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刀祢館久雄のエコノポリティクス

経済制裁というハードパワー

 

2022/03/08

 ウクライナの惨状が続いている。よその国に軍隊を送り込んで殺戮と破壊を繰り広げているのに、なぜやめさせることができないの?子供にそう問われても、私たちには明確に答えるすべがない。そんな非情な現実をロシアの暴挙は突き付けた。

国家の横暴をだれが取り締まるか

 国家の横暴を取り締まる「平和の番人」であるはずの国連安全保障理事会では、ウクライナ侵攻を非難する決議案を当のロシアが拒否権を行使して葬った。中国とインドの2大国は賛成票を投じずに投票を棄権し、米欧諸国などと一線を引いた。

 国連総会の緊急特別会合が3月2日に、141カ国の賛成を得て、「最も強い言葉で遺憾の意」を表し、ロシアに「軍の即時かつ無条件の撤退」を求める決議を採択したのは救いだ。国際社会を代表する声が集約されたといえる。

 しかし、総会決議に拘束力はなく、ロシアを取り締まることはできない。決議案への反対は5カ国だったが、中印を含む35カ国が棄権に回った事実も気を重くさせる。

イラク非難決議を支持したソ連

 まだソ連が存在していた30年あまり前の夏、記者としてニューヨークで国連を取材していた。イラクがクウェートに軍事侵攻した1990年8月2日、朝の5時過ぎに開いた安保理は、イラクを非難し、クウェートからの即時撤退を求める決議を15カ国中、14カ国の賛成で採択した。残る1カ国は、本国からの訓令が来ていないとして投票に参加しなかったイエメンだった。

 暫定版と付されたこの日の議事録を見ると、ソ連の代表がこう発言している。「我が国は決議案を支持する。武力による侵略をただちに停止するよう期待する」。中国も「国家間の紛争は力でなく平和的に解決されるべきだ」と代表が述べたうえでイラク非難に加わった。

 イラクが撤退に応じなかったため、安保理は貿易・金融取引を禁止する経済制裁、さらに武力行使の容認決議へと歩を進めた。翌91年の1月、米国主導の多国籍軍が国連のお墨付きのもとで軍事介入し、イラク軍をクウェートから駆逐した。

常任理事国の暴走

 国連が機能した例だったといえるが、課題と未解決の問いも残した。経済制裁ではイラクの態度を変えることができなかったこと、そして、もし安保理で拒否権を持つ常任理事国が暴走したら、どうすればよいのかという点だ。

 2014年にロシアがウクライナのクリミアを併合し、懸念は現実のものとなった。国連は手出しできず、米欧などによる制裁もロシアの行動を変えるには力不足だった。

 普通の国であれば許されない行為が、常任理事国ゆえにまかり通ってよいはずがない。とはいえ、それを取り締まる手立てが国連にはない。そんな弱点をいいことに、ロシアは今回、一気に欲しいものを奪いに動いた。

直接介入に距離置くNATO

 ロシアが核兵器を大量に持つ軍事大国であることも、米国を盟主とする北大西洋条約機構(NATO)の反応を制約している。ウクライナはNATO加盟国でなく、NATO側に防衛義務はない。そのことを置いても、ロシアとの軍事衝突は世界を巻き込む大規模な戦争にエスカレートする恐れがあり、慎重にならざるを得ない。

 プーチン大統領もその点を見切っているのだろう。領空を飛行禁止区域にしてほしいというウクライナの要請をNATOは受け入れにくい。ロシアの戦闘機の往来を阻む態勢を取れば、NATOが参戦したものとロシア側に扱われかねないからだ。ストルテンベルグNATO事務総長は「我々はこの戦争に加わっていない」と言明した。

 核戦力をちらつかせて威嚇したり、ウクライナの原子力発電所への攻撃が伝えられたりと、ロシアの行動は常軌を逸している。プーチン大統領を合理的なアクターとみなすことはできない。

エリツィン氏の提案

 クリントン米政権で国防長官を務めたペリー氏らは共著「核のボタン」で、米ロ首脳のこんなエピソードを紹介している。プーチン氏の前任大統領のエリツィン氏が、2度にわたって当時のクリントン米大統領に、核兵器の発射命令を出すときに使う機器を常にそばに置くのを互いにやめないか、と提案したという。

 エリツィン氏の真意は定かでないが、クリントン氏の反応は鈍かったと同書は指摘している。ポスト冷戦の時代が始まったばかりの1990年代、ロシアの米欧諸国への姿勢がずっと穏やかだった時代の話だ。

 経済制裁の有効性という問題はどうか。湾岸戦争後もフセイン体制は存続し、経済制裁も続いたが、イラクの行動変化を引き出すことはできなかった。米国は結局、2003年のイラク戦争で武力によってフセイン体制を崩壊させた。

