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刀祢館久雄のエコノポリティクス

リアリズム外交とドクトリン

 

2022/06/22

 岸田文雄首相が「新しい資本主義」、「新時代リアリズム外交」そして「平和のための岸田ビジョン」と、新しさや独自性をアピールするスローガンや政策方針を相次いで打ち出している。激動の時代に、新しい視点で取り組もうとする意欲は買いたい。だが、こうしたスローガンが何を意味し、何が新しいのか、まだピンとこないと感じるひとは多いのではないか。 

首相の基本的考え方示す?

 「新しい資本主義」については、6月7日に2つの重要文書が閣議決定された。いわゆる骨太の方針(経済財政運営と改革の基本方針2022)と、「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」だ。 

 外交分野では、6月10日にシンガポールで岸田首相が講演し、「平和のための岸田ビジョン」を示した。経済から外交・安全保障まで、首相の基本的な考え方がひとそろい出てきたように見えるのを受けて、その意味と課題を考えてみたい。 

 新しい資本主義の実行計画には、重点投資分野として、人への投資、科学技術・イノベーション、スタートアップ、グリーンとデジタルが並んだ。いずれも重要な項目であり、常識的なラインナップといえる。 

「新しい資本主義」とは

 他方、首相が就任前に唱えていた「新自由主義からの脱却」といった強めの表現や、分配政策に前のめりの印象の施策は鳴りを静めた。代わって成長戦略に目配りした感が強いのは、市場や経済界、自民党内の声に配慮した結果だろう。 

 成長重視は妥当な判断であり、「人への投資」も言わずと知れた重要課題だ。一方、踏み込んだ改革など、ダイナミックさに欠け、従来の経済政策の延長では、という印象がつきまとう。何がどう「新しい」資本主義なのかという謎は残ったままだ。 

 岸田氏自身の言葉を聞いてみよう。首相は5月、ロンドンの金融街シティでの講演で、「新しい資本主義とは何か。一言でいえば、資本主義のバージョンアップだ」と述べた。そして、資本主義はこれまで「市場か国家か、官か民か、振り子のように大きく揺れてきた」が、新しい資本主義のもとでは「市場も国家も、官も民も」だと説明した。 

 これでは単に「あれもこれも」と言っているようにも聞こえ、焦点がいまひとつはっきりしない。骨太の方針で、財政健全化に向けた書きっぷりに曖昧さが伴うのもいただけない。 

「新時代のリアリズム外交」の謎

 「新時代リアリズム外交」の方はどうか。今年1月の施政方針演説で岸田首相は、「日本外交のしたたかさが試される一年」になるとして、「新時代リアリズム外交」を展開すると述べた。その3つの柱として①自由、民主主義、人権、法の支配といった普遍的価値や原則を重視する②気候変動問題など地球規模の課題に取り組む③国民の命と暮らしを断固として守り抜く――ことをあげた。大事なものばかりだが、それでは「新時代リアリズム」とは何なのか、となると、やはりわかりづらい。 

 岸田首相は政権発足以来の外交を、総じて危なげなくこなしてきた。ロシアのウクライナ侵攻を強く非難し、対ロ経済制裁で米欧各国のスクラムに加わった。5月下旬の日米豪印のクアッド首脳会議も、ホスト国として手堅く取り仕切った。まずは合格点といえるだろう。 

 日本経済新聞とテレビ東京が5月27―29日に実施した世論調査で、ウクライナ侵攻への政府の対応を「評価する」は69%にのぼった。内閣支持率は66%と高い。6月17-19日実施の世論調査では、物価高への不満を背景に支持率が60%に下がったとはいえ、なお堅調な水準だ。このまま7月10日の参院選を乗り切れば、大きな国政選挙のない「黄金の3年間」が待つ。 

 一方、6月の世論調査で内閣支持の理由を見ると、「政策がよい」「指導力がある」は8-9%にとどまり、「人柄が信頼できる」「安定感がある」が25-27%前後と高かった。政策の内容よりも、信頼感や安定感というイメージが先行していることが伺える。 

踏み込む防衛力増強

 そんな中で、踏み込み感を見せているのが防衛力の増強だ。岸田政権は骨太の方針に、「防衛力を5年以内に抜本的に強化する」と期限をつけて書き込んだ。中国や北朝鮮に対する安全保障上の懸念が高まっていたところに、ロシアのウクライナ侵攻の衝撃が加わり、国際環境は厳しさを増す。 

