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林秀毅の欧州経済・金融リポート

欧州グリーンディールとAI・デジタル戦略 -何がイノベーションを阻むのか-

 

2021/05/10

第一の重点戦略:欧州グリーンディールとEUの競争政策

 気候変動に対する世界の取り組みは、「目標をどれだけ高く設定できるか」から、「設定した目標を達成するための技術を如何に実現するか」に軸足を移しつつある。

 この点は、今年4月に米国が主催した気候変動サミットの場で鮮明になった。バイデン大統領は現在の米国の姿勢を明確に示し、主要先進国に加え中国まで巻き込む形で、連携に向けたコンセンサス作りが行われた。

 気候変動への対応は、世界各国が一致して行わないと効果的にならない一方、多くの国が規制に合意した場合には、これに従わず抜け駆けをした国はかえって得をする、という問題がつきまとう。

 CO2の削減により、どの国もメリットを享受する一方、規制を行わない国は、自由に経済活動を行なえるため、他国から企業や工場がシフトしてくることになる。

 今回のサミットでは、主要国が取り組みに向けたコミットメントを示し、このような「ただ乗り」が許されない状況ができつつある。そのため、各国間の競争のルールは、今後「規制への合意を前提に、如何に効率的に目標を達成するか」に取って代わる。

 この点、欧州連合(EU)から見ると、従来は「欧州グリーンディール」を自らの最重要戦略と位置付け、他に先んじて意欲的な目標にコミットすることで環境分野における自らの存在意義を世界に発信できた。

 しかし現状では、米国が前向きに転じただけでなく、英国が2035年時点のCO2削減目標を大幅に引き上げるといった状況が生まれている。

 そこで今後は、環境技術の向上が焦点になる。特にEUでは、米・中に対抗し、主に各国レベルで開発するだけでなく、開発された技術をどのように域内全体で活用するかという、二段階の取り組みが必要だ。

 しかし、ここでは、EUの競争政策との関係が問題になる。1951年に欧州統合への取り組みが実質的に始まった当初から、競争政策は、統合するべき分野と位置付けられていた。

 カルテルをはじめ、市場支配力の乱用や国家補助・公企業への規制が実施され、その後、企業買収規則などが加えられた。特に1992年の欧州単一市場の発足が、EUの競争政策を強化する大きな転機となった。これは、経済統合によって、単一市場で一部の勝ち組企業が巨大化し競争を阻害すると考えられたためである。

 その後、現在まで、EUの競争政策には強い権限が与えられ、域内外の企業に制裁を科すなど、さまざまな措置が取られてきた。

 しかし、そもそも競争政策のあり方については激しい競争より巨大企業による方が技術革新を生みやすいという考え方もあり、競争と技術革新の関係は必ずしも明確ではない。

 話をEUの競争政策と環境政策との関係に戻すと、今年4月、欧州委員会の競争政策担当委員が、気候変動分野については、EUの競争政策を柔軟に運用する姿勢を示した、と報じられた(1)。

 この発言にはそれ以前に伏線があった。昨年12月に欧州現地のシンクタンクが公表した「欧州のためのグリーン産業政策」と題するレポートは、脱炭素化に向けた技術革新を加速する「グリーン産業政策」は、欧州単一市場レベルで広く行われるべきとしている(2)。

 その上で、過去にドイツが多額の補助金により太陽光パネルの普及に努めたが、失敗に終わったことなどを例に挙げた。

 即ち、従来は域内の競争を促すため、単一市場内で強い規制を行ってきたが、域内のイノベーションへの意欲を高めるには、むしろ競争への規制を緩め、より自由な企業活動を認めるべき、という主張である。

 そのためには、競争政策と産業政策を別々に行うのではなく、イノベーションを一段と促すため、両者のバランスを取ることが必要になる。

 以上の考え方に立てば、今回の気候変動分野のみが競争政策について例外扱いされる訳ではないだろう。

 これまで「域内市場の競争維持」を金科玉条に掲げてきたEUの競争政策が、今後、イノベーションを促し、域内産業の競争力を高めるという目的を考慮するようになる、一つのきっかけといえるのではないか。

第二の重点戦略:AI・デジタル戦略とリスク規制

 次に、EUが今年4月に公表した「AIの法的枠組み」と題する包括規制案をどう評価すべきか。いうまでもなくデジタル戦略は従来からEUにとって、もう一つの最重要戦略である。

 特にAIについては、実質的な枠組みの検討が2018年春に始まり、約3年間の議論を経て、今回の規制案が提示された。

 第一に、今回欧州委員会から公表された政策パッケージは「優位性と信頼性を備えたAI」をコンセプトに掲げ、強い効力を持つ「AIの法的枠組み」に加えて、「加盟国との協調計画」という戦略案、「機械・ロボット」についての規制案の3文書から構成されている(3)。

 先ず「AIの法的枠組み」の内容を見ると、AIについて「許容できないリスク」として人間の尊厳にかかわる人格や性格などにAIが影響を与えたり、これらを評価すること、「高リスク」として交通インフラや教育、手術、労務管理など、人の安全や生活に深く関わることを挙げている。

