一覧へ戻る
林秀毅の欧州経済・金融リポート

ブレグジットの「内と外」-何が英国を救うのか-

 

2020/12/14

対EU自由貿易交渉の行方

 英国とEUとの自由貿易(FTA)交渉が、依然迷走している。この混乱を前に「またか」と感じた向きは多いのではないか。なぜ、議論が平行線を辿るのか。

欧州の専門家によれば、そもそも双方がどこまで妥協できるか、という限界点(いわゆるレッドライン)がずれている点が、根本的な問題だ(1)。

 EUからすれば、英国がFTAによって関税ゼロでEUの単一市場にアクセスできるならば、本来、単一市場内でEUの競争ルールや紛争解決手続に従うべきは当然だ。

 即ち、EUは、単一市場のメンバーでない国が、EU加盟国と同等のルールに従わずに関税ゼロのメリットを受けることは許されないと考えている。

 一方、英国は関税ゼロのメリットを受けるためにEU加盟国と同等のルールに従うのであれば、EU加盟国であり続けること、あるいはEU離脱後も関税同盟に属するという「ソフトブレグジット」の状態にあることと何ら変わらない。

 英国内で、離脱によって得られるメリットを強調し現在に至った以上、EUの主張を受け入れることはできない。

 しかし、この対立点は、EUが英国の「いい所取り」を許すかどうか、という点にあるのではない。

 ブレグジットをめぐる交渉は、これまでも常に「合意に至らなければ、共に損をする」ということを双方が十分に承知した上で、相対で利益を分け合うゼロサムゲームだ。

 そう考えると、EUと英国が交渉段階では強気の姿勢を見せ合い、交渉の延期や、最悪の場合には一時的な「ノーディール」の期間が現実化しても、最終的には両者の合意が成立することを前提に、EUが英国の望む「いい所取り」をどこまで受け入れられるか、という点が焦点になるはずだ。

 以上のような考え方に立つと、12月13日まで延長されたEU・英国のトップ会談が依然折り合わなかった背景は、そこで議論された三つの論点につき「本来、どちらが正しいか」ではなく、各点における利益の調整に時間がかかったことにあるのではないか。

 先ず、「公正な競争のためのEUルールの順守」及び「紛争解決に対する欧州司法裁判所の関与」は、EUから離脱した英国が本来受け入れるべき内容だ。

 一方、「英海域のEU漁業権」は、EUから離脱すれば英国が本来独占できる漁場について、現状を前提に妥協し、フランスなどにどこまで利用させるか、という問題だ。

 但し、貿易やサプライチェーン展開のため両者間のモノを動かす企業活動などの次元で見れば、一時的であってもノーディールの状態となりWTOルールに従う懸念が生じただけでも、コストをかけ準備を行なう必要があり、混乱につながっていることは否定できない。

英国内への影響:北アイルランドとスコットランド

 以上のような考え方は、アイルランド国境問題にもあてはめることができる。

 EUと英国の離脱協定に含まれる「北アイルランド議定書」を読むと、冒頭、「北アイルランドは英国の関税領域にあり続けると同時に、単一市場からの利益を受ける」と書かれている。

 この場合に問題になる北アイルランドと他の英国との境界について、「必要なチェックとコントロール」に言及しつつ、英国内で北アイルランドに流入したモノがEUの単一市場に入ってくるリスクがないことが示されれば、EUからの関税は課されないとしている。

 さらに、以上の解決策は、アイルランド共和国と北アイルランドの間でハードな国境を設定せず、アイルランド全域の経済と北アイルランドの和平合意を守るためだと述べている。

 この点、EU加盟国であるアイルランド共和国の利益にも配慮している面はあるにせよ、北アイルランドを抱える英国の国内事情に配慮し「いい所取り」を認めた、と言える。

 即ち、ブレグジットが英国内に与える影響という観点からいえば、以上のような北アイルランドをめぐる決定により、北アイルランド和平の不安定化という最悪の事態が回避されたという意味は大きかった(2)。

 但し、英政府には「北アイルランド議定書」を含む離脱協定を実施する段階でさらに「いい所取り」を強めようとする意図があること、実務上は、先に述べたEU・英国間の国境と同様に、北アイルランドと他の英国との境界の具体的な手続が未だに不透明であることなどに留意が必要である。

 次に、北アイルランドと同様、スコットランドもまた、根深い問題を抱えている。

 欧州の識者によれば、ブレグジットをきっかけとして、英国内の国家に対する異なる二つの考え方の違いが鮮明になった(3)。

 その一つは、「ウェストミンスター・ビュー」と呼ばれ、議会が最高権限を持ち、EUであれ、スコットランドを含む地方政府であれ、権限を委譲し、且ついつでも取り戻せるというものだ。

 もう一つは、英国はそもそも異なる国の連合体にすぎないというものだ。17世紀以降の歴史の偶然もあり、スコットランドはイングランドと連合を組んでいるが、イングランドとは言語や文化が異なり、法律も大陸法系だ。

 この独自性が、1999年以降の英国内の自治権拡大によって正当化され、さらに2014年の独立投票実施、その後のブレグジット国民投票における残留支持の多さなどにつながったといえる。

 それでは、英国内で深まるこれらの亀裂を食い止めるものは何か。

 本年1月の本レポートでは、「英国は分裂するか」という観点から、北アイルランドとスコットランドを比較した。スコットランドの独立党政権は英国内に留まることのメリット・デメリットを慎重に比較検討していると述べた。

