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林秀毅の欧州経済・金融リポート

欧州、ポストコロナの「新常態」-財政規律、ECBの役割、Brexit対応-

 

2020/05/11

 欧州のポストコロナの「新常態」はどのようなものになっていくだろうか。 本論では、新型コロナ対応について、欧州レベルの政策の取り組みという視点から検討したい。この点、筆者の現状認識は以下の通りだ。

 第一に、欧州の新型コロナ感染状況の深刻化に伴い、EUでは一旦財政規律の縛りを外した緊急対応が行われているが、今後はポストコロナの実情に合わせた財政の取り組みの考え方を具体化することが必要だ。

 第二に、欧州中銀(ECB)は大規模な緊急資金供給により一定の役割を果たしているが、「平時」に戻った時にはその役割を縮小せざるを得ない。

 第三に、域内のコロナ対応が緊急の最重要課題であるため、EUからみたBrexit交渉の優先度は下がっており、この点は英国も同様だ。

感染状況の各国比較-違いは何をもたらすのか

 先ず、欧州各国別の感染者数と死亡者数の現状を見よう。表1の通り、EU機関により日時で更新されている統計は、「10万人当たり」で横並びとなっているため、大国と小国が併存する欧州の状況が比較しやすくなっている。

 これに基づき直近の状況に至るまでの経緯を振り返ると、以下のような特徴が挙げられる。3月の本リポート掲載時と比較すると、先月が臨時休載となったこともあり、以下のように大きな変化が見られる。

 第一に、スペイン・イタリアでは、3月初めから爆発的に増加した感染者数と死亡者数は徐々にピークアウトの傾向が見られるものの、10万人当たりの死亡者は50人を超える高い水準に達しており、両国とも医療崩壊が現実化したことを示している。

 第二に、ドイツ・フランスは、10万人当たりでみた場合、感染者数はほぼ同水準だが、死亡者数はドイツの方が圧倒的に少ない。

 ドイツでは、政治指導者のリーダーシップ、これに対する国民の納得感、医療体制・技術水準の高さという三つの要素が好循環を生んでおり、この点が4月下旬以降、出口政策の段階的な実施につながっている。

 一方、フランスでは厳しい外出規制が採られたが、10万人当たりの死亡者数の多さは、他の南欧諸国に近い状況にあることを示している。

 第三に、英国は元々医療技術の水準が高いにもかかわらず、当初、外出規制を強化するタイミングが遅かったことなどから、4月以降、感染者数・死亡者数共に増加傾向が続いており、他国とは違う道筋を辿っている。

 また、福祉国家としての長年の歴史はケアハウスと呼ばれる老人ホームで死者が多く発生するという皮肉な事態につながっている(Brexitについては後述する)。

 最後に、中小国では、ベルギーのように地理的に中央にあり人口密度の高い国の状況が深刻である。この点はユーロ危機がギリシャを始めとする貧しい周縁国から始まった状況とは異なっている。

 以上のように各国間の感染状況が国毎に大きく異なる中、欧州主要国間の「南北対立」が表面化し、これに対し「EUの政策が無力ではないか」との疑問が投げかけられている。

 ユーロ危機時に表面化した南北間の対立が、コロナウィルスによる感染拡大の程度の違いによって、今回さらに増幅され再び表面化した。両者に共通する問題とは何だろうか。

EUレベルの政策展開:政策主体のパワーシフト

 次に、この点を考えるために、現在までのEUレベルのコロナ対応を振り返ることにしよう。

 具体的には、EU内で各国共通の利益に基づいて政策を提案する欧州委員会と、各国の利益を調整し政策を決定する閣僚理事会(特にその中核となるユーロ圏財務相会合)の政策動向に焦点を当てたい。

 欧州委員会は、3月上旬、イタリアを中心とした感染が深刻化した段階で、事態を重視し、早い段階で取組み体制を立ち上げた。

 この点、新型コロナはいわば想定外のリスクであり、関連する医療分野などで政策や制度の統合が十分に進んでいない面は確かにあるだろう。

 しかし、上に述べたように各国毎に感染状況と政策対応が大きく異なる中、各国が納得する政策を欧州委員会が提案することはそもそも困難だ。

 「欧州単一市場」の推進を重要政策として掲げてきた欧州委員会にとって、対策として域内の人の移動の制限を各国に求めることにも、そもそも矛盾がある。

 一方、3月中旬、各国が自国の利害を主張し合うユーロ圏財務相会合では、「財政と安定成長協定」に定められた「財政赤字を各国GDPの3%以内にとどめる」という規定を一時的に棚上することが合意された。

 注目されたのは金融市場の反応である。従来、例えばポピュリスト連立政権下のイタリアで財政赤字が拡大すると、市場では「EUにより制裁が課されるかどうか?」が注目点となっていた。

 今回についてもこの時期、イタリア国債を中心に懸念が高まり、金利上昇傾向が続いていた。但し、その後ユーロ圏国債の利回りが上昇するといった動きは限定的だった。

 その背景として、欧州だけでなく世界の主要国が事態の打開のために緊急的な財政支出を決定し、欧州だけが問題ではなくなったという面はある。

 さらに欧州では、折からドイツが財政支出を柔軟に行う姿勢に転じ、硬直的な各国の財政運営が柔軟になり将来の欧州経済の回復を支える、というポストコロナの「新常態」への期待感も一部に生まれた。

 しかし、続いて3月26日に行われたEUサミット(首脳会議)では、イタリアが求めた必要な資金を共同で債券発行により調達する「コロナ債」に加え、ユーロ危機時に創設された欧州安定化基金(ESM)の活用までが見送られた。

