欧州中銀はユーロ圏を救えるか -「第二波」を迎える政策の限界-
2020/07/14
「見切り発車」の制限緩和
「ユーロ圏は、美しい別荘のようだ。しかしその別荘には、屋根が付いていない。天気の良い時には誰もがそこに住んだことを喜んでいるが、一旦天気が悪くなれば、皆、後悔することになるだろう。」
これは、ユーロが創設された1999年に、その理論的支柱の一人であった欧州の識者が記した言葉だ。約20年後の今、夏を迎えた欧州からは連日、若い世代や家族連れがマスクを付けず海辺に密集し、楽しむ様子が伝えられている。
今年春、欧州ではイタリア、スペインなどの南欧を中心に、新型コロナ感染のピークを迎えた。一方、既に5月中旬には、欧州委員会が、EU域内の政策方針として、段階的に移動制限を解除する方針を打ち出していた。
その後、7月初めから、各国の国境規制を解除し域内の自由な通行を認めた。さらに欧州域外からも、日本を含む比較的安全とされる域外各国からの渡航を認める方針を打ち出した。
この背景には、欧州特有の事情がある。欧州では、夏に数週間のバカンスを取ることが不可欠だ。今回、これを認めないと各国民から強い不満が出たはずだ。
元々、欧州域内の大部分の地域は国境を越えた自由な通行が可能だったが、欧州各国は、新型コロナ感染拡大を受け、国境を越えた自由な通行ができないように管理していたという経緯であり、バカンスによる移動は「不要不急」であっても当然の権利であると考えられている。
一方、バカンス客を受け入れる観光産業も、夏のバカンスを控え規制の解除を強く求めており、リゾート地を多く持つスペインやイタリアでは、7月を待たず前倒し的に観光客を受け入れ始めていたようだ。
欧州内の地域の関係でいえば、ここでは太陽を求め、夏のバカンスを過ごすドイツなど豊かな「北」の人々と、これを受け入れ生計を立てる「南」の人々の利害が一致したといえる。
このように今回は「見切り発車」で移動規制の緩和が実施される面が強く、既にスペインでは、再びロックダウンを実施する州が出ている。
7月以降、欧州域内、特にスペイン・イタリアなどの南欧を中心に、EU内で第二波の感染拡大が本格化する可能性は高い、と考えざるを得ない。
「最後の貸し手」機能と国債購入
冒頭に紹介した「屋根のない別荘」とは、ユーロ圏が持つ設計上の欠陥を意味している(1)。それは元々各国が持っていた、中央銀行による「最後の貸し手」と財政による「自動安定化」という二つの機能が失われてしまったことにある。
ここで「最後の貸し手」の機能は、大きすぎてつぶせない銀行を救済するため資金を注入する手段と思われがちだが、本来は国債購入にも適用されるものだ。
その理由は簡単かつ本質的だ。第一に、銀行が国債の主な保有者であるため、両者は切り離せない関係にある。これは、欧州委員会が、ユーロ危機時に危機発生のメカニズムとしていた「リーマンショックなど外的要因による実体経済の悪化→各国政府の財政支出増加→国債市場の需給バランス悪化による国債価格の下落→国債を保有する銀行の収益悪化→銀行の金融仲介機能の低下→内的要因による実体経済の一層の悪化」という悪循環のシナリオと重なる。
第二に、両者は資産・負債の満期がアンバランスであるという共通の構造を持ち、従ってリスクに対する共通の弱さを持っている。即ち、銀行と同様に、政府についても、インフラへの投資と徴税権という固定的な資産に対し、市場により即座に換金され得る国債という流動的な負債に依存している。
以上に対して中央銀行の最後の貸し手機能が発揮されなければ、国債の売りが集中し流動性危機につながる結果、国債はデフォルトに追い込まれることになる。
一方、財政の安定化機能が失われた場合、民間セクターにはデフレ圧力に対応しレバレッジを低下させる必要が生じる。
ここで第一に、民間セクターが投資を減らし貯蓄を増やすと、よく知られた「貯蓄のパラドックス」が起きてしまう。第二の方法は資産の売却である。民間セクター全体がこの行動に出た場合、そのスパイラル的な悪影響を止めるためには誰かがこれを引き取らなければならない。
以上のような安定化のための手段が、各国レベルとユーロ圏レベルの双方で欠けている。これが冒頭述べたユーロ圏の「デザインの失敗」の内容だ。
しかしこうした欠陥には、危機が訪れた後に初めて気付くことになる。これは、「最適通貨圏」など通貨統合を設計する理論が、外からのショックへの対処に気を取られ、域内における資本のダイナミックな動きに注意を払わなかったことにも依っている。
