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刀祢館久雄のエコノポリティクス

ジョンソン失政のツケ背負う英国

 

2022/09/06

 英国の新しい首相にリズ・トラス氏(47)が決まった。前任のボリス・ジョンソン氏の不祥事による辞任に揺れた保守党政権の立て直しを目指すが、新鮮さに乏しく前途は厳しい。欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)を先導して国民に負の選択をさせたあげく、きちんと後始末をしないまま去るジョンソン氏が、英国と世界に残したツケは大きい。

ブレグジットの負の影響

 はじめに断っておくが、筆者は英国がブレグジットで一気に衰退していくとは考えていない。EU離脱を決めた2016年6月の国民投票の前後、3カ月にわたってロンドンに滞在し、英国の状況を間近に見た。帰国後に書いたコラムで、外国からの投資などを引き付ける英国の底力を見くびるべきではない、という趣旨の話を書いた(注1)。

 当時、日本では英国の将来への過剰なまでの悲観論が目立つと感じた。その行き過ぎに注意を促す趣旨だった。この見方はいまも変わらないが、どちらが良かったかと言えば、EUに残ったほうが良いに決まっているというのもまた、当時も今も変わらない。

 その後、ブレグジットを実現するまでの英国の迷走ぶりは、予想を上回るものだった。移行期間を終えて「完全離脱」してからは、対EU貿易での通関手続き発生や、人の移動の自由がなくなって移民労働者が減ったことなどが、英経済の足を引っ張っている。足元で10%を超える物価高騰も、ブレグジットによる人手不足が一因になっている可能性がある。経済面では負の影響のほうが大きいのは明らかだ。

EUに合意変更迫り対立

  ジョンソン氏については、難航したEUとの離脱交渉をまとめ上げ、「合意なき離脱」に陥ることを避けたことや、対中けん制を意識しながらインド太平洋重視の外交政策を推進したことを、評価する人もいるだろう。ロシアが侵攻したウクライナを強力に支援する姿勢も、印象深かったかもしれない。

 しかし、よく考えてみたい。ジョンソン氏は国民投票の当時、首相だった同じ保守党のキャメロン氏に反旗を翻し、大々的に離脱キャンペーンを率いた。言ってみれば、国の進むべき道を誤らせた張本人だ。そればかりか、既に確定しているEUとの離脱合意を変更すると言い出して、EU側の怒りを買っている。ジョンソン政権を国際貿易相や外相として支えたトラス氏は、この問題でEUに簡単に妥協しない方針と見られている。

北アイルランド問題という難関

 EUとの間でもめているのは、北アイルランドの扱いに関する合意の部分だ。日本からは小さな問題に見えるかもしれないが、これこそが、ブレグジット実現の最難関だった。国民投票で離脱派に敗れ退陣したキャメロン氏の後、首相としてブレグジット実施に取り組んだメイ氏は、この問題で立ち往生し、辞任に追い込まれた。

 ロンドンがあるグレートブリテン島の西に浮かぶアイルランド島は、EU加盟国であるアイルランドと、英国に所属する北アイルランドの南北2つに分かれている。かつて、北アイルランドの帰属をめぐって武力紛争が展開された歴史がある。ともにEUの中にあった南北アイルランドの間に、ブレグジットによって厳格な国境管理が復活すれば、再び地域が不安定になりかねないと懸念された。

 そこで、南北アイルランド間に物理的な国境を置かず、代わりに北アイルランドとグレートブリテン島との間で通関手続きをするなどの案でまとめたのが、ジョンソン氏だった。しかしこの方式だと、北アイルランドと英本土との間に経済上の境界ができる。当然、親英派の住民は不満を持つ。

 「ブレグジットのトリレンマ」と呼ばれる問題だ。①アイルランド島の中で南北の厳格な国境管理(ハードボーダー)を導入しない、②英国内にボーダーをつくらない、そして③英国はEUの単一市場と関税同盟にとどまらない。この3つをすべて満たすことは、論理的にまず不可能だ。メイ氏はこのトリレンマから最後まで抜け出せなかった。

抜け出せていなかったトリレンマ

 後継首相になったジョンソン氏は、「Get Brexit Done(ブレグジットをやり遂げる)」を掲げて2019年の総選挙に勝利し、上記の②(英国内にボーダーをつくらない)を切り捨てることによって難題を決着させた。だが、トリレンマを回避したように見せたことには、無理があった。