 即ち、規制の目的はAIの技術・性能の向上など「優位性」よりも、人間から見た「信頼性」に軸足を置いている。

 「加盟国との協調計画」についても、各国が主体的に行う技術開発面より、中小企業や個人のAIスキル向上などによる「信頼性」を高めることに重点を置いているようだ。

 「機械・ロボット」の規制案についても、工場等で自律性の高まった機械やロボットを操作する人間にとって安全管理のあり方がどう変わるか、といった点が重視されている。

 第二に、今回のAI規制案は、EU内で先行して検討が進んできたデータ規制との関係が問題になる。

 先述の通り、AIについてEUレベルの検討が本格的に始まったのは2018年春だとすると、これは個人データについて一般データ保護規則(GDPR)が実施された時期とほぼ重なる。

 AIとデータの規制が密接な関係にあることはいうまでもなく、それ以降、EUレベルで、実質的にはデータ分野についてはAIに軸足を置いた検討が進んできたようにみえる。

 即ち、EUのデジタル政策について時間的に見ると、先ず個人データについてGDPRという強力な規則が確立され、それを前提としつつ今回のAI規則の検討が進められた。

 例えば、GDPRには「AIなどを含む自動処理のみによって重要な決定を下されない権利」といった規定がある。

 第三に、AI規則案は今後、内外でどのように検討されていくだろうか。先ず欧州域内では、産業界から「厳しすぎる」との批判の声が上がっている。

 そもそも対外的に、AI技術について欧州は米中に押され気味であるため、EUとして、欧州なりの人間重視の価値観を重視した規制案を打ち出し、今後、標準化など国際的な議論の場で自らの発言力を確保したい、という狙いが感じられる。

 しかし、対内的には、AIの「信頼性」を高めるためのリスク評価は、当然、企業側にとってコストとして認識される。そのため、米・中などと競争していく上で、欧州が自分で自分の手を縛り、企業のイノベーションへの意欲を削ぐ提案になりかねない

 気候変動の分野と比較しても、AIについては今後、各産業分野で社会的な実装に向けた検討が進む余地は大きい、と考えられる。欧州内でどのような議論が進んでいくかについて、今後も注視すべきだろう。

 尚、データ規制については別途、今年3月、欧州委員会から2030年に向けた戦略が公表されている。

 それによれば、環境に加え、健康、農業、モビリティーなど、現在抱えている重要な政策課題ごとに、データ活用の自由度と個人のプライバシー等とのバランスが検討され、厳しいとされていた規制を柔軟に考えていこうという姿勢が感じられる。今後のAI規制の方向性を考える上でも参考になるだろう。

英国の「ニッチ戦略」と市場への示唆

 最後に、以上のEUの取り組みに関連し、二点付言したい。

 第一に、EUと比較した英国の戦略である。

 先ず気候変動の分野では、2035年時点のCO2削減目標として1990年比78%減を可能な水準として修正し、今年11月、自国で開催する国連会議(COP26)に向け、EUを始めとする他の主要国との差別化を図っている。

 一方、AI・データ分野についても、今年1月公表された政府の戦略ペーパーによれば、R&D、AIスキルなどの点で、EUと比較すると、英国には官民の協力による高い技術に自信を持ち、競争力を維持しようという姿勢が見られる(4)。

 現状、ワクチン早期接種による新型コロナ感染を抑制し、国内経済の成長回復期待が高まる一方、4月6日の地方選後、各地方との軋轢の高まりも指摘されるジョンソン政権が、これらの政策課題の優先度をどう位置付け、実行するのか、注目される。

 第二に、先に述べたEUの政策展開は、環境・デジタルへの取り組みが域内経済の成長をもたらす「グリーンリカバリー」につながるだろうか。

 この点を見極めるには、やはり一定規模の投資が行われ、さらにそれらが個別投資のレベルで費用対効果の観点から成長に寄与する、ということが確認されるべきだろう。

 その意味で、7月1日以降に実施が始まる予定の復興基金の効果が非常に注目される。現時点では主要国が申請した投資計画において、環境デジタル分野の予算がどの程度の割合か、さらに具体的にどのようなプロジェクトに投資されるのかといった点が焦点になる(5及び図表)。

 欧州現地では、一年単位でみれば欧州の復興基金による金額規模は米国バイデン政権による追加経済対策の金額を上回っており、欧州の成長期待が一段と高まるという見方がある。

 逆に言えば、米国について景気回復期待がピークアウトしつつあり、市場がその先を見始めているなかで、欧州の現状は、米国の現状と比較すると、ワクチンが入手できれば接種による改善余地が大きい、輸出回復期待が大きい、株式市場の上昇余地があるなど、いわば外部要因に依存しているように思われる。

 今後、7月初めに向けて復興基金の実行による欧州自身の要因による成長への期待が本格化し、ユーロ・レートの持続的上昇など影響が鮮明になるだろう

(注)
(1) ‘Antitrust regulator softens in the EU green deal’(Moral Money, 2021年4月)
(2) ‘A Green Industrial Policy For Europe’(Bruegel, 2020年12月)
(3) ‘Europe fit for the Digital Age: Commission proposes new rules and actions for excellence and trust in Artificial Intelligence ‘(European Commission,2021年4月)
(4) ‘AI Roadmap ’ (UK AI Council, 2021年1月)
(5) ‘Setting Europe’s economic recovery in motion : a first look at national plans’(Bruegel, 2021年4月)