 北大西洋条約機構(NATO)各国は、国内総生産(GDP)比の国防費を2%に引き上げる方針を決めている。ここは日本も前に踏み出すときと判断したのだろう。自民党も参院選の公約で、防衛費のGDP比2%以上も念頭に置くと宣言した。長年、GDP比1%前後で推移してきた防衛費を、5年程度で倍増することを視野に収めることになる。 

 防衛力増強は、国際公約であるかのように、10日のシンガポール演説でもうたわれた。米中の国防相も参加したアジア安全保障会議(シャングリラ会合)で首相が表明した「平和のための岸田ビジョン」は、5本柱から成る。①ルールに基づく自由で開かれた国際秩序の維持・強化②安全保障の強化③「核兵器のない世界」に向けた現実的な取り組み推進④国連安保理改革を始めとした国連の機能強化⑤経済安全保障など新しい分野での国際的な連携の強化――だ。 

 ②の安全保障強化について、首相は「日本の防衛力の抜本的強化および、日米同盟、有志国との安全保障協力の強化を車の両輪として進める」と述べた。そのうえで、「防衛費の相当な増額を確保する決意だ」とし、国民の命と暮らしを守るために何が必要か、「現実的に」検討していくと表明した。「日本の平和国家としての在り方は不変」と付け加えるのも忘れていないが、ポイントが防衛力強化にあるのは明らかだ。 

「プラグマティックなDNA」

 防衛費の大幅引き上げには、国内世論も支持に傾いているようだ。上記の6月の世論調査で、5年以内に防衛費を大幅に増額する政府の方針に「賛成」は54%と、「反対」の37%大きく上回った。内外の情勢を見据えた、まさにリアリズムに基づく安保政策だと首相は考えていることだろう。 

 岸田氏は、自身が率いる自民党の派閥、宏池会(岸田派)について、リベラルとかハト派と見られているが、吉田茂、池田勇人という過去2人の首相が残した「プラグマティックな政治的DNA」が会のリーダーに脈々と受け継がれている、と2020年に出した著書で述べている(注1)。 

 「リベラル派は外交・安全保障問題で軟弱」と見られることを嫌う心理が、プラグマティックでリアリズムに基づく外交、というアピールにつながっているのかもしれない。もちろん、空疎な絵空事に走らない、地に足のついた現実的対応は重要だ。しかし、そのうえで、もう少し中核となる理念や考え方、政策原理を聞きたいと思うのは、ない物ねだりだろうか。 

米ソ冷戦期の外交原則

 外交・安全保障の戦略や政策に関連して、「ドクトリン」という言葉が使われることがある。外交思想や原則、といった意味合いで、古くは米国のモンロー・ドクトリン(宣言)が有名だ。第5代大統領のモンローが1823年に発表した外交原則で、欧州諸国による南北米大陸への干渉に反対し、代わりに米国も欧州に干渉しないとする相互不干渉を主張した。 

 第2次大戦後の国際秩序形成期には、トルーマン・ドクトリンがある。米ソ冷戦時代の始まりと、米国が自由主義世界を防衛することを宣言したものとして歴史に刻まれる。 

 東側の盟主・ソ連の側には、ブレジネフ・ドクトリンと呼ばれる考え方があった。社会主義共同体の利益は、各国の個別の利益に優先する、というもので、「制限主権論」とも言われる。1968年にチェコスロバキアで改革運動「プラハの春」が起きた際に、ソ連が軍事介入を正当化するために持ち出した理屈だ。 

 ウクライナ侵攻直前のロシアを分析し、その外交原則を「プーチン・ドクトリン」と呼んだ専門家もいる。米国のロシア研究者、アンジェラ・ステント氏は今年1月に米外交誌で、このドクトリンについて、欧米諸国にロシアを、かつてのソ連のように近隣地域に特別な権利を持ち、あらゆる重大な国際問題に発言権を持つ大国として扱わせることだ、と指摘した(注2)。 

