「脱原子力依存」と発電の社会的費用
2011/07/15
「脱原子力依存」の方針が、菅首相によって打ち出された。しかし、その具体的な内容は明らかになっていない。昨年6月の閣議決定では、2030年までに原子力発電の総発電量に占める割合を3割から5割に高めるという方針が決定された。福島原発の事故発生以降、この閣議決定を維持すべきであるとする論者はいないであろう。私も「縮原子力」、あるいは「脱原子力依存」に異を唱えるつもりはない。しかし、「脱原子力依存」には、幅広い意味合いがある。より具体的には、以下の4つの選択肢がある。
第1は、すべての原発が操業を再開できないまま、来年5月に脱原発するというケースである。ドイツの「脱原発」は2022年に予定されているので、このケースでは、日本はドイツよりも早く「脱原発」することになる。しかし、電力不足が日本の経済活動に与える影響がいかに甚大であるかは、すでに最新の日本経済研究センター中期予測で明らかにしたところである。
第2は、新規の原発建設をすべて停止するというケースである。原子炉の耐用年数が40年であるとすれば、2050年には脱原発することになる。
第3は、この両者の中間の年に脱原発するという「ドイツ・スイス型」である。
第4は、新規の原発建設を一時停止するという「アメリカ型」である。
アメリカは、1979年のスリーマイル島の原発の水素爆発以降、32年もの間、新たな原子炉を1基も建設してこなかった。しかし、原子炉の耐用年数がきてしまったので、新規建設の再開を準備していた。その矢先に、福島原発の事故が発生した。それでもアメリカ政府は、従来の方針を堅持している。
国民の間で十分に議論を
菅首相は、将来は原発に依存しないでも済む社会にしたいとも述べているので、アメリカ型の対応を排除したように見える。
しかし、「脱原子力依存」と「脱原発」とは同じではない。望ましいエネルギー政策の選択については、経済活動や環境などに与える効果も十分に考慮した上で、国民の間で十分に議論を行うべきである。
また、福島原発事故以来、電力の供給不足が日本経済に与えた影響は甚大である。「脱原発」を急ぎすぎる場合には、電力不足による経済費用が大きなものになることを同時に考慮すべきだ。
エネルギーの最適な組み合わせに関する選択には、発電費用が重要な役割を演ずる。発電費用には、直接的な企業の私的費用のみならず、経済活動や環境に与える効果を含めた外部費用を考慮することが、当然必要になる。
福島原発以降、今年5月に公表されたアメリカのブルッキングス研究所のハミルトン報告では、経済活動や環境に与える効果を考慮した上で、エネルギーごとの発電費用を計算している。企業の私的費用に加え、CO2排出以外の騒音、SO2排出など社会的な費用ならびにCO2排出の費用を加えている。天然ガスは、私的費用が1キロワットあたり5.5セントであり、CO2排出以外の社会的費用0.2セント、CO2排出の社会的費用0.8セントと合計で6.5セントと最も費用が低い。
天然ガスと組み合わせた風力は、1キロワットあたり9.7セントと推定されている。原子力については、韓国や日本における原子力発電所の建設費用などを踏まえた発電費用は、8.2-10セントと両者はほぼ等しいとされている。
しかし、ハミルトン報告でも、原子力発電にともなうCO2排出以外の社会的費用のデータは利用可能でないとしている。今回の福島の事故のような、自然大災害に伴う炉心崩壊のリスクは含めていない。このリスクを含めると原子力よりも天然ガスと組み合わせた風力の方が発電費用は低くなるであろう。
民間保険の仕組みを活用すべき
福島原発の処理は、まだ進行中であり、最終処理には数十年以上を要する。従って、最終的な処理費用も不確実である。原発の苛酷事故の発生による社会的費用の把握には、多くの困難がある。
欧米では、確率論的な安全基準で大事故発生時の被害金額を推定する試みが行われている。しかし、問題は、事故発生確率をどの程度に見積もるかによって外部費用の計算結果が大きく異なってしまうことである。ちなみに、アメリカにおいても、スリーマイル島の事故発生前に、事故発生確率を炉・年あたりで10億分の1であると推定していたが、リスクを過小評価していたことが明らかになった。
原発の苛酷事故リスクの評価については、自然災害の被害と同様に民間保険の仕組みを活用することが可能なはずである。また、一般的には、経済に存在するリスクに対して、新たな証券を開発して市場で販売することが可能である(原子力災害ボンド)。「原子力災害ボンド」が市場で販売されることになれば、巨大なリスクも分散することが可能になる。かりに、市場でリスクに見合った保険料が決定されていれば、電力会社のマネジャーのみならず株主と債権者も、その保険料を考慮したうえで投資決定を行っていたはずである。
あるいは、社会的費用に見合った税率のピグー課税を行い、過剰な原子力発電の供給を抑制することも可能である。金融市場におけるシステミック・リスクに対しても、金融機関に対するピグー課税が提唱されている。
ところが現行の原子力賠償法は、被害者の保護を図るために、原子力業者の無過失責任・責任集中、民間保険、国家補償の3本柱から成り立っており、市場のメカニズムを通じて保険料を決定する仕組みになっていない。
今回の東京電力の場合には、「異常に巨大な天災地変または社会的動乱」を免責事由とした3条1項但し書きは適用されず、原子力事業会社に無過失・無限責任のあることを前提に16条が適用された。16条では、損害賠償責任額が「賠償措置額(1200億円)をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは」、政府が、原子力事業者に対して損害を賠償するために必要な援助を行うことになっている。
政府は、被害者の保護を図るためセーフティネットを提供しているのであるが、結果的には、国民の負担がどの程度の大きさになるのか不明なまま国民に負担を負わせていることになる。他方で、原子力事業者にとっても賠償履行義務において、予測しえない責任が課せられている。何らかの予測可能性を高める仕組みの導入が求められている。
原発賠償支援法では、国民負担の最小化と電力の効率的、かつ安定的な供給という2つの視点を踏まえた賠償支援の枠組みがどのようなものであるべきかが問われている。この法案を巡って、賠償負担の順位が問題になっているが、原点に立ち返ってみれば、発電にともなう社会的費用を誰が負担するかという問題に帰着する。社会的な費用を市場で内部化する仕組みを構想すべきである。
発電に伴う社会的費用の計測には多くの困難があるが、ある幅をもった計測は可能であろう。望ましいエネルギー政策の選択は、電力不足による経済的費用と私的費用のみならず社会的費用も考慮した発電費用を基礎に、複数のシナリオを準備し、国民の選択を問うべきである。
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