以上のような考え方によれば、南欧を中心に感染再拡大が懸念される現状は、確実に有効な政策手段を持たないまま、危機を迎えようとしている段階と言えないだろうか。
ECBの「二つの限界」と政策の役割分担
それでは、危機が現実化した場合、これにどう対応すべきか。6月4日に開催されたECB政策理事会では、パンデミック緊急購入プログラム(PEPP)について、資金枠を6,000億ユーロ増額し13,500億ユーロに拡大した上で、少なくとも2021年6月末まで継続することが決定された。しかしこのような「大盤振舞い」の政策効果は持続的であるといえるだろうか。
前節で紹介した識者は、ECBが国債市場の「最後の貸し手」となった事例として、2012年9月に発表した国債の無制限買取りを行う「OMTプログラム」について述べている。
それによって各国国債とドイツ国債との利回りスプレッドは劇的に縮小した。しかし、2014年、ドイツ憲法裁判所は、OMTは法に反しており、国債買取りに何らかの条件を課すべきとの判断を下し、欧州司法裁判所の判断を求めた。
その判断理由は「スプレッドは経済ファンダメンタルズを反映しており、これに手を加えるべきではない」というものだった。
このように考えた場合、問題を抱える各国が自助努力によりファンダメンタルズを改善するまで事態は変わらず、それでやむを得ないということになる。
しかし、金融市場で懸念が高まりパニック状態になった時には、スプレッドはファンダメンタルズから乖離してしまうことがあり得る。そうであれば、中央銀行は市場のパニックに対し資金を供給する特別な役割を持つ。
6月4日のECB政策理事会後の記者会見の質疑において、ラガルド総裁はドイツ憲法裁判所の違憲判断について繰り返し問われ、(PEPPのような量的緩和策についての是非は)欧州司法裁判所の判断に服すると述べた。
しかし以上の議論によれば、ここには、ECBはそもそも「最後の貸し手」の役割を担うことが許されるのか、という本質的な問題がある。
ここで、ユーロ危機時のドラギ前総裁の対応と比較すると、下記の二点が問題になるだろう。
第一に、ドラギ総裁はECBが危機対応にどこまで踏み込めるのかという難問を避けるかのように市場との対話を重視した。時には口先の発言のみで市場の期待の裏をかくことも厭わなかった。
一方、ラガルド総裁は、2019年12月、初の政策理事会後の記者会見で質疑に入る際に、「自分の発言を過度に裏読みすべきでない」と言い放った。
ラガルド氏が裏読みされ誤解を招いた場合のコストを念頭に置いているとすれば、どちらが正しいかというより、政策スタイルの違いと考えるべきだろう。
ここでは「ラガルド流」により、今後どこまでPEPPの増額などによる緊急対応の効果を維持できるか、という点が問題になるはずだ(第一の限界)。
第二に、ドラギ総裁による資産購入プログラムの例にも見られたように、たとえ緊急対応であっても、一旦導入した政策を引き揚げる出口政策の実現は容易ではない。
そのため、いわば「非日常の日常化」が起き、この場合にはドイツ憲法裁判所の懸念するようなモラルハザードを生む事態につながりかねない。
また、緊急対応が効果を挙げた場合でも、政府と市場による期待が高まり、景気の底上げといった政策目的を負わされることが懸念される。しかしこのような期待に応えることは本来の緊急対応の役割を超えている(第二の限界)。
以上のように考えると、ECBは市場のパニックに対し資金を供給する役割を担う一方、実体経済の回復という政策目標は(財政の自動安定化とまではいえないが)各国政府間の財政協力に割り当てられる、という形が今後見えてくるのではないか。
前月のレポートで述べたメルケル主導の財政統合への取り組みは、緊急対応としての即効性には欠けるかもしれない。しかし今後欧州の中期予算を通じて財政統合が進展するという期待が現実化すれば、それを先取りする形で現在の金融市場にもプラスの影響をもたらすはずだ。
その時、政策理事会後の記者会見・導入スピーチの末尾に毎回述べられる「積極的で協調的な財政政策が必要不可欠」という文言が、単なる「決まり文句」ではなく、改めて意味を持ってくることになるだろう。
(1) De Grauwe, Paul,’ Design Failures in the Euro Area’, Chapter 8, Routledge Handbook of the economics of the European Integration, UK,2015
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