ドイツ経済は日本化するか―低インフレ下の財政・金融協調―
2019/11/12
日本とドイツの違いは此処にあるか
先般、フィナンシャルタイムズ紙のチーフ・エコノミクス・コメンテーター、マーティン・ウルフ氏が発表した寄稿「日本化しないドイツの幸運」(原題:How Germany avoided the fate of Japan)は、日・独経済の異同を以下のように考えている(注)。
(1)日独とも国内で民間投資に対し民間貯蓄が大幅に多く、貯蓄投資バランスのGDP比は7〜8%に上っている。
(2)しかし、資本流出即ち経常黒字により、日本は貯蓄超過の3分の1しか吸収できないが、ドイツはその全額を吸収している。
(3)日本では政府が貯蓄を吸収しなければ、為替市場で円高圧力が働き、資金流出即ち経常黒字を8%に維持することはできない。一方、ユーロの実質為替レートは、ユーロ圏全体の規模と競争力を反映するため、ドイツにとって安定的で競争力を維持できる水準にあるとともに、40%近くの物品輸出が為替レートと関係のないユーロ圏向けだ。
(4)以上のような違いにより、日本は強制的に財政赤字に追い込まれているが、ドイツは財政黒字を計上している。
マーティン・ウルフ氏の主張は、ユーロ圏でいわば「いい所どり」をしてきたドイツの政策姿勢を批判することにあり、そのために日本を引き合いに出しているにすぎない。
しかし、一国内の貯蓄投資バランスと対外的な経常収支の関係は以前から議論されており、「日本は強制的に財政赤字に追い込まれている(原文はJapan was compelled towards fiscal deficits)」という一文には、違和感を覚える日本の読者も多いのではないか。
財政が先か、金融が先か
一方、欧州現地では、「現在のような低インフレ下で、どのような手順によって拡張的な財政政策と緩和的な金融政策の組み合わせが実現するのか?」という議論がある。これは、財政と金融の協調を、一種のゲームの結果とする考え方に基づいている。(「低インフレが続く」という前提については、今年9月の本レポート「欧州中銀・利下げの意図は何か-ユーロ圏はデフレではない-」参照)。
第一に、財政政策が主導する場合である。低インフレ下では拡張的な財政政策が取られた場合、インフレ率の上昇への懸念は小さいことから、金融政策は財政資金コストを引き下げ財政の健全性を守るために緩和的な姿勢を取る。
第二に、金融政策が主導する場合である。低インフレ下では緩和的な金融政策が取られた場合、財政の健全性を維持することに注意を払いつつ、財政資金コストの低下により拡張的な財政政策を取る動機が強まるだろう。
以上のように、低インフレ下では、財政政策・金融政策のどちらが主導した場合でも、他方がこれに追随し、財政・金融の協調が生まれやすいことになる。
この議論では、日本とユーロ圏は共に、財政政策主導により財政と金融の協調が成立する第一のケースであると考えている。日本の財政に対する拡張的な財政政策主導という見方は、上に述べたマーティン・ウルフ氏のそれとは対照的だ。
尚、「財政の健全性を維持することに注意を払いつつ」という条件は、現在のイタリアのように財政の健全性維持について市場が疑念を抱いている場合には、低金利下でも注意が必要であることを示している。
ドイツの政策転換はどのように実現されるか
話をドイツに戻すと、ユーロ圏全体として拡張的な財政政策が取られている中で、ドイツが例外的な存在であることが問題であるというマーティン・ウルフ氏の指摘はその通りであり、本稿の表題に対する答えとして、ドイツは今後も「日本化」することはない、と言える。
しかしドイツに対し、「今やユーロ圏・世界経済に貢献すべきである」と求めただけでは、ドイツの政府・企業が大胆な支出・投資を行うことはない。
今年8月の本レポート「ユーロ圏経済・危機か停滞か-ドイツ一強の終わり-」で述べたような自国の伝統的な製造業の競争力低下、少子高齢化の進展、ベルリンの壁崩壊後30年を経た現在の東西格差の拡大といった構造問題をドイツが自ら認識し、その改善に寄与すると認めた時に、初めて資金が投じられることになるだろう。
第一に、EUレベルでは、ユーロ危機時のギリシャなど問題国に対する救済資金あるいはこれに関連した資金還流に協力する可能性は低い。欧州委員長にメルケル首相と近い立場にあるドイツ人のフォンデアライエン氏が就任したことにより、同氏がユンケル前委員長のように欧州独自の改革プランを打ち上げドイツの支持を取り込み具体化できるのかが問われることになる。
第二に、かつてマクロン大統領が構想していたデジタルを中心とした技術と労働力の分野で双方の競争力強化につながるような二国間協力の枠組みを具体化することである。そのためには、メルケル首相を中心としたドイツの現政権だけでなく、フランスのマクロン大統領が国内の政治指導力を回復することが条件になるだろう。
(注)Martin Wolf ‘How Germany avoided the fate of Japan’ (Financial Times,October 31,2019)
尚、同論文には「欧州連合(EU)は英国なしでもやっていけるが、中軸国のドイツなしでは立ち行かない」という記述がある。この点、12月12日に予定される英国総選挙について、筆者は地域別・年代別の票読みなどは行っていないが、有権者が、労働党が勝利した場合、①そもそもの組閣の可能性を含むコービン党首を中心とした新政権の不安定性が増し、②さらにその延長線上で「合意なき離脱」の可能性が高まる、という懸念を抱いた場合、よりリスクの少ない保守党を支持する投票行動につながりやすいと考えている。この場合には、今後、英国の「秩序だったEU離脱」の可能性が次第に高まり、EU経済に想定外の悪影響を与えるリスクは低下する方向に向かうだろう。
バックナンバー
- 2021/09/10
-
ユーロはどこに行くのか-期待とリスク-
最終回
- 2021/08/11
-
欧州復興基金と財政規律 -気候変動対応が試金石に-
- 2021/07/12
-
欧州のワクチン戦略- イノベーションか、途上国支援か-
- 2021/06/10
-
欧州と米国、対立か協調か-法人税とデジタル課税を巡る視点-
- 2021/05/10
-
欧州グリーンディールとAI・デジタル戦略 -何がイノベーションを阻むのか-