振れる米国の介入姿勢

 ロシアはさておき、米国の歴代大統領のドクトリンをもう少したどってみよう。本人が「ドクトリン」と称したというより、事後的にそう呼ばれるのが通常のパターンのようだ。 

 米国がベトナム戦争に疲弊していた1969年には、ニクソン大統領がアジアへの軍事的関与を抑制する方針を打ち出した。このニクソン・ドクトリンは、中国との関係改善に向けたメッセージでもあった。その後、実際に米中は急接近している。 

 2001年の米同時テロを受けて、ブッシュ大統領はテロの脅威に対する先制攻撃の権利を主張した(ブッシュ・ドクトリン)。この政権は大規模な介入路線を断行し、アフガニスタンとイラクに派兵した。 

 一転して軍事介入に慎重になったのが、次のオバマ大統領だ。「米国は世界の警察官ではない」と宣言し、軍事力の代わりに経済制裁による影響力行使を狙った。当時、副大統領だったバイデン氏は、大統領になってからも同様の路線を目指したように見える。21年夏にはアフガンからの米軍撤退を決行した。対外関与の絞り込みには、中国との競争に集中したいという思惑があるのも明白だった。 

バイデン大統領のプラグマティズム

 では、バイデン大統領に「ドクトリン」と呼べるような政策原理はあるだろうか。この5月に急逝した中山俊宏・慶応大教授は、4月に出版された本の論文「バイデンの非・世界観外交」で、バイデン・ドクトリンはない、と分析していた(注3)。バイデン氏の外交は、「こういう世界を導きたいという意志に貫かれたものではなく、問題を処理していくという発想に基づく外交だ。プラグマティズムといってもいい」と指摘した。 

 さらに、こんな見立てだ。バイデン氏は政治家としての長いキャリアの中でも、反戦派から介入派、そして抑制派へと移り変わった。「民主党の主流派の対外政策に関する感覚を察知し、それに基づいて『外交通』としての影響力を発揮してきたというある種の『一貫性』」を見出すことができる」という。 

 バイデン大統領と岸田首相には、党内の風向きを入念に意識しながら、目の前の問題を処理していくプラグマティストという共通点があるのだろうか。それとも、それとは異なる本質も内に持っているのか。今後の政策を見るうえで、興味深い問いになるだろう。 

戦後日本のドクトリン

 日本にも、過去の首相に関連した「ドクトリン」と呼ばれる政策がある。筆頭格は、岸田氏が「プラグマティックな政治的DNA」を宏池会に残したとする吉田茂首相の名を冠したものだ。この「吉田ドクトリン」は、第2次大戦後の日本のあり方として、米国との同盟関係を軸とした安全保障体制、そして防衛力は抑制し、経済成長を重視するという「軽武装・経済重視」の路線を意味する。 

 吉田茂は著書「日本を決定した百年」で、日本がサンフランシスコ講和条約を結ぶ前の1950年に米側から再軍備を求められたが、反対したと述べている。その理由として、軍備に伴う巨額の支出は日本の経済復興を遅らせること、敗戦の傷を負った国民心理、アジアの近隣諸国を刺激しかねないことをあげている。戦後の復興期を過ぎても、日米同盟・軽武装・経済重視のセットは、長く日本の国家モデルの柱であり続けた。 

 もうひとつ、よく知られるのが1977年に福田赳夫首相が表明した対東南アジア政策(福田ドクトリン)だ。①日本は軍事大国にならない②心と心の触れ合う関係を築く③対等な協力者の立場から東南アジア全域の平和と繁栄に寄与する――という3つの原則から成る。 

 これらを盛り込んだスピーチ作成に外交官としてかかわった元駐ロシア大使の枝村純郎氏によると、軍事大国化の否定という柱は事務方の当初案になく、福田首相の指示で加えられたものだった(注4)。 

どんな役割を果たすか

 2つのドクトリンから時代は移り、日本の防衛力に対する国民の意識も変わってきた。経済安全保障という新分野への取り組みも進み、今年5月に新法が成立した。半導体など戦略物資の供給網強化や、基幹インフラの安全確保など、守り固めを目指す。年内に、国家安全保障戦略などの基本文書も改定する予定だ。今年は、日本の安全保障政策にとって節目の年になる。 

 そこで問われるのは、日本が何を目指し、世界でどのような役割を果たすのかという国家戦略だ。国際環境の変化に受動的に反応するだけでなく、あるべき世界や地域秩序を構想し、実現に向けて能動的に働きかける姿勢である。 

