米中貿易戦争がユーロ圏経済に与える影響 -域内経済と貿易のデカップリング-
2019/10/11
はじめに
「米中貿易戦争」が長期化・深刻化し、欧州の経済にはどのような影響を与えるだろうか。
ここでは第一に、米中摩擦がEU経済に与える影響について、マクロ面から欧州中銀(ECB)の分析・統計資料を用いた議論を紹介する。
第二に、米中摩擦がEU貿易に与える影響について、貿易相手国別・業種別のレベルで欧州委員会統計局(EUROSTAT)の分析・統計資料を用いて検討する。
経済活動と貿易のデカップリング
先ず、ECBのEconomic Bulletin最新版に記載されたコラム「グローバルな経済活動と貿易のデカップリング」によれば、2018年後半以降、GDPに示されるグローバルな経済活動と貿易のデカップリングが顕著になっている(資料1)。
四半期ベースで見た貿易の伸びは、既に2018年第三四半期から大きく落ち込んでいたが、2019年に入るとマイナスに転じている。
国別・地域別にみると、中国とアジア新興国で落ち込みが大きいが、貿易鈍化の傾向はラテンアメリカ、日本、米国など世界で広くみられる。
一方、この間、グローバルな経済活動もまた鈍化しているが、鈍化の程度は世界の貿易ほどではない。
このデカップリングは、2018年後半に貿易が落ち込み各国の鉱工業生産の急激な低下を通じ投資が弱まる一方、消費は時間差を置いて年明け頃に現れたことにも現れている。
以上のECBによる議論はグローバル経済全体を対象としているが、これをユーロ圏に当てはめるとどうなるだろうか。
最新の「ECBスタッフ・ユーロ圏マクロ経済見通し」冒頭によれば、『最近の数カ月、ユーロ圏の景況感指数は悪化を続けており、特に製造業においてその傾向が顕著である』と述べている(資料2)。
これは、グローバルな不確実性が持続する中で世界的な貿易の停滞が進んでいるためである。「グローバルな不確実性」とは、①保護主義の高まり、②中国の一層急激な景気減速リスク、③無秩序なブレグジットの三点である。
同見通しはこのような下振れ要因をふまえ、2019年9月時点の経済見通しを、前回6月時点に対し下方修正している。
具体的には、2019年の実質経済成長率を1.1%(前回:1.2%)へ、同2020年は1.2%(前回:1.4%)へ引き下げている。
その要因として、固定資本投資の伸び率は2019年3.1%から、2020年1.9%、2021年2.1%に低下している。
一方、全体に占める比重の高い個人消費は、2019年1.3%という伸び率が、2020年・2021年の両年も変わらず据え置かれている。
その理由としては、前月の本レポートで述べたようなユーロ圏失業率の低下・賃金の上昇傾向が個人消費を支え続けることが考えられる。
少なくともユーロ圏については、この点が経済活動と貿易のデカップリングを説明する大きな理由となるだろう。
米中摩擦の業種別でみた影響
一方、米中摩擦による業種別の影響について、貿易を中心とした米中二国間の経済関係の停滞により、EUは、特に対中国で米国に代替する先進国としての役割を果たしている。
以下、欧州委員会統計局(EUROSTAT)による各種資料に依拠して検討を進めたい。
欧州委員会統計局が月次で発表している「ユーロ圏の国際貿易動向」によれば、今年7月のユーロ圏輸出総額は前月比6.2%の増加を示し、ユーロ安傾向の影響を考慮しても、堅調な伸びを続けているといえる(資料3)。
その要因を、国別にみると、対米国・対中国で共に高い伸びを示している。これは、米中摩擦の深刻化により、ユーロ圏が米・中それぞれの貿易相手として代替的な役割を果たしていると思われる。
一方、業種別にみると、食品・飲料、化学品の輸出額が大きな伸びを示している。この点も、それぞれの業種で、ユーロ圏が米・中の貿易相手として代替的な役割を果たしていることを示しているのではないか。
この点は、2018年11月の本レポートで紹介したベルギーのシンクタンク・ブリューゲルによる「EUと米国は、共に先進国として対中国の貿易品目が輸送機器・化学製品など重なっているため、EUは対中貿易において米国に代替し恩恵を受ける」という分析に従った展開になっていると考えられるためである。
結論:貿易はプラス要因からマイナス要因へ
以上の結論を要約すると、第一に、マクロ面からみれば、世界的な貿易活動の収縮がEU経済にマイナスに働く。
さらに米中摩擦問題が今後も長期間に渡り持続した場合、米中両国、特に中国経済の成長率の低下傾向が顕著になり、欧州経済に及ぼす間接的・持続的な悪影響は一層強まることになる。
第二に、業種別では、貿易を中心とした米中二国間の経済関係の停滞により、EUは、特に対中国で米国に代替する先進国としての役割を果たしつつある。
即ち、業種別では、米中貿易はEU経済に対し、直接的・短期的にプラスの影響を及ぼす。
先に取り上げた「ECBスタッフ見通し」によれば、見通しの内訳として2019年の輸出伸び率を見ると、2.3%(前回:2.2%)へ上方修正している。
輸出の伸び率が上方修正されているにもかかわらず、全体に占めるウェートが高い個人消費の伸びが1.3%(前回:1.4%)に鈍化しているため、実質経済成長率全体の見通しが引き下げられたと考えられる。
一方、2020年の輸出伸び率見通しは、2.4%(前回:2.9%)へ大きく下方修正されている。
以上のような2019年・2020年の輸出見通しの修正は、米中摩擦がEU・ユーロ圏からの輸出に対し短期的にプラスだが長期的はマイナスの影響を与える、という見方を裏付けるものではないか。
今後、米中の米中摩擦が持続するにつれ、前者の間接的・持続的なマイナスの影響が次第に強まるため、後者の直接的・短期的なプラスの影響を上回り、全体としてはマイナスの影響が強まることになろう。
真の経済減速要因は何か
以上、米中摩擦のEUへの影響の現状分析をふまえて、最後に、今後留意すべきポイントについて付言したい。
欧州現地では、市場エコノミストによる以下のような主張がある。
一つは「グローバル貿易の停滞は貿易戦争ではなく、主因は中国経済の弱さにある」として、中国が国内要因により輸入を減少させていることこそが問題であるとする論考である。
もう一つは、同じ筆者による「欧州の真の問題を直視しよう」として、欧州の景気低迷の原因をすべて米中貿易摩擦に負わせるべきでなく、硬直的な労働市場による低い生産性と高齢化、自動車・化学など既存の製造業への依存、南欧各国の労働力のスキルの低さなど、欧州自身が内部に抱える問題にこそ取り組むべきという論考である。
経済成長の要因分析を行い、対外的な貿易摩擦、内部の構造要因、循環的な要因などに切り分けることは容易ではない。
そのため対外要因にその責めを押し付ける議論が行われがちであることへの貴重な警鐘といえるだろう。
(資料編)
1. ’What is behind the decoupling of global activity and trade?’(ECB Economic Bulletin,2019年8月)
尚、本分析では貿易データとして各国・地域の輸入額が用いられている。
2.’ECB Staff Macroeconomic Projection for the euro area’(ECB,2019年9月)
3.’Eurostatistics-Data for Short-term Economic Analysis’ (EUROSTAT,2019年9月)
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