済社会、人権尊重、安全保障など、広く多様だ。そこに米中の覇権争いや地政学的な問題も絡む。国も企業も、複眼的な視野と判断が求められる。
注意すべきは、規制やルールが保護主義や自国優先の隠れ蓑に利用されるのを防ぐことだ。できるだけ自由で開かれたルールを構築し、守っていくことの重要性は変わらない。
そこを踏まえつつ、新時代にふさわしいルールの議論を進めなければならない。デカップリング(分断)は不可避と決めつけず、米中がともに建設的な当事者として参加するルールの枠組みづくりを、あきらめずに追求したい。
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