 岸田首相はシンガポール講演の締め括りに、「自由で開かれたインド太平洋を次のステージに引き上げていく」と述べた。そうすれば、「明るく輝かしい世界が必ず待っている」と自信を見せた。しかし、「自由で開かれたインド太平洋」とは米中がどのような関係を取り結ぶ地域秩序なのか、ゴールは明確でない。「次のステージ」の意味するところもはっきりしない。 

米中関係のリスク管理

 インド太平洋地域が安定するには最低限、2つのことが必要だ。秩序を揺さぶる中国の動きを抑止すること、そして米中対立の危険なエスカレートを防ぐことである。この数年、日本は米国の対中抑止政策を踏まえつつ、クアッドの強化などで一定の成果をあげてきた。しかし、ここから先は、米中関係のリスク管理にも、もっと目を向けるべきだろう。 

 米中の当局者にも、対立の行き過ぎは危ないという認識が強まってきたのかもしれない。サリバン米大統領補佐官(国家安全保障担当)が6月13日に会談した中国の外交担当トップ、楊潔篪共産党政治局員に、米中間の競争を管理するため、対話を維持する重要性を強調したというのは前向きな動きといえる。バイデン大統領は近く習近平国家主席と直接協議する意向とされる。とはいえ、米中間の溝が簡単に狭まるとも考えにくい。 

 米政権の基本的な対中認識は相変わらず厳しい。ブリンケン米国務長官は5月下旬にワシントンで対中政策についての包括的な演説を行った。この中で、ウクライナ危機後も国際秩序への長期に及ぶ最大の挑戦は中国によってもたらされていると指摘し、国際秩序を書き変える意思と能力の両方をあわせ持つのは中国以外にない、と断じた(注5)。 

 いまのバイデン政権には、柔軟な外交政策を打ち出す政治的な余裕は乏しい。物価高の影響などで支持率は低迷し、秋の中間選挙で議会の主導権を共和党に奪われる可能性が高いと見られている。民主・共和両党の対立が深まれば、中国に譲歩する余地は狭くなる一方となろう。 

民主主義vs権威主義の危うい図式

 米国が対中戦略の一環として推進するインド太平洋政策に、インドや東南アジア諸国がどこまで協力していくかも不透明だ。 

 5月のバイデン氏訪日の際に発表したインド太平洋経済枠組み(IPEF)には、予想を上回る13カ国から参加表明があった。しかし、米国の市場開放がメニューになく、新興国を引き付けるには力不足になりかねない。もし米国がこの枠組みを露骨な反中連合に仕立て上げようとすれば、たちまち距離を置く国が相次ぎ、失敗に終わるだろう。 

 アジアでは、米中のどちらかを選ぶよう迫られるのはご免だと考える国が多い。バイデン大統領が描く「民主主義国家か権威主義国家か」という対立の図式も評判がよくない。 

 シンガポールのリー・シェンロン首相は5月下旬に東京で開いた国際会議「アジアの未来」で、米中関係を民主主義と専制主義の対立とみなすべきではない、との考えを示した。4月の米紙との会合でも、ウクライナ危機を民主主義と専制主義の戦いとして自動的に中国を敵側に位置付けてはならない、と主張している。 

 アジアに限った話ではない。米国が昨年12月に主催した民主主義サミットは、米国が認める国しか招待せず、世界の分断をあおる余計な政治ショーだった。この6月に開いた米州首脳会議では、民主主義の欠如を理由に米国が一部の国を招待しなかったことに反発し、メキシコなどの首脳が会議を欠席する始末だった。 

「フレンドショアリング」にも異論

 ロシアのウクライナ侵略という明確な不法行為に対してさえ、即時撤退を求める国連総会の決議案には、40もの国が反対ないし棄権に回った。もし「民主主義と権威主義の戦い」という図式を持ち出せば、関わりたくないと考える国はさらに増えるだろう。 

 イエレン米財務長官が唱えた「フレンドショアリング」という考え方にも異論が出ている。イエレン氏は4月の講演で「安全な貿易を目指すべきだ」として、信頼できる国どうしでサプライチェーンを構築するよう提案して注目された(注6)。 

