何が欧州の崩壊を救うのか-新たな「枢軸」の形成へ
2016/08/12
7月13日、英国でメイ新首相が誕生してから、欧州情勢が新たな方向に向き始めている。そもそも、当初、英国の首相決定は今年9月から10月頃までかかるという見方もあっただけに、こうした早いタイミングで決定されたこと自体、事態の不透明性を多少とも低下させた。
先月の本レポート(「英国のEU離脱・3つのジレンマ」)では、英国はEUとの離脱交渉を進めるなか、内政・外交の両面で英国にとってのリスクが徐々に明らかになり、苦しい立場に追い込むことになるだろうと述べた。
以下、メイ新首相はこれらの点にどう対処しようとしているか、という観点から検討を始めたい。
メイ新首相の内政上の課題
先ず、メイ氏は、首相就任演説で、英国の内政を最優先する姿勢を示した。これは国民投票の結果が、英国内の地域間・世代間の分裂に根差していたことからすれば当然のことだ。特に当面は、各地方の動揺や反発を鎮静化させることが緊急の課題となっている。
この点から注目されているのは、英国からの独立について以前、国民投票を実施したスコットランドだ。しかし、野上義二前駐英大使は、7月の日本経済研究センタ-における講演で、スコットランド行政府のスタージョン首相は、英国からの独立とEUへの加盟は簡単ではないことを現実的に理解しているという見方を示した。即ち、スタージョン氏が今回の国民投票後、ブラッセルを訪問した目的は、今後英国政府との駆け引きで有利な材料を引き出すことにあったという見方だ。
これに対し、北アイルランドについては、アイルランド共和国との分断という問題がある。英国が国民投票を実施した6月23日、筆者は都内で、駐日アイルランド大使の講演に同席していた。大使は日本の高校生を前に、自ら北アイルランドのベルファストで学んだ経験などを基に、アイルランド人にとって、EUにより北アイルランドとの国境が実質的になくなったことの意義を切実に語った。メイ首相はこの点の重要性を認識しており、EUの国境ができることによりアイルランドとの国境管理を強化しない方針を、すでに示している。
EU離脱交渉の「本音」と「建前」
次に、EUとの離脱交渉について、メイ首相は離脱派のジョンソン氏を、離脱交渉の最前線に立つ外相に任命した。これには、本来は残留派であるメイ氏が、離脱交渉の「汚れ役」をジョンソン氏に命じたという見方がある。一方、国民投票前に「離脱ありき」のキャンペーンを行ってきた同氏らに対し、責任を持って実際の離脱に向けた道筋を付けることを迫ったといえる。
一方、メイ氏は、欧州各国の首脳に対しては「年内の脱退申請はない」と強調している。最大の理由は、貿易の分野を中心に、永くEUに加盟していたために、自国の政府に交渉を行うための十分なスタッフが揃っていないことにある。
これに対し、当初EUは、早期の交渉開始を英国に対し迫った。
しかしその後、就任からわずか1週間後の7月20日、メイ首相はドイツのメルケル首相と会談し、メルケル氏は交渉を急がないことについて一定の理解を示した。この変化の背景には何があるだろうか。
第一に、英国のEU離脱交渉は建前の上では今後進めていかなければならないが、本音では英国新政権及びEU共に「英国なきEU」は望んでいない、双方にとって不利益な状況だということだ。
英国新政権は国民投票の結果に従わざるを得ず、当初はEUとしても加盟国の動揺を抑えるために早期交渉を迫らざるを得なかった。しかし離脱決定後の状況をみて、後悔の気持ちが高まるという「リグレジット効果」が、他のEU加盟国へ離脱の動きが波及することを抑えている、という面もある。
第二に、それではこうした双方にとって不利益なジレンマ的ともいえる状況から、再び協力関係を築くためにはどうすればよいか。
