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刀祢館久雄のエコノポリティクス

「大移行期」の世界とサステナビリティ

 

2021/12/26

  2021年も新型コロナウイルスに振り回された一年だった。そのために見えにくくなっている面があるが、新しい年を迎えるにあたり少し大づかみに考えてみたい。時代が刻む地層を探索してみれば、いま私たちがいるのは、いくつかの高いハードルを越えて次の時代に入る前の大きな移行期なのではないか、と。

超えるべき3つのハードル

  何に向かっての移行か。少なくとも3つある。脱炭素社会への移行、人工知能(AI)やデジタル・テクノロジーを使いこなせる社会への移行、そして米中の対立が何らかの区切りを迎える時代への移行だ。

  あるべき着地点に到達する道筋は、どれも定かでない。成功するかどうかも確かでない。わかっているのは、受け入れ可能な状態への移行に失敗すれば、待っているのは停滞や暗黒の時代だろうということだ。

脱炭素社会への挑戦

 脱炭素社会への取り組みについては今年、さまざまな課題が改めて浮き彫りになった。温暖化ガス排出削減の負担をめぐり、先進国と途上国の間の溝が依然深いこと。脱化石燃料を求める声が強まる一方で、再生可能エネルギーに置き換えるまでには時間がかかるため、需給バランスを失えば混乱を招きかねないことなどだ。

  欧州では天然ガス価格が急騰し、英国のエネルギー小売事業者が相次ぎ経営破綻に追い込まれた。風が弱くて風力発電の出力が低下する事態も起きたという。再生エネ先進国の英国といえども、必要量の安定供給にはほど遠い。

  脱炭素というゴールの重要性に疑いはない。課題が続出するのは、真剣な取り組みが広がっているからこそでもある。ゴールへの道はひとつでなく、日本は日本のやり方があるはずだが、それをどう設計し、国際的な議論やルールづくりに埋め込んでいくかが問われていく。

AIを使いこなせないリスク

  2つ目のデジタル分野では今年、巨大テック企業への規制論が海外で注目を集めた。もともと規制を得意とする欧州連合(EU)だけでなく、米国でもそうした企業への風当たりが強まった点が目を引く。

 中国の監視技術の不気味さや、各国で開発が進むAI兵器の脅威は言うに及ばず、コミュニケーションの重要インフラになったソーシャル・メディアも、使い方次第で個人や社会に打撃を与える凶器になる。デジタル技術の可能性を半ば野放図に追求してきた時代から、的確なコントロールという視点が重みを増す段階に入ったといえるだろう。

 AIをどう使いこなすかという問題は簡単でない。AI的には正しくても人間にとって暴走になる事態をどう防ぐか。AIが下した判断にだれが責任を負うのか。AIの開発が進み、高度な自律性を帯びて活動するようになったらどうなるか。こうした点にきちんと答えていかなければならない。内容には議論もあるにせよ、EUの欧州委員会が今年、AIへの規制案を公表したのは画期的だった。

30年続くGDP競争

  米中の競争と対立が長期化する気配を強め、国際秩序が「大移行期」に入ったことを感じさせたのも、2021年の世界だった。1月に発足したバイデン米政権は、米国の大統領がだれであれ、中国を最強のライバルとみなし、断固勝ち抜く決意で臨むことを見せつけた。

 日本経済研究センターは12月に公表した報告書で、中国の国内総生産(GDP)が米国を上回る年を2033年と予測した。2029年という昨年時点の予測より4年遅れる。中国で脱炭素政策による石炭火力削減や、情報技術(IT)企業への規制の影響が出る一方、米経済が急回復したことなどが原因だ。

  さらに注目したいのはそのあとだ。中国の人口減少と生産性の伸び鈍化などにより、2060年までに米国が中国を抜き返すことを日経センターの予測は示している。つまり、2030年前後からおよそ30年間にわたり、米中は接戦を繰り広げることになる。GDPだけで国力をはかることはできないが、経済規模がナンバー1か2位かの違いは心理的に影響するだろう。

ゴールの見えないライバル関係

  米国の誤算は、経済発展を支援して中国が豊かになれば、民主化も進むと期待したことにあったとよく言われる。それでは、仮に中国が民主的な国家になったらどうなのだろうか。軍事・経済大国として米国に追いつき追い越し、アジアや世界での覇権を求めるようになっても、米国はすんなり受け入れるだろうか。日本やアジアの国々はどう受け止めるか。もちろん、現実の中国は異なる道を歩んでいるので、答は知りようがない。

  3つの「大移行期」のうち、米中対立がほかと異なるのは、目指すべきゴールがはっきりしない点だ。米国の優位を動かすべきでないのか、それとも米中が対等なパートナーとして世界を仕切り、利益を分け合う関係がよいのか。そのいずれとも異なる世界か。当事者の米中にも国際社会にもコンセンサスは存在しないし、簡単にできそうもない。結論を急ぐのは危険でさえある。

広範なリスクコントロールを

  いま必要なのは、広範なリスクコントロールだ。対立がエスカレートして軍事衝突に至ったり、互いに殻を閉ざし合って世界経済がマヒしたりといった極端な事態を避けなければならない。まずは米中に、危険な分断や衝突を防ぎ共存する関係をつくってもらうことだ。

  もしその先に、長期にわたり安定する関係を構築することができれば、それが次の時代ということになり、米中の移行期はひとまず終わるかもしれない。

  バイデン政権は今年、日米豪とのQuad(クアッド)や英豪とのAUKUS(オーカス)といった、中国をけん制する枠組みに熱心に取り組んだ。力による現状変更を阻止し、自由と人権、法の支配といった基本的な価値を守るため、中国に毅然とした態度を見せることは重要だ。しかし、圧力をかけるだけでは、安定した関係を築くことはできない。

  12月に開いた民主主義サミットも、圧力装置以上のものには見えにくかった。中国やロシアの首脳も招いたうえで、民主主義について自由に議論する場にしたほうがましだったのではないだろうか。

サステナビリティの視点

  いささか強引なのを承知のうえで、「大移行期」というフレームを設定してみた。頭の体操のようであるにせよ、多少意味があると思うのは、日本が未来とどう向き合うべきかを考える手掛かりになると考えるからだ。

  脱炭素、AIとデジタル、米中の3つとも、必要なのは「サステナビリティ」の発想ではないだろうか。温暖化防止のための脱炭素はもちろんのこと、AIとデジタル技術を的確に使いこなすことも、米中対立を管理することも、21世紀の世界と人間社会を持続可能なものにすることと捉えれば、共通点がある。

  経団連は20年から「サステイナブルな資本主義」を掲げている。21年に発足した岸田政権が唱える「新しい資本主義」も、サステナビリティが隠れたキーワードではないかと思う。

イニシアチブを取る

  SDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境、社会、企業統治)という言葉が日本でもすっかり定着してきた。さらに対象を広げて、「サステナブルなAI」、「サステナブルな米中関係」といった視点で考えてみてはどうか。

  国際的な規制やルール、目標設定をめぐる議論はこれから一段と活発になっていくだろう。イニシアチブを取る者は、自分たちの考え方や内部事情をグローバルな議論に反映させやすい。日本はこの点、甚だ心もとない。受け身でいると、最先端の議論から取り残されるばかりか、理念のない国というレッテルを頂戴することにもなりかねない。移行期とは、次の時代の下書きが進むときなのだ。

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