一覧へ戻る
岩田一政の万理一空

市場の反乱と政府債務危機-憲法で赤字削減目標義務付けも選択肢

 

2011/08/12

「赤く染まった海」と化した市場

 1998年と2002年の日本国債格下げの経験に照らしてみると、アメリカ国債の格下げがあっても、その影響は限定的であろうとする見方もあった。しかし、その見方は、余りに楽観的であった。

 S&Pがアメリカ国債の格下げを公表した後、市場は「赤く染まった海」(エコノミスト)と化した。ダウジョーンズ株価指数は、8月4日に4.8%下落した後、8日にも6.7%低下した。その後も株価は、大幅な変動を繰り返している。

 1950年以降で株価が最大の下げ幅を記録したのは、1987年10月19日のブラックマンデーであった。この時の下落幅は、20.5%であった。今回は、この下落幅には及ばなかったものの、市場の「恐怖指数」(ボラティリティ指数)は50に接近し、2009年3月以来の高さに達した。市場は、リスク回避姿勢を強め(リスクオフ)、株価が暴落した。スイス・フランと円が逃避通貨として買われ、日本は急速な円高に直面した。

国債格下げと将来債務

 格下げの理由として、S&Pのビアズ氏は、当初必要とされていた4兆ドルの債務削減と比べて、議会が決定した2.3兆ドルの削減は余りに小幅であることを挙げた。さらに、連邦・地方政府の債務残高が、2011年の11兆ドルから2015年には14兆ドル、2021年には20兆ドルに累増すると予測し、財政の維持可能性が損なわれていると指摘した。

 議会の決定では2012年から21年にかけて財政赤字削減額は、総額で2.3兆ドルに達するとされている。しかし、議会予算局の推定によると、確定している赤字削減部分は9170億ドルであり、2015年の赤字削減幅は2011年3月の見通しに比べて名目GDP比で0.5%に過ぎない。

 ビル・グロース氏(アメリカで最大の債券運用会社ピムコのエコノミスト)は、足元の10兆ドルの連邦・地方政府負債に加えて、66兆ドルの将来債務があると指摘している。将来債務は、メディケイド(低所得者向け医療保険)35兆ドル、メディケア(高齢者向け医療保険)23兆ドル、年金など社会保障関係8兆ドルを合計すると66兆ドルに達する。この巨額の政府債務を解消することは不可能だ。債務解消のために、期待されざるインフレ高進、ドル急落、実質金利高を抑えるための金融抑圧などの措置が動員されるであろう。アメリカ国債を購入することはやめて、カナダ、ドイツ、新興国などより健全な国の国債に投資すべきだと説いている。

期待成長率の下方修正

 1987年10月のブラックマンデーでは、ポートフォリオ・インシュアランスなどプログラム取引によって、株価がひとたび大きく下落すると、株式保有を自動的に減らすメカニズムが働くために、「下落が下落を呼ぶ」展開となった。

 今回の市場の反乱は、1987年10月の株価暴落に類似した面がある。派生商品の価格付け理論で高名なブラックは、期待成長率の低下によって、87年10月に発生した規模の株価暴落はいつでも起こりえると論じたことがある。今回もブラック仮説が該当するようだ。

 市場は、大規模な財政刺激策や2回におよぶ中央銀行の「大規模な債券購入プログラム」の発動によって、リーマンショックからの回復期に、アメリカの成長率が3-3.5%の軌道に復するものと期待していた。しかし、個人消費や雇用の伸びが鈍化する中で、市場の期待は裏切られ、期待成長率は1.5-2%へと大きく低下した。今回の市場の反乱は、世界的にリスクの高い資産の価格が大幅に低下し、投資家がポジション調整を行った2006年5-6月、2007年2-3月の「グローバル・リスクリダクション」に類似している。

 アメリカで2%程度の成長期待への調整が終了し、同時に、欧州のユーロ危機が再燃することがなければ、市場は一応落ち着きを取り戻すはずだ。

 政府や議会に対する信認が欠如しているにもかかわらず、アメリカや日本の国債は安全資産として買われ、国債金利はさらに低下した。例外は、グローバル危機がソブリン危機まで波及したユーロ圏の国債市場であった。

ユーロ危機はコア国へ波及

 7月21日にギリシャに対する第2次支援パッケージ(1090億ユーロ)が決定された後も、ユーロ危機は収束に向かうどころか、コアの国にも危機が波及しつつある。

 8月に入って、ギリシャ、アイルランド、ポルトガルに次いでスペインやイタリアの国債金利が急騰した。さらに、市場は、スペインやイタリアのソブリンリスクに対するフランス民間銀行のエクスポージャー拡大を懸念し、財政赤字が名目GDP比で7%に達したフランス国債の格下げの可能性にも注目し始めた。ユーロ危機はコアの国まで波及しつつある。

 ユーロ圏のソブリンリスクに対する欧州民間銀行のエクスポージャーは、2.3兆ユーロと大きい。欧州金融安定基金の規模は4400億ユーロであり、スペインやイタリアといった大きな国の支援を行うには十分ではない。しかし、基金規模を拡充しようとしても危機が大国に波及するにつれて、基金に資金を拠出できる国の数も減少し、少数の国に負担が集中することになる。

 また、銀行の格付けは、自国政府の格付けを上回ることはない。このため、ソブリンリスクが高まった国の銀行株は売られ、銀行は市場で流動性を確保することが困難になる。欧州銀行の流動性不足は、ユーロとドルの通貨スワップレート(3カ月物)が、95ベーシス・ポイントと2008年末以来の水準まで拡大したことに示されている。流動性危機は、やがて信用市場での機能不全を招くことになる。

 ECB(欧州中央銀行)は、ワイデマン・ブンデスバンク(ドイツ連邦銀行)総裁やシュタルク理事の異論もあったが、「(財政再建に必要な)改革なくして、国債購入なし」との条件を確保した上で、スペインやイタリアの国債購入にも踏み切った。ECBによる国債購入がなければ、欧州金融市場で流動性危機が発生するところであった。

 欧州金融安定基金も流通市場から国債購入を行うことが可能になっているが、ユーロ圏加盟国の議会での了解が必要であるため、10月までECBによる国債購入は継続されよう。先行き購入規模拡大が予想されるため、今回の措置は、アメリカやイギリスの中央銀行が実施した「大規模な債券購入プログラム」と類似した経済効果を与えるものとなる可能性がある。

政府債務危機の克服

 大西洋をまたいだ政府債務危機は、収束の兆しを見せていない。アメリカでは、住宅部門における過剰債務の早期解消と将来債務の大きさを考慮した上で、中長期の政府債務削減へ明確なコミットメントを行うことである。

 ユーロ圏の財政危機に直面した国では、成長戦略と組み合わせて財政健全化計画を実現可能なものとすることが求められる。同時に、欧州金融安定化基金を2兆ドル規模まで拡大し、ドイツ政府が「甘い毒物」と批判しているユーロ圏共通債券の発行を認め、通貨同盟から財政同盟へのステップを進めることが必要だ。

 政府債務危機を克服するためには、先進国において、議会・政府に対する信認を取り戻し、財政の維持可能性を確保することが必要不可欠だ。ドイツがすでに実施していることであるが、憲法で赤字削減目標を義務付けることも一つの方法である。