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林秀毅の欧州経済・金融リポート

欧州中銀・危機対応と今後の金融政策―新型肺炎とマイナス金利―

 

2020/03/10

新型肺炎:金融危機の再来か?

 欧州では当初、新型肺炎・コロナウィルスは、アジアで起きた「対岸の火事」だった。しかし3月以降、イタリアで感染が急拡大し、各国に感染者が増加すると事態は一変した。

 経済・金融の分野でも、今後の景気減速と市場の不安定化に備えた対応が問われている。 3月9日のNY株式市場では、「コロナショック」に原油価格の急落が重なり、開始早々、株価指数の下落幅が7%を超え、一時取引が中断された。

 欧州中銀のラガルド総裁は、昨年12月、初の政策理事会後に行われた記者会見で、自らの金融政策に関する戦略について時間を掛けて練り直す意向を示したが、その思いとは裏腹に、早速、緊急対応の手腕を問われることになった。

 今回の新型肺炎は、欧州経済にとって次のような特別な意味を持っている。第一に、欧州にとって、今や中国は最重要の貿易相手だ。

 年明け以降、中国からの輸出が、同国内の生産・物流が滞ったために大幅に減少した一方で、中国への輸入は元々春節前に原材料の手当てが済んでいるため目立っていない。

 しかし、中国国内では依然、人の移動や外出は厳しく制限されており、今後は国内消費の落ち込みや輸入の大幅な減少が明らかになるだろう。

 この状況は、昨年「米中貿易戦争」が深刻化した局面で、欧州が米国からの中国向け工業製品の輸出を代替できたこと、世界全体として貿易量が落ち込んだ一方で経済成長は内需に支えられる「デカップリング現象」が欧州でも注目されたこととは対照的だ。

 第二に、欧州・ユーロ圏では新型肺炎が蔓延する前に既に景気が低迷しており、且つそれに対する政策対応が発動される前に事態が急速に悪化した、というタイミングの悪さだ。

 この点は、米国は曲がりなりにもこれまでの景気回復により「貯金」していた政策金利を今回、吐き出す措置を取ることができたこととは対照的だ。

 欧州・ユーロ圏では昨年、ドイツ経済が従来型の産業構造と硬直的な財政運営という構造的な問題を抱えていることが明らかになったままだ。さらに欧州レベルで政策を実行すべき指導者は交代期に当たり新任間もなく、主要国の政治情勢は不安定な状況が続いている。

 金融市場でも、かつてドラギ前総裁が意欲を示した利上げ再開への道筋はなかなか立っていなかった。元々、欧州市場では米国市場で株式上昇が長期金利上昇につながりこれらの動きが欧州に波及することにならないかぎり、欧州に利上げ余地は生まれない、という「他力本願」の見方が強かった。

 米国市場の活況と言う想定が根底から崩れ、全てが逆に振れている現状では、欧州の「金利正常化」への道筋は読めなくなった、といって過言ではない。

 第三に、冒頭述べたように、今回、危機の原因が欧州・ユーロ圏にとって「外生的」であり想定外である上、域内の人の移動の制限といった措置は「欧州単一市場」という基本的な理念と相容れない面があるため、欧州委員会などが今回取り得る対策は限られることだ。

マイナス金利:残された政策の選択肢

 それでは、以上のような困難な局面で緊急対応を迫られた欧州中銀は、どのような手段を取るだろうか。

 現在、①マイナス金利の一段下げ、②為替介入を含む主要中銀間の協調、③量的緩和の拡大、④貸出条件付の長期資金供給(TLTRO)の活用の4点だ。

 第一に、政策金利のある程度の引き下げは実施されるだろう。

 但し、既に利下げが市場に織り込まれている現状では、マイナス金利下にある水準から利下げを行っても実質的な効果はなく、これを実施しても、利下げをしないことによる負の効果を生まない、という消極的な意味しか持たないはずだ。

 政策理事会後のラガルド総裁による記者会見では、直近でも利子生活者の生活への影響など、マイナス金利の弊害に対する厳しい質問が続いている。

 市場も、これらを含めた全体としてのマイナス金利の水準を一段と引き下げても効果は極めて限られるとの見方に傾きやすいだろう。

 利下げを実施した場合、その実質的な意味は、ECB・ラガルド氏が、金融政策のフェーズが異なるFRB等主要中銀との協調姿勢をあえて市場に明確に示すことではないか。

 市場が混乱に陥った現状では、IMF専務理事を務めた経験を持つラガルド氏が、今後政策対応のたびに市場の憶測を呼び為替市場に不測の影響を与えることを避けたいと考えたとしても不思議はない。

 しかしこの場合、第二に、利下げに追加して、欧州・ユーロ圏経済に対し実質的に有効となる方策が必要になる。ここで筆者が注目するのはTLTROの活用だ。

 ユーロ危機時には、金融機関への潤沢な資金提供が国債の買い支えにつながることが期待された。今回、欧州でも生産や物流が分断され、中小企業や労働者の資金繰りに目詰まりが起きることが予想される。

 今回、ECBからコロナウィルスについて出された公式のメッセージは、わずか4行の非常に簡潔なものだ。しかし、結論の「適切で的を絞った方策を取る用意がある」という部分に注意すれば、ただ単に金融緩和を実施し市場を安定化させるのではなく、中小企業や個人など、必要な所に必要な資金が最終的に行き届くように誘導しやすいTLTLOが重視されることになるのではないか。

 ECBは、3月12日の次回政策理事会にかぎらず、いつ収束するか不透明な事態に、持続的に対処していく必要がある。その効果が読めないだけでなく1回限りにとどまりやすい利下げより、今後も地道な資金供給を続けていくことに注力するのではないか。