金融制裁重視にシフト

 米国はこの20年ほどの間に、経済制裁の強度を高めて多発するようになっている。01年の米同時テロの後、テロ組織の資金を断つために金融制裁を重視するようになったのがきっかけとされる。

 基軸通貨国の立場を生かして、米ドルを使う取引の決済を差し止めるといった金融制裁の効果は大きい。イランは原油輸出に支障をきたし、核計画を制限する代わりに制裁を解除する国際合意を2015年に受け入れた。北朝鮮も制裁に苦しんだことが、18年のトランプ大統領と金正恩総書記との首脳会談開催の背景になった。

 しかし、イランの核合意からはトランプ政権が一方的に離脱し、合意の再建を目指して仕切り直し中だ。北朝鮮は米国に何ら歩み寄ることなく、いまも制裁が続く中でミサイル開発にまい進している。経済制裁が最終的にどんな影響を及ぼすかは、時間をかけて検討する必要がある。

ロシアの締め出し狙う

 今回のロシアの暴挙に対し、米主導で日本も参加を表明した経済制裁でも、金融分野が目玉になっている。プーチン大統領個人や大統領に近い富豪の資産凍結も含まれるが、とくに高い効果を期待されているのが、国際銀行間通信協会(SWIFT)からの排除による国際決済網からの締め出しだ。外国との資金のやり取りを制限して、ロシア経済を孤立させることを狙う。

 ブリンケン米国務長官は、ロシアからの原油輸入を禁止する可能性を欧州諸国と協議していることを明らかにした。一連の経済制裁がフル稼働すれば、クリミア併合後の制裁とは比べものにならない強度になり、ロシア経済に与えるダメージは甚大なものになる。

 課題も少なくない。制裁網に抜け穴や弱点はないかという点、独裁体制のもとでは、市民生活に深刻な影響が及んでも政権が態度を変えない恐れがあること、そして制裁する側や世界経済にも相当な打撃が及ぶことだ。

エネルギー依存の悩み

 欧州連合(EU)はSWIFTから排除する金融制裁の対象に、ロシア最大手の銀行などを含めていない。ロシアの天然ガスへの依存度が高いドイツなどは、輸入が途絶すれば影響が大きいので、決済のルートを残す意味だ。ショルツ独首相は、ロシアのエネルギーが当面必要だと主張している。代わりを手配しようにも短期間では難しいのが現実だ。

 ドイツは、当初慎重だったとされるSWIFTを使った制裁を受け入れ、ロシアとの新しいガスパイプライン計画(ノルドストリーム2)の凍結にも踏み切った。対ロ強硬姿勢に転じたとはいえ、ロシア排除を徹底し切れない苦悩が露わだ。ロシア産原油の禁輸で米欧が一致できるかも不透明だ。

 制裁の効果という点では、制裁網の外にいる中国が、どこまでロシアに協力して抜け道の役割を果たしていくかもポイントになる。この点で中国の意向ははっきりしない。

 軍事力というハードパワーでなく、経済をハードパワーとして用い、侵略者の行動を変えることはできないか。昔からの問いに、いま世界は切実に直面している。イランや北朝鮮に対しては国連安保理が制裁を承認したが、今回はそれが望めない。経済制裁に伴う負担が大きいことも覚悟しなければならない。

「冷戦が本当に終結した日」

 父ブッシュ政権の国務長官として冷戦終結期の米外交を担ったジェームズ・ベーカー氏は、回顧録「シャトル外交 激動の四年」の冒頭の章で、イラクのクウェート侵攻直後のソ連とのやり取りを描写している。1990年の8月3日、ベーカー氏がモスクワに飛んでソ連のシェワルナゼ外相と空港で取りまとめた共同声明で、米ソはイラクを厳しく非難した。

 ベーカー氏は、宿敵だった米ソが共同声明で手を結んだことの意義を強調し、「冷戦はついにモスクワ郊外の空港で最後のひと呼吸を終えた」と感慨深げに総括している。「冷戦が本当に終結した日」というこの章のタイトルになぞらえれば、ロシアがウクライナに侵攻した2022年の2月24日は、どう歴史に刻まれるのだろうか。

 世界経済は非常時モードに入った。日米欧などによる経済制裁に加え、ロシアでの事業を停止する民間企業が相次ぐなど、国際的な圧力は確実に強まっている。自発的なロシア離れの動きはさらに広がっていくだろう。常軌を逸した行為の一刻も早い停止に向けて、国際社会の結束力が問われている。

(参考文献)

・ウイリアム・J・ペリー、トム・Z・コリーナ(田井中雅人訳)「核のボタン 新たな核開発競争とトルーマンからトランプまでの大統領権力」(朝日新聞出版)

・ジェームズ・A・ベーカーⅢ、トーマス・M・デフランク(仙名紀訳)「シャトル外交 激動の四年」(新潮文庫)

・杉田弘毅「アメリカの制裁外交」(岩波新書)

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