ユーロはどこに行くのか-期待とリスク-
2021/09/10
‘Within our mandate, the ECB is ready to do whatever it takes to preserve the euro. And believe me, it will be enough.’(Mario Draghi)
2012年7月、当時のドラギ欧州中銀(ECB)総裁がロンドンで語った「できることは何でもやる」という発言をきっかけに、ユーロ危機は収束に向かった。
今般、ECB政策理事会後、ラガルド総裁は、ユーロ圏経済の回復を強調し、 パンデミック緊急購入プログラム(PEPP)による債券購入ペースを縮小するものの、これは段階的な縮小を意図していないとした。
さらに、ECBはこれに先立ち、新たな政策を相次いで打ち出している。何でもやる現在のECBの姿勢から、ユーロの将来を楽観的に考えてよいだろうか。
以下、中長期的な観点から三点、述べることにしたい。
① 気候変動へのコミットメント
7月8日、ECBは、新たな金融政策戦略(Monetary Policy Strategy)を公表した。その柱の1つとして、気候変動は自らの政策目的である物価安定と深い関わり(profound implications)を持ち、政策理事会は野心的な(ambitious)気候変動に関わるアクションプランを策定する、と強い調子で述べた。
同じ日には、気候変動要因を金融政策に考慮することへの強いコミットメントを示すアクションプランと、2024年まで視野に置いた意欲的な(ambitious)ロードマップが公表された。
ECBの方針をめぐっては、日本を含む主要中央銀行と比較しつつ、すでにさまざまな議論がなされている。先ず中央銀行は金融機関の行動と金融システムの基盤整備というプルーデンス政策の観点から気候変動に取り組むべきという点は、広く合意されているといえるだろう(1)。
ここで問題となるのは、量的緩和策の一環として、環境分野に活用される債券を対象とする「グリーンQE」が具体化するか、その場合にどのような条件になるか、さらに金融市場がどう受け止めるか、という点ではないか。
この取り組みにより、明確に買い入れ条件が設定され、これに応じた市場の流動性が高まれば、国債・社債の双方でグリーン債市場が育成される契機となる。
しかし「何がグリーンか」がはっきりしないまま、金融市場で買い入れに対する期待が恒常化した場合、グリーン債に本来付けられるべき価格に歪みが生じる可能性が高まるおそれが生じる。
今年春の金融学会で、クレジットアナリストの方が「環境問題に対する欧州金融関係者の姿勢は宗教のようだ」と発言されていたが、筆者も同感だ。グリ-ン債についても、他の債券と同様に、リスクとリターンのフェアな関係が形成されるべきだろう。
② デジタル・ユーロ:内外の期待ギャップも
一方、7月14日、ECBはデジタル・ユーロプロジェクトを開始し、今後2年間にわたり実施すると明らかにした。この発表は「開始する(launches)」 という言葉が謙遜に思えるほどプロジェクトが整然と進んでいることを印象付け、ECBが気候変動には前のめりに取り組んでいることとは対照的に感じられた。
昨年11月の本レポート「ユーロのデジタル化と国際化- リブラ・人民元・ドルとの違い-」では、欧州の当局者は、 以下のように考えているだろうと述べた。
第一に、従来からビットコインに代表される「仮想通貨」に対し、価値変動が大きく投機対象になりやすい、安全性に問題がある、マネーロンダリングの手段になりやすいなどの理由から非常に否定的であること。
第二に、リブラに対し、「世界の中央銀行」として金融政策に影響を与える懸念があること。
第三に、デジタル人民元については、デジタル通貨自体よりも、伴う人民元決済システムのグローバルな利用拡大を脅威に感じていること。
言い換えれば、ECBを中心とした欧州の当局者にとっては、デジタル・ユーロにより、通貨価値の安定、取引の安全と個人情報保護、マネーロンダリングの排除など、欧州が重視する価値観を域内で実現することが最重要課題である。
そのため、今後、デジタル・ユーロに対する期待がユーロ圏外で高まり、意図した目的から離れて使用されるようなことがあれば、このような内外の期待ギャップは、欧州の当局者からは容認されないだろう。
③ 国際化:ユーロは中長期で上昇するか
最後に、前出のレポートでも述べたように、ユーロはドルと比較した場合、「真の国際通貨」とはなろうとはしていない。
第一に、ユーロが、約70年の欧州統合の長い歩みの延長線上でつくられた、という歴史的な経緯がある。
第二に、欧州にはそもそも、米国のような地政学的な動機がなく、「世界の最後の貸し手」になるつもりはない。
それでは、ユーロがドルに対してこのような立ち位置であるとした場合、ユーロの価値は中長期で見てどう推移するのか。
先ず、ユーロ圏は全体としてみれば経常収支黒字であり、通貨価値を高め資金を域内に呼び込もうというインセンティブは働きにくい。この点は米国とは対照的だ。
むしろ景気低迷期には、ユーロ下落を歓迎する姿勢が、金融当局者の間にさえ感じられる。
しかし同時に、よく知られるように、域内各国の経常収支・財政収支のギャップを調整する有効な手段が機能していない。
復興予算を契機とした財政予算の共通化の可能性についても、その後の展開を見る限り、先月の本レポートで述べた通り、筆者は悲観的だ。
以上、ECBは気候変動、デジタル化など、新たな取り組みに意欲的な取り組みを見せているが、これをユーロ圏経済の成長に結びつける道筋は見えない。
中長期的に見て、通貨の価値を支えるユーロ圏経済の成長力が高まる方向に転じる、とは考えにくい。
現状、1ユーロ=1.18ドル台にあるユーロは、米国側に大きなマイナス要因が生じない限り、中長期的に1.2ドル台を超えて大きく上昇する、という展開は見込めないのではないか。
(1)早川英男「「日本化」の広がりと金融政策の新領域」(日本経済研究センターセミナー資料、2021年4月)
2011年秋に「欧州債務危機レポート」として始まり、約10年の間ご愛読頂き、大変ありがとうございました。引き続き、大学とシンクタンクにて、欧州を中心としたグローバル経済のリサーチを続ける所存です。皆様のご活躍とご健勝を心よりお祈り申し上げます。
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