  ブレグジットが実施されてから、北アイルランドに関するEUとの取り決めを変更し、英国内のボーダーを緩めたいと言い出したのだ。つまり、切り捨てたはずの②の、部分的な復活にあたる。やはり、トリレンマから抜け出すことはできていなかった。

 ジョンソン氏がもし当初から、いずれ合意を都合のよいように変更すればよい、と考えていたのだとすれば、EUに対して不誠実極まりない態度ということになる。胸の内は不明だが、この身勝手な要求にEU側は怒り、法的手続きに入るとまで表明している。

インド太平洋重視は必然

  ジョンソン氏はもともと、理念や信念よりも打算で動く人物という印象が強かった。国民投票でブレグジット推進派に回ったのも、英国の将来を考えてというより、政治家としての存在感をアピールするための賭けの道具だったという見方には説得力がある。

 インド太平洋重視というジョンソン政権時代の政策が、日本にとって歓迎すべきものだったのは間違いない。とはいえ、EUを離脱した英国にとって、欧州以外の国や地域との関係強化に動くのは必然といえる。だれが英国の首相であっても同じ道を選んだだろう。

 メイ氏も首相当時、日本を重視し、インド太平洋地域での日英協力を強化する意向を示した。中国への警戒感を強め始めたのもメイ政権時代からだ。ドイツやフランスも相次いでインド太平洋戦略を打ち出しており、英国だけの動きということでもない。

新首相を決めた保守党員とは

 トラス氏は40代の清新なリーダーとして、新しい風を起こすだろうか。もしジョンソン氏の単なる後継者にとどまるのであれば、大きな期待は持てそうにない。留意すべきは、保守党党首選の最終投票でトラス氏を選んだのが、英国の有権者の中で限られた属性のグループだった点だ。

 英BBCがサイトに掲載した英国の大学の研究によると、保守党党員の構成は男性が63%を占め、年齢は65歳以上が39%にのぼる。年齢が高めの白人男性が多く、ブレグジットの国民投票では、実に76%が離脱を支持したという。党首選で投票資格のあった党員は約17万人で、有権者全体の0・3%程度に過ぎなかったと見られている(注2)。

 ユーガブが党首選の直後に実施した世論調査によると、トラス氏の首相就任を歓迎するとの回答は22%にとどまり、「失望した」が50%にのぼった。ジョンソン氏より良い首相になる、との回答は14%しかなかった。保守党はジョンソン氏の影を引きずり、平均的な国民の期待とは無関係に、新しい首相を決めてしまったと言わざるをえない。

 新首相にとって、目下の最大の国内政策課題はインフレへの対応だ。トラス氏は国民保険料の引き下げや、法人税引き上げの凍結などを打ち出す意向とされるが、財政規律を緩めれば物価上昇圧力につながりかねず、舵取りは難しい。外交面では、フランスとの関係に不安があるほか、バイデン米政権との相性もよいとはいえないようだ。

国民の声を聞けるか

 英国で3人目の女性首相になるトラス氏は、初の女性首相だったサッチャー氏を信奉するといわれる。サッチャー氏は、当時のレーガン米大統領と親密で強固な関係を築き、協力しながらソ連の指導者だったゴルバチョフ氏と渡り合い、冷戦終結に向かう時代を担った。ストレートな物言いが目立つトラス氏に、そうした力量はあるだろうか。

 英国民のブレグジットを見る目は厳しい。ユーガブによると、8月29日時点の世論調査で、英政府のブレグジットへの対応を「よい」と答えたのは28%にとどまり、「悪い」が62%にのぼった。6月時点の調査では、ブレグジットはうまくいっているとの回答は16%しかなく、54%がbadly(うまくいっていない、ひどい)と不満を示している。

 保守党の最近の支持率はライバルの労働党に押され気味だ。トラス氏は次の総選挙を2024年まで実施しない意向と受け取れる発言をしている。トラス氏率いる保守党政権が、国民の声を聞きながらブレグジットの負の影響を解消していかなければ、英国はジョンソン氏の残したツケを払い続けることになる。

 (注1)「英国は衰退の道歩むか」(日本経済新聞、2016年9月4日付朝刊)

 (注2) “How Liz Truss won the Conservative leadership race,” BBC News, https://www.bbc.com/news/uk-politics-60037657, “Tory leadership: Who gets to choose the UK’s next prime minister?,” https://www.bbc.com/news/uk-politics-62138041

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