 これに対し、元インド準備銀行(中銀)総裁のラグラム・ラジャン米シカゴ大教授は、「フレンドショアリングにノーを」と題する論評を発表し、対象が安全保障上の重要物資を超えて保護主義に陥ったり、貧しい途上国が排除されたりしかねないと厳しく批判した(注7)。 

中国を見る目

 東南アジア各国の中国を見る目にも注意が必要だ。外務省が5月に発表した東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国における対日世論調査によると、G20(主要20カ国)の中で今後重要なパートナーとなる国・機関として、日本を選んだ回答は43%の2位で、1位は中国(48%)だった。前回約2年前の調査では日本が1位で、今回は中国に抜かれた。米国はいずれも3位だった。 

 国によって対中姿勢に差はあるが、中国の存在は大きく、共存の道を探る以外にないという点に異を唱えるアジアの国はまずないだろう。日本の出番は、やはりこのあたりにあるはずだ。米中の競合と対立を、過度の中国抑止や分断・包囲への傾斜から、リスクの軽減と安定した関係構築へと促す役回りだ。それには日中の建設的な対話も前提になる。 

 佐橋亮・東京大准教授は日本経済研究センターが3月に刊行した報告書で、「米国と異なり、日本はもとから中国への期待・信頼が高くない反面、それゆえに中国への不信が新たに強く生まれているわけでもない」とし、日中関係はその意味で「対話や外交を通じてリスクに向かい合う余地が多いはず」であり、「リスクを管理し、緩和することはできるはずだ」と説いている(注8)。 

2つの橋渡し役を

 岸田政権には、2つの橋渡し役を期待したい。ひとつは、インド太平洋諸国と米国の間をつなぎ、IPEFのような経済の枠組みを魅力的なものとして機能させたり、いずれ米国を環太平洋経済連携協定(TPP)に復帰させたりする役回りだ。もうひとつはいま指摘した、米中がリスクを緩和し、持続的で安定した関係を築くことに向けての橋渡し役である。 

 いずれも簡単ではないが、日本ならではの影響力を発揮できる部分は大きいはずだ。何のための防衛力の抜本的強化なのか、ということも、ここにつながっていかなくてはおかしい。 

 外務省OBの論客、宮本雄二・元駐中国大使は、「現実主義は、今の現実を生き抜くには最適のやり方だが、現実そのものを変える力はないのだ。現実を変える力は理想主義が与えてくれる」と書いている(注9)。確かに、理念を伴わない現実主義では、現実の根幹を変えるのは難しい。そこで求められるのは、理念を巧みに現実に落とし込む政策を立案する知恵だ。

 岸田首相が掲げる「自由で開かれたインド太平洋」や「核兵器のない世界」という理想や理念と、「新時代のリアリズム外交」という現実主義と、この2つをどうつなげ、あるいは組み合わせて、理念を現実のものにする道筋を描くかが、これからの重要課題になる。もしこの点で的確なアプローチを示すことができれば、それが日本の新たな外交ドクトリンとして後世に残るのかもしれない。 

* * * * * *

(注1) 岸田文雄『核兵器のない世界へ――勇気ある平和国家の志』(日経BP、2020年)

(注2) Angela Stent,“The Putin Doctrine――A Move on Ukraine Has Always Been Part of the Plan,”Foreign Affairs, January 27, 2022

(注3) 佐橋亮、鈴木一人編『バイデンのアメリカ-その世界観と外交』(東京大学出版会、2022年)所収 

(注4) 枝村純郎『外交交渉回想――沖縄返還・福田ドクトリン・北方領土』(吉川弘文館、2016年) 

(注5) Antony J. Blinken, ”The Administration’s Approach to the People’s Republic of China,” speech at The George Washington University, May26, 2022 

(注6) Transcript: US Treasury Secretary Janet Yellen on the next steps for Russia sanctions and ‘friend-shoring’ supply chains, speech at the Atlantic Council, April 13, 2022 

(注7) Raghuram G. Rajan, “ Just Say No to “Friend-Shoring,”” Project Syndicate,Jun3, 2022 

(注8) 佐橋亮「東アジアにおける安全保障リスク」(日本経済研究センター「アジア研究」報告書『東アジアリスクと日中関係』、2022年) 

(注9) 宮本雄二「東アジア情勢と地域安全保障体制の構築」(同上) 

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