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林秀毅の欧州経済・金融リポート

欧州の量的緩和と市場・政治動向―2017年に向けた2つのリスク―

 

2016/12/12

 12月8日、欧州中欧銀行(ECB)政策理事会は、量的緩和策の期限を2017年3月末から同年12月末まで延長すること、延長された来年4月以降については債券買入れ額を月800億ユーロから600億ユーロに減額することを表明した。

 以下、今回のECBの決定の背景にある市場要因と政治要因をさぐり、そこから見えてくる新たな年に向けた展開を検討したい。

ユーロと長期金利の急上昇リスク

 今回の記者会見では、ドラギ総裁が来年4月以降、量的緩和の金額を減額することは、「テーパリング(段階的な量的緩和の縮小)」ではない、と明言したことが先ず注目された。

 ドラギ総裁は、テーパリングとは、最終的に買い入れ額がゼロに向かうことと定義した上でこれを否定し、再び月800億ユーロに増額することもあり得ると明言した。

 この点については、量的緩和の減額と共に量的緩和の期限を延長したこと、来年1月から預金金利を下回る買い入れも必要に応じて可能とするとして買い入れ対象を拡大したことにより、「テーパリングではない」という発言に対する信頼性が高まった、といえる。

 そのため、量的緩和を一方向に縮小するのではない、という主張に市場の信認が得られ、ECBにとっては今後について政策の裁量余地が広がることになった。

 一方、欧州の市場では、今回、預金金利以下の金利水準で且つ期間2年以内の債券も買い入れ対象となる方針が明らかになったことにより、短期金利が低下し、長期金利が上昇した。

 そのため、ドイツ国債を中心に買い入れ対象の流動性が少なくなっていることへの懸念が和らいだ。また長短格差が拡がったことで、イタリアを始めとする銀行の業績改善につながるという効果も期待できる。

 以上のように、今回の決定は一石二鳥の効果を生む「ストライクゾーンぎりぎりに投げ込まれた変化球」といえる。ユーロ危機当時、ECBは大型の長期資金供給という「直球」を投げ込んだが、市場の意表を突くという意味では今回はドラギマジックの再来だった。

 ここまでの説明は、現在の市場の一般的な理解と変わらないだろう。それでは、以上のようなECBの狙いに死角はないか。ここで今回の決定が行われた背景として付け加えたいことは、現在の為替市場動向だ。今年半ば以降、ユーロがブレグジットとトランプ相場により大きく下落した。足許のユーロ圏景気の回復も、ユーロの下落に支えられている面が大きい。

 筆者は、現在に至るユーロの下落が、為替水準が適度な水準で安定することを望むECBにとって、今回買い入れ金額の減額を決定する大きな理由になった、と考えている。

 しかし、今後ブレグジットをめぐる議論に一旦サプライズ感がなくなると共に、トランプ相場が一段落し、市場への揺り戻し圧力が生じた場合、ユーロに上昇圧力がかかりやすくなる。

 さらに外部要因として原油価格の上昇傾向が、折からの石油輸出国機構(OPEC)の減産合意を受け今後さらに強まった場合、長期金利に上昇圧力がかかりやすいことにも注意が必要だ。ECBは再び緩和姿勢を前面に出しても、南欧各国などの長期金利上昇に歯止めがかからなくなる可能性があるだろう。

 本レポートでは従来から原油価格上昇の影響に従来から注目している。今回の記者会見では質問に対し、ドラギ総裁は原油価格の上昇傾向は「ここ数年の重要な変化だ」と述べている。

政治リスク・ユーロ危機の再来につながるか

 次に、今回の記者会見後の大きな特徴は、政治リスクに関する質問が相次ぎ、それに対するドラギ総裁の回答もかなり長かったという点だ。但し回答の内容を要約すると、現時点でその影響を評価することは非常に困難だ(It’s very difficult to access)とするに留まっており、具体的な対処方針が示されている訳ではない。