来年以降に、英国の離脱申請から始まる離脱交渉、その後に予定される貿易協定を巡る交渉は、どのような枠組みを目指すにせよ、数年単位の長い期間が必要になる、いわば「建前の交渉」だ。それのみでは、英国にとっては金融機関と外資系企業の海外流出が進み、市場は英国のみならずEU全体の先行きについても、悲観的な見方を強めるだろう。
状況が一段と悪化することを防ぐためには、より早いタイミングで、指導者のレべルで「本音」の議論が行われ、実質的な合意に至る必要がある。
「独英枢軸」形成の可能性
以上のようなEUにおける本音と建前の使い分けは、かつてユーロ危機に対処する局面でもしばしば見られた。最近、国内でもよく取り上げられる英国の社会学者ギデンズの著書「揺れる大欧州」(原題:Turbulent and Mighty Continent)では、平時では欧州委員会と欧州理事会などの機関による意思決定が行われるが、危機対応時には、ドイツを中心とした少数の実力者により決定がなされてきた。
しかし、現状は以下のいくつかの点で、従来と異なっている面がある。第一に、欧州統合を進めるにあたっては、独仏が実質的な意思決定を担ってきた。しかし現状では、フランスにその力はなく、ドイツの一極支配となっている。これは、従来の「メルコジ関係」とは異なり、オランドが社会党、メルケルが保守党という立場の違いだけが原因ではない。フランスでは経済の低迷に対し国民の反発が高まっており、相次ぐテロへの対応に追われている。来年の大統領選挙へ向けオランド大統領は一段と「レームダック化」せざるをえない。
第二に、今回の英国とEUの離脱交渉は、英国・EUという当事者間を中心に行われる政治交渉であり、ユーロ危機時にIMF及びECBがさまざまな政策手段を用いて側面から支援した状況とは異なるということだ。ギデンスは、ユーロ危機時に、IMFのラガルド専務理事とECBのドラギ総裁もまた、少数の実力者であり、特にラガルド氏はメルケル氏との個人的な信頼関係があったことに触れている。
以上のように考えると、今後は英国とEUの離脱交渉を進める実力者は、現状メイ氏とメルケル氏以外に考えられない。今後、両者の間で進む議論が、欧州統合全体の方向性に影響を与えると言っても過言ではない。
第一に、メルケル氏の特徴は聞き上手で、最終的な落とし所と収束のタイミングを知っている所にある。ユーロ危機時、ギリシャ支援については、当初ドイツ国内の強硬な意見を代表しつつ、EUレベルでは他国と協議した上で、最終的にはドイツ国内も「やむを得ない」と納得させた上で、議論を収束させてきた。
第二に、今回の離脱を巡る議論については、単一市場へのアクセスと移民の流入規制は二者択一であり、英国の「いいところ取り」は許されないとするのが、ドイツ国内を中心とした原則論だ。
しかし、この点に関しては、首脳レベルの交渉が行われる段階で、必ずしも二者択一でない妥協案に収束していく可能性がある。そこで参考になるのは、今年2月、当時のキャメロン首相がEUとの間で協議したEU移民に対し4年間の福祉サービスの受給を停止することなどの妥協案だろう。
先に述べたように、EU側から見ても、政治的にも経済的にも弱小化する「英国なきヨーロッパ」を望んではいない。同時に、英国内の離脱派も、離脱決定による現実の影響を目にすることによって、徐々に許容水準を下げることになるだろう。
バックナンバー
- 2021/09/10
-
ユーロはどこに行くのか-期待とリスク-
最終回
- 2021/08/11
-
欧州復興基金と財政規律 -気候変動対応が試金石に-
- 2021/07/12
-
欧州のワクチン戦略- イノベーションか、途上国支援か-
- 2021/06/10
-
欧州と米国、対立か協調か-法人税とデジタル課税を巡る視点-
- 2021/05/10
-
欧州グリーンディールとAI・デジタル戦略 -何がイノベーションを阻むのか-