 ESMの利用については、財政規律に対する考え方がドイツに近いオランダが反対したものだが、保守党政権であるオランダが、ポピュリスト連立政権であるイタリアに反対したという背景があったようだ。

 この時点で、筆者は、ユーロ危機の際、ギリシャなどを救済するために創設されたESMは、まさに今回のような危機対応のために利用されるべき基金だと考えていた。

 その一方で、「今回、コロナ債は実現するか?」といった問いの立て方には、やや違和感を覚えていた。ドイツやオランダなど豊かな「北の国々」にとって、自国が緊急事態に陥った時に財政規律を一時的に緩めることと、他国が自らの努力なしに他国の力を借りて財政支出を増やすことは別次元の問題だ。

 4月上旬に再び開催されたユーロ圏財務相会合では、医療分野に限って無条件となる総額2,400億ユーロを上限とするESMの活用が承認された。

 しかし、「コロナ債」については、一部の国で危機的な状況が続いた場合でも許容される可能性は、今後も非常に低いと言わざるを得ない。

欧州中銀の対応 : 企業の資金繰り対応と銀行監督

 一方、欧州中銀(ECB)が3月18日、臨時の政策理事会で発表した7,500億ユーロの緊急資産購入枠を設置すると決定した。

 これは危機の初期の段階で、金融市場に対するショックを和らげるだけでなく、民間銀行を通じ大企業・中小企業双方に対する資金支援につなげる意図に基づいていた。ECBの最近のプレスリリースをみても、中小企業の資金繰りへの影響を注視している姿勢が読み取れる。

 その一方で、今後、域内の経済立て直しを図るフェーズに入いる段階では、マイナス金利下の金融政策による景気浮揚効果の限界が強く意識されるため、政策余地に限界のあるECBの役割は限定的にならざるを得ない。

 ポストコロナのECBの役割はどう変わっていくだろうか。

 欧州の識者によれば、ユーロ圏はそもそも二つの大きな欠点を抱えていた。先ず、合理性を欠く財政規律の枠組みである「財政と安定・成長協定」はこれまで何度も改革が試みられてきたが、実現には程遠い。もう一つは銀行セクターに対する共通の監督の欠如である(注)。

 しかし後者については「銀行同盟(Banking Union)」が実現し、ECBによる一元的な監督が行われている。

 今後、例えばイタリアの銀行の経営状態が悪化した場合、ECBの監督の下、必要に応じ、救済ないし破綻処理が進められることになる。ポストコロナの局面では、ECBはこのような銀行監督の観点からの金融市場の安定にコミットする役割の比重が増すのではないか。

ポストコロナの政策運営:財政規律の見直しとBrexit

 以上のように考えた時、欧州にとって、ポストコロナの「新常態」において最も重要な政策課題は財政規律の在り方を見直し、再定義することだろう。

 これは、「財政と安定・成長協定」は今回の危機によりほぼ完全に有名無実化し実効性を失った上、ECBについては、危機対応を超え欧州経済の回復に寄与する方策を取るための金融政策の余地は非常に限られているためである。

 新たな財政規律のあり方としては、「財政と安定・成長協定」に定められた一律の財政赤字条件ではなく、各国の実情に合わせより柔軟な目標設定を行えるようにすることが必須であるはずだ。

 同時に、EUレベルで進められてきた財政政策の相互監視手続きを発展させ、予算段階でタガをはめるだけでなく、事後的な費用対効果の検証を重視する必要がある。

 先に述べたように、現在の金融市場は、危機対応のための財政支出拡大をかなりの程度容認している。今後についても、企業と個人を直撃した危機の克服には、財政支出の拡大が不可欠であるという見方が続くとすれば、欧州にとっては、長年の懸案だった財政規律のあり方の見直しを行う上で、現状はむしろ良い機会といえるはずだ。

 逆に、このタイミングで以上のような議論が欧州で何ら進められなかった場合、欧州経済が早期に立ち直る可能性は低く、極めて緩やかなペースにならざるを得ない。今後、欧州各国の感染対応は、状況の改善を注視しながら段階的に行われるため、この場合、積極財政と金融緩和を続ける米国との間で景況感格差が開く可能性が高い。

 さらに欧州が「平時」に戻った後の経済政策は、各国レベルの経済政策への取り組みに大きく依存せざるを得ず、EU内で、豊かな国と貧しい国、財政状況の良い国と悪い国の格差が一段と拡大する。

 ドイツを中心とした各国は一旦緩めた財政支出を、「非常時対応にすぎなかった」として元に戻す可能性が高い。

 最後に、欧州委員会を中心とした政策主体は、ポストコロナの緊急対応が徐々に収束する局面では、従来、自らが掲げた最重点政策である「グリーンディール」などを中心とした他の政策課題とのバランスを、予算面などを含め取っていくことが必要になる。

 ここで、Brexitに関しては、現在も英国とのFTA交渉などが行われているが、域内のコロナ対応が緊急の最重要課題である現在、EUからみたBrexit交渉の優先度は下がっていると考えるべきだ。

 この点は英国側も同じであるため、従来「2020年末以降の経過期間はない」としてきたジョンソン首相とEUとの間に利害の一致が生じ、「経過期間・交渉の延長は已むを得ない」という方向に議論が進むのではないか。

(注)Wiplosz,Charles, ’ The common currency : More complicated than it seems’, Chapter 7,Routledgs Handbook of the economics of the European Integration,Routledge,UK,2016