 この点を現状に当てはめると、新型コロナ禍の中、欧州内でみても感染拡大が特に深刻化した英国では、ジョンソン首相による感染抑制と経済再生に向けた政策は、他国同様、二転三転した。

 しかし、ブレグジット決定前にみせたジョンソン氏のポピュリスト的な姿勢は、その後、影を潜めている。これは米国やブラジルなど、他国のポピュリスト的な指導者が事態を軽視した結果、感染が一層拡大しており、国民の不人気につながる移動制限等について自ら判断せず責任転嫁しがちな傾向とは対照的である。

 現状のコロナ禍は、何が正解であるかが判りにくい一方、何らかの対策を打たなければ手遅れになりやすい局面だ。

 ジョンソン首相の政策姿勢が「その場しのぎ」「場当たり的」と批判されても、その姿勢はむしろ政策の柔軟性につながり、12月上旬、英国内でほぼ同時に始まったワクチン接種に結び付いたのではないか。この点の成否が今後、上に述べたメリット・デメリットの比較にも影響することになるだろう。

対外要因:「グローバル・ブリテン」の虚像

 最後に、ブレグジットの対外的なメリットとして掲げたEU以外に対する貿易政策のフリーハンドを取り戻す動きは、現状どうなっているだろうか。

 冒頭に紹介した欧州現地の専門家によれば、ブレグジットによる「グローバル・ブリテン」の実現を掲げたメイ前首相が、「欧州の外にいる古い友人たちとの新たな関係」を結ぶと述べ、第一に念頭に置いていた相手は、オーストラリア・ニュージーランド・インド・カナダなど、コモンウェルスの国々だった。

 しかし、これらの国々は、まさに古い歴史的な関係にあるが、現在はアジア・北米などそれぞれの経済圏にあり、英国との経済関係を改めて強める動機は薄い。

 第二は米国だが、これまでトランプ氏が米国第一を掲げてきた。今回、バイデン氏が大統領選に勝利した経緯を考えれば、米国が対外的に自由貿易協定などに前向きになる可能性は当面低い。

 第三に、中国については、メイ氏の前任であるキャメロン前首相が、中国と接近を図った。しかし、今年半ば、中国が香港に対し国家安全維持法を制定したことに、英国は香港返還の当事国として強く反発し、ファーウェイ対応などで強硬な姿勢を見せている。

 では、対外的にみたブレグジットの一番の成果は何か。それは、以上の記述には最後まで名前が挙がっていない日本との経済連携協定(EPA)だ。

 来年1月1日、日英EPAは、「EU離脱後の英国が、主要国と署名する初のEPA」として発効する。政府資料によれば、協定の内容は、日EU・EPAの内容を踏襲することを各条項で意識しつつ、いくつかの点で新たな合意を含んでいる(4)。

 特に、電子商取引でコンピュータ関連設備の設置要求の禁止などデータ保護の措置を追加したこと、新たな女性の経済的エンパワーメントについて規定を設けたことなどが興味深い。

 以上に至る経緯としては、早い時期から英国に対し、日本の官民協力により、日本企業のビジネスの継続性確保に向けた働きかけが行なわれてきたことがある。

 また以上はモノの貿易を主に念頭に置いてきたが、日英は従来から金融サービスの分野で関係が深く、この点、欧州現地ではブレグジット後もやはり英国・ロンドンの金融センターとしての重要性は高いという見方がなされてきたこととも重なる(5)。

 さらに遡れば、在英の日欧関係の専門家によれば、日本は歴史的に、英国は欧州の中心であるという見方(UK-Centric view of EUrope)を持つ(6)。

 この点が、ユーロ危機時には、英国経由の情報により、日本における危機に対する悲観的な見方につながった面がある。一方、現状は、日英EPAの締結が、今後は英国の地域的な貿易協定への参加など、前向きな方向に働く可能性がある。

 以上、英国は依然、内外両面で今後に向けた危うさを抱えている。国内ではジョンソン首相の綱渡り的な新型コロナ対応が結果的に功を奏し、英国が一つの国としてまとまりを見せ、対外的には日本との関係がモデルになり、徐々に他の主要国・地域と安定的な関係が構築されていくという展開が見えてくるかどうかが焦点になるだろう。


(ここまでお読み頂き、ありがとうございました。皆様ご自愛の上、良いお年をお迎えください。)

(注)
1. Jed Odermatt, ‘BREXIT AND BRITISH TRADE POLICY’, Chapter 7, The Routledge Handbook of the Politics of Brexit, Patrick Diamond, et al., Taylor & Francis Group, 2018
2. 林秀毅「ブレグジットとアイルランド国境問題」、(「アイルランドを知るための70章【第3版】」、明石書店「エリア・スタディーズ」、2019年)
3. Michael Keating, ’BREXIT AND SCOTLAND’,Chapter 4,ibid,
4.「日英包括的経済連携協定(EPA)に関するファクトシート」(外務省経済局、2020年10月)
5. この点、「ポピュリズムとは何か」(中公新書)の著者である水島治郎千葉大教授からご教示を頂いた。
6. Julie Gilson, ‘EU-Japan Relations and the Crisis of Multilateralism’, Taylor & Francis Group, 2019.