 それでは、今後欧州内で、欧州各国の政治リスクについて、どのような展開となるだろうか。

 直近、イタリアで上院の権限を縮小するための憲法改正を行う提案が12月5日の国民投票で否決され、その後レンツィ首相が辞任した。

 但しイタリアの場合、EUないしユーロ圏からの脱退という選択肢は現実的ではない。欧州共同体の原加盟国であり、大陸に位置し、単一市場のメリットを実感している。欧州現地のエコノミストからも、イタリアが仮にEU・ユーロ圏から脱退した場合には、通貨を切り下げても、財政状態が悪く金利が急上昇し単独で切り抜けることはできないだろうという厳しい見方が出ている。

 そう考えると、「イタリアのEUないしユーロ圏からの脱退」の可能性が高まっただけで、ユーロ圏の国債市場からのユーロ危機再燃につながりかねない。英国とは異なり、現在の政治の混乱がEUないしユーロ圏からの脱退に進むという可能性は高くないだろう。

 一方、イタリアにとって緊急の課題は、銀行問題の処理だ。今回の政治空白によって、イタリア第三の銀行、モンテ・デイ・パスキ・ディ・シエナ銀行の再建問題が宙に浮いている。

 先ず、民間投資家からの増資を前提とした再建計画がECBにより承認されており、ECBは増資を延期せず速やかに実行するよう求めている。

 ECBは現在、ユーロ圏内の単一金融監督制度に基づいて、銀行監督の権限を持っている。但しECBが金融政策と金融監督の双方を所管するため、組織内の利益相反が問題になる。例えば銀行を救済するために、金融政策を緩和的に実施するというケースだ。

 今回の記者会見でイタリアの銀行問題について質問されたドラギ総裁は、ECB内で役割を分離するという原則に従って、「金融監督理事会の方に聞いてほしい」と答えている。ECBとしては、「銀行救済という目的に金融政策が引きずられている」という批判を意識し、あえて厳しく増資の早期実行を求めている面があるのではないか。

 この問題について、民間による増資が実現しない場合、次善の策としては、イタリア政府による公的資金の注入が浮上している。しかし現在、政権が空白状態となっている上に、実施にはEU委員会の承認が必要だ。

 さらにユーロ危機時に設置された救済機関である欧州安定メカニズム(ESM)からの資金注入も議論に上っている。この点、今回の質疑でドラギ総裁は「ESMのことはよく知らない」と発言している。しかしこのような選択肢が視野に入ってきた場合、銀行危機を契機としたユーロ危機の再燃につながりかねない。この場合、ECBの政策としては量的緩和を再び拡大しただけでは不十分であり、長期資金の大量供給といった危機対応策に踏み切らざるを得ないだろう。

 仮に年初の時点でこのような混乱が深まった場合、来年3月の離脱通告の期限に向け、ブレグジットの議論が一段と重要な意味を持ってくる。現状では英国・EU共に、移民流入規制を欧州単一市場への参加に優先させる「強硬離脱」のシナリオが有力、と理解されているようだ。

 しかし筆者は前月レポートで述べた通り、移民を部分的に制限し英国民を納得させつつ、単一市場へのアクセスも継続する「中間的な枠組み」に落ち着くと考えている。それが英国とEU双方の利益になるためだ。

 この場合、英国にとっては、3月末時点で、①「議会の承認が必要」とする裁判所の判断などを理由に通告を延期する、②形式上は「強硬離脱」の通告を行うが、その後のEUとの交渉でさまざまな特例を求める交渉が始まる、③「中間的な枠組み」を内容とする離脱通告を求める、といった選択肢が考えられる。

 しかしいずれの場合にも交渉には時間がかかるため、その後のフランス大統領選と時期的に重なる。以上のように考えると、最悪の場合には、来年春にかけ、イタリア・英国・フランスという欧州の大国発の政治的な不透明要因が重なり合い、危機感が深まることになるだろう。