本格的な量的緩和策導入の幕開け?―ECB、マイナス金利導入
2014/06/10
6月5日、欧州中銀(ECB)は、政策金利を0.1%引き下げ0.15%にすると同時に、民間銀行から資金を預かる場合の預金金利を、従来の0%からマイナス0.1%に引き下げると発表した。以下、ドラギ総裁による記者会見の質疑応答などを基に、ECBの金融政策と金融市場への影響について展望する。
①CPIに強い懸念「これで終わりではない」
まず、今回のECBによる決定は、政策金利の引き下げとマイナス金利導入にとどまらず、長期資金供給の供給を今後も続けること、資産担保証券(ABS)の買い取りを行う準備を加速させることなどを含んでいた。この点から、ECBとしては今月、かなり検討を重ねた上で一層踏み込み、包括的なパッケージを打ち出したと言える。その目的は、第1にユーロ圏の企業と個人に資金を行き渡らせ、第2に、その結果として域内のデフレ懸念の高まりを食い止めることにあった。
一方、金融市場では、当初は「マイナス金利の導入は、民間銀行による準備預金の減少につながり、準備預金制度の運営上問題ではないか」という見方が多かった。しかしドラギ総裁が従来から「技術的な問題については検討している」と述べてきたこともあり、今回の決定前にはマイナス金利の導入は、概ね市場では織り込み済みとなっていた。
それでは、今後の政策展開についてはどう見るべきか。筆者は、遠からず本格的な量的緩和策が導入されると考えている。そう考える第1の理由は、今回の記者会見における複数の質問に対し、当然ながら時期について明言することは避けつつ、「これで終わりではない(We aren’t finished here)」と繰り返し述べている点だ。第2に、この点とも関連して、今回の決定が2%に近い水準にインフレ率(CPI)に戻すための方策であるとした上で、直近5月のユーロ圏CPI速報値が0.5%まで低下したことについて、「期待を下回った」と述べ強い懸念を表明している。第3に、これまでのドラギ総裁の発言からすれば、市場で指摘されている「マイナス金利は準備金の減少につながるため、今後の量的緩和策を行いにくくなる」という点についても、実際に各国の短期市場と向き合っているドイツ連銀など各国中銀(NCB)との間で、ユーロ圏の資金市場を円滑に運営するため、何らかの取り決めがなされているのではないか*。
*深尾「欧州中央銀行のマイナス金利政策」は、マイナス金利の導入によって、ドイツの銀行に「中央銀行への預金を引き出して、直接周辺国の銀行に資金を貸し出すインセンティブが生まれる」という興味深い指摘を行っている。
②ユーロ圏内外の政策動向は今後も足枷に
次に、ECBを巡る内外の政治・政策情勢は依然多難である。
第1に、ユーロ圏内では、今回の緩和措置に対し、ドイツを中心に「各国が構造改革を進める動機を損なう」といった反発の声が高まっている。今回の記者会見でも、ドイツの立場を代表した複数の質問があり、これに対しドラギ総裁が「常に各国に対し構造政策の推進を求めているが、その達成状況は完全というには程遠い」と反論する場面があった。
ユーロ危機時の「ドイツなどの救済国と問題を抱えるギリシャなどの問題国」という対立の構図が、デフレ深刻化という新たな危機を前に改めて繰り返されている、といういい方もできるだろう。
第2に、今年5月に行われたEU議会選挙で、反EU、反ユーロを掲げる極右勢力が躍進したことの影響に対する質問も相次いだ。今回の選挙結果が直接各国の政治体制に変更をもたらす訳ではないが、依然問題を抱える国の政府が財政支出の削減を伴う構造改革を実施しようとする場合に、国民の反発が高まりやすい状況になっていることには留意すべきだろう。
第3に、ウクライナ情勢を中心とした地政学リスクが挙げられる。ドラギ総裁は今回の冒頭スピーチで、ユーロ圏の経済見通しについて引き続きダウンサイドリスクが強い理由として、まず地政学リスクを挙げている。ウクライナでは予定通り大統領選挙が行われ親欧州派のポロシェンコ大統領が誕生したが、ウクライナ国内の挙党体制の確立と東部の安定化、やや柔軟な姿勢を見せ始めたロシアに対する欧米の対応など、ウクライナを巡る国内外の情勢は依然、予断を許していない。
③米国市場発の「ドル高・ユーロ安」シナリオへ
最後に、今回のECBによる決定前後、市場ではユーロ圏の「日本化」が改めて話題となった。上に述べたように、ユーロ圏でデフレが深刻化し実体経済の低迷を強めるという「日本化」は、ECBの政策努力にもかかわらず、徐々に進んでいく可能性が高いだろう。
しかし、この点が市場、特にユーロの為替動向に与える影響をどう考えるべきだろうか。
第1に、ドラギ総裁が、ユーロ上昇に為替動向を注視する発言を繰り返している点である。今回の記者会見でも、為替動向に対する質問に対し、「直接の政策目標ではない」と断った上で、従来と異なり昨年はユーロの上昇がインフレ率の低下につながった面が大きいと述べている。先に述べたデフレ懸念の強さと考え合わせると、これらの発言からは、例えば1ユーロ=1.40ドルといった大台への上昇は阻止したいという強い意図がうかがえるのではないか。
第2に、2000年代後半、円高圧力が強まった背景には、デフレが深刻化し実質金利が上昇しただけでなく、米・欧発の世界的な金融危機が進む中で「相対的に安全な通貨」と位置付けられたことがある。現在の世界的な市場環境は、地政学リスク要因はあるものの、次に述べる米国要因を主な理由として、全体としてみれば安定化傾向にある。
第3に、ユーロ圏から為替市場に働きかけることが、政策目標からも、金融緩和のスピード感からも困難であるとすれば、今後、何が変化をもたらすことになるのだろうか。
世界的な市場環境を見渡した時、直近の大きな変化は、米国経済の改善が雇用情勢を中心に一段と確かになってきたことにある。これに対し、FRBが当面、慎重な姿勢を変えないとすれば、好調を続けてきた米国の株式市場が一旦調整し、依然相対的に低位にある米長期金利が上向く「良い金利上昇」が、ドルユーロレートにも影響を与えることになるのではないか。
5日のECB決定後、ユーロは対ドル・対円の両方で一時的に下落したが、決定内容がほぼ想定通りだったとして、その後回復している。今後については、以上のように、ユーロ圏経済の低迷が続き量的緩和の現実性が高まってくること、ユーロ圏内外の政策手詰まり感が続くこと、米国の市場要因によりドルの対ユーロ上昇が進むのではないか。そう考えると、一時的な調整を経て1カ月程度で見れば、ユーロドルは5日の決定直後の下落水準を超える1.35ドル台割れ、ユーロ円は135円の水準へ下落する展開となるだろう。
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