英国のEU離脱・3つのジレンマ-見えてきたリスク-
2016/07/11
英国の国民投票でEU離脱派が勝利後、現在も、英国からEUへの離脱通告のタイミング、その後行われる離脱協定・貿易協定の交渉の内容と期間などが明らかになっておらず、依然不透明な状態が続いている。
しかしそうした中でも、徐々に英国内外の事態が変化しており、いくつか問題点とその後の展開が明らかになってきた。以下、英国内の政治情勢、対EUとの交渉、国際関係の変化の3点について検討したい。
そこで見えてくるのは、英国がEU離脱へ向けた交渉を進めることは、結局英国自身を苦境に追い込むという展開だ。
英国内の政治情勢:狙いと結果の違いがもたらすジレンマ
EU離脱を問う国民投票は、そもそもキャメロン首相が自らの政策が信認され政治基盤を固めるための手段として、総選挙前に公約したものとされている。そうであれば、キャメロン氏は、英国民は最後にはEU残留という経済合理的な判断をすると期待していたはずだが、実際はそうはならなかった。
一方、ジョンソン・ロンドン市長はもともと親EU派だったが、離脱派に転じてキャメロン氏の政策との差別化を図り、国民投票では残留派を追い上げることにより政治的な影響力を維持することが目的だったとされている。
そのため、ジョンソン氏を含む離脱派は、離脱が現実となった際のシナリオが大枠に留まったまま、反移民感情などに流された「離脱のための離脱」ともいえるキャンペーンを繰り広げた。
以上のように考えると、残留派だけでなく離脱派も、当初の狙いと実際の結果が食い違ってしまったことになる。
国民投票後、ジョンソン氏が保守党戦に不出馬を表明したことは、国内・党内の残留派の反発を抑えながら、以下に述べる対EUとの難しい交渉を行う「汚れ役」となることを避けたという見方もできる。その後、強硬な離脱派である独立党(UKIP)のファラージュ党首も辞任の意向を明らかにした。
このように英国の指導者の誰もが、事前の意図と異なる結果が生まれたことへの対応に苦慮している。本来は残留派だが移民制限を主張しており政治手腕も手堅いとされるメイ氏が、消去法的といえる形で保守党党首に就任し、どのような内外政策のかじ取りを行うかという点が注目される。
EUと英国との今後の交渉:離脱決定に縛られ英国の交渉力が低下
次に、本来EU残留という本来、経済合理的な判断を行うはずだった英国民が、離脱を支持した後、その影響を見て結果を後悔するという「リグレジット」の状態にあるという声が伝えられている。
しかし今となっては、英国政府が、国民投票の結果に従わずEUに対する離脱通告を行わなかったり、再投票を実施したりすることは、民主国家である限り困難だ(但し、今後英国で行われる総選挙が実質的に再び賛否を問う場になるという見方がある)。
英国としては対EUの交渉について、離脱を前提に自国に有利な条件を勝ち取る交渉を進めざるを得ない。一方、先に述べたように、離脱に向けた英国内の体制は整っておらず、貿易政策についてEUに任せていたため、英国側で交渉を担う官僚の不在も指摘されている。そのため、英国はEUとの間で正式交渉を始めるまで、当面時間を稼ぎ、体制を整えることが必要になる。
しかし最終的にEUとの貿易交渉が進捗せず、EUといかなる形の貿易協定も締結できなければ、英国はこれまでのようなEUの単一市場への自由なアクセスは不可能となる。そのため、いずれかのタイミングで英国は、何らかの形でEUと貿易協定を結ぶために妥協しなければならない。このような立場に自らを追い込んだという意味で、英国が今回離脱にコミットしたことは、英国の交渉力を弱めることにつながったといわざるを得ない。
一方、EU側は英国に対し早期の離脱交渉を主張している。これは英国との交渉上、有利な立場に立つため、「脅し」を掛けている面がある。同時にEU内の結束を確認し、他のEU加盟国に離脱の機運が高まることを防ごうという内向きの意図があるだろう。
以上のように、国民投票後、EUと英国の力関係が変化している。こうした中で、離脱後の貿易協定のあり方として、単一市場へのアクセスなどの点においてEU加盟国と大きく変わらない「ノルウェー方式」が取り沙汰されている。
但し、元々シェンゲン条約にも参加しないなどEU内でも特別扱いされていた英国からすれば、EU法に従いEUへの拠出金の負担もあるノルウェー方式では、なぜわざわざ離脱を決めたにも拘らず、離脱前とどこが違うのかということになりかねない。
フィナンシャル・タイムズ紙のドイツ人コラムニストであるウォルフガング・ミュンショー氏は最近の寄稿で、ノルウェー方式によって得られる銀行免許のパスポートと自由貿易協定を締結することによって可能になる移民流入の制限は、二者択一であるとしている。
EUの側でも本音では英国との経済・貿易関係を維持したいとすれば、ある程度妥協の余地が生じる。その場合には、人の移動を制限しつつ包括的な自由貿易協定を結ぶ「カナダ方式」が議論の中心になっていく可能性が高いのではないか。
国際関係への影響:英国が「欧州の窓口」としての役割を失うリスク
最後に、世界の国際関係への影響を考えると、英国のEU離脱により最もメリットを受けるのはロシアであることは間違いない。ウクライナへの軍事介入について、対ロ強硬派である英国がEUを離れるため、EUによる経済制裁が緩和されるとの期待が高まっている。
米国は独仏などEU主要国と、対ロ政策の新たな枠組を模索しているが、進展には困難が予想される。ロシアと国境を接するEUの主要国は、ロシアと正面から対立したくない上に、本音では、親EU政策を取るウクライナに対し経済的な負担も考慮すると距離を置きたいと考えているためである。
最大の注目点は中国の動向だ。中国にとっては、昨年春、英国が欧州で初めてAIIB(アジアインフラ投資銀行)への参加を表明したことをきっかけに、仏独伊など欧州主要国の参加表明が相次いだ。英国にとっては、米国との親密な関係を多少犠牲にしても、経済メリットを重視し中国との関係強化を進めてきた。
その後、昨年秋には、キャメロン首相と習近平国家主席の間で、中国製の原子炉の購入など、大規模な経済協力案件が具体化された。
一方、国際金融市場であるロンドン・シティを擁する英国は、中国政府との関係強化により、人民元の取引・決済センターとなることを狙っていた。この点に関し、英国がEUを離脱してもシティは中国との関係があるから大丈夫、という見方さえあった。(本年3月付本レポート参照)
一方、今回の国民投票による各国の対英関係への影響はそれぞれ異なっているが、共通する点は、「英国がEUの中にいてこそ、付き合うメリットがあった」ということだ。特に中国は、上に述べたように英国を対欧関係強化の突破口として考えてきた面が強い。
金融面について、既にパリ・フランクフルトなどの主要市場に加え、オランダやアイルランドの小国等においても、これまでロンドンの金融市場が担ってきたさまざまな機能をシフトさせようという動きが始まっている。
金融に限らず貿易相手としても、中国からみて、英国単独ではそれほど魅力的とはいえない。英国が今後中国との経済関係に期待を寄せても、中国は英国に対し、より冷めた見方に変わっていくだろう。
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