スイス中央銀行の無制限介入―国際通貨制度の大変革につながる可能性
2011/09/20
スイスの中央銀行であるスイス国民銀行は、アメリカ国債が格下げになり、ユーロ危機が深まるなかで、2011年9月6日に1ユーロ=1.2スイス・フランの水準に為替レートをペッグした。ユーロに対する下限のみへのペッグであるが、ユーロ危機・ユーロ安が続く限り、スイス国民銀行は、事実上、「無制限の介入政策」に乗り出したことを意味している。
ヒルデブランド・スイス国民銀行総裁は、このユーロに対する下限値の導入について、「大規模に過大評価された為替レートは、景気後退とデフレをもたらすリスクがある」と説明した。スヴェンソン・スウェーデン中央銀行副総裁は、プリンストン大学教授の時代から、為替レート目標を低い水準に設定することにより、日本はデフレを克服することが可能であると論じているので、今回のスイスの措置に凱歌をあげていよう。
スイス・フランは、ユーロに対して、2007年以降、大幅な増価を示してきた。ちなみに、2007年に1ユーロは1.5スイス・フランであったが、一時は1ユーロが0.8スイス・フランに達するまで増価した。下限値の導入は、市場に驚きを与え、スイスの為替レートは、即時に8.7%減価し、1ユーロ=1.2スイス・フランになった。
量的緩和政策と先物市場での介入政策の組み合わせ
これより1ヶ月前の8月11日には、スイス国民銀行は、量的緩和政策を大幅に拡大し、中央銀行の当座預金残高を1200億スイス・フランから2000億スイス・フランへと引き上げた。この当座預金残高の規模は、名目GDP(2009年に約5000億フラン)の約4割に相当する。日本の経済規模に引きなおすと、200兆円もの当座預金残高に相当する。
7月の日本銀行の当座預金残高は、30兆円であるから、経済規模で比べるとスイスの量的緩和の度合いは、6~7倍ということになる。もっとも、スイスには、名目GDP規模をはるかに上回るUBSやクレディスイスなどの大銀行が存在するため、中央銀行の名目GDP比率での当座預金残高は、他国の中央銀行よりも大きいのが常である。しかし、1200億スイス・フランから2000億スイス・フランへの800億スイス・フランの増加は、円に換算すれば約8兆円であるが、スイスの経済規模を日本に引き直してみれば、80兆円の増加であり、やはり巨額である。
スイスでは、中央銀行に為替レート介入の権限がある。スイス国民銀行は、これまでも量的緩和の拡大を実施するとともに、為替スワップ取引を通じて先物市場で介入を行ってきた。この結果、目標レンジが0-0.25%である政策金利(3カ月ものLIBOR)は、9月11日にほぼゼロになった(9月9日には0.00667%)。政策金利は、ゼロコンマ以下3桁と2001-2006年の日本の量的緩和に類似した水準まで低下し、先物イールドは、マイナスになった。
デフレ克服と介入政策
スイスは、日本と似て、伝統的に物価上昇率は低く、金利も低い水準で推移してきた。1980年以降、物価上昇率は、しばしばゼロ以下になった。1986年、1998年、2002年、2004年に、一時的であるが、物価上昇率はマイナスになった。
当時、副総裁であったヒルデブランド氏が訪日した折に、同氏から「スイスでは、物価上昇率目標を日本銀行と同様に0-2%としているが、実際には1%を目標にしている。0%を目標と考えている人は、余程、経済学を知らないか、または、頑迷固陋な人であろう」という話を聞いたことがある。また、スイス国民銀行理事であったコーリージュネーブ大学教授からは、物価上昇率が1%あれば、デフレのリスクにも十分対処しえるとの議論を聞いたことがある。
しかし、2009年には、3月から10月までデフレが続いた。一時は、1%程度のマイナスとなり、かつての日本と同じ水準まで物価上昇率が下がったことを興味深く見守っていた。
スイス国民銀行は、「デフレ克服と国際競争力低下を阻止する」との旗を掲げて、2009年3月から2010年5月にかけても大規模な介入を行った。介入の結果、外貨準備は430億ドルから2300億ドルへ1900億ドルも拡大した。この結果、11月に物価上昇率は0%となり、スイスは、拡大的な金融政策と大規模な介入政策の組み合わせによって、デフレを克服することに成功した。
他方で、スイス・フランの高騰は止まらず、介入に伴う損失は、200億ドルにも達した。巨大な損失によって、ヒルデブラント総裁を始め、スイス国民銀行は、世論の批判にさらされることになった。
私は、デフレ克服という課題が達成された事実に照らしてみれば、この批判は正当なものであるとは思わない。日本では、介入にともなう巨額の損失発生は、1980年代以降、聞き慣れた話だからである。
下限値へのペッグの帰結
他方で、ユーロ危機は、さらに深まっている。ドイツのショイブレ財務相は、ギリシャがデフォルトする2つのシナリオを検討し始めたと伝えられた。一つは、ギリシャがデフォルトしてもユーロ圏にとどまるケース、もう一つは、一時的にユーロを離脱し、自国通貨ドラクマを再導入するケースである。いずれの場合も、他国、とりわけ、スペイン、イタリアへの波及を阻止するためのクレジット・ラインの創設など欧州金融安定基金の役割は一層重要になる。
また、9月のドイツの最高裁判所の判決は、ドイツ政府による周辺国への支援措置が違憲であるとのドイツの学者の訴えを退けた。しかし、今後の支援措置は、事前にドイツの下院予算委員会の承認が必要になること、また、他国に負担を与える恒久的な条約メカニズムは設立しないこととした。
後者の恒久的な条約メカニズム設立を認めないことに関する解釈については、なお議論の余地がある。厳しく解釈するとユーロ共同債の発行のみならず、2013年に予定されている恒久的な「欧州安定メカニズム(ESM)」に対するドイツの参加も認められないことになる。このことは「ユーロの終わり」を意味しよう。もちろん、ドイツが憲法を改正すれば話は異なってくる。ドイツでは、憲法は議会の3分の2の多数決で改正することが可能なのでこれまでもしばしば改正されてきた。
いずれにしても、ユーロ危機が克服されない限り、スイスには投機的な資金の流入が続き、スイス国民銀行は、固定された為替レートに対する投機的な動きとの闘いを続けざるをえないであろう。外貨準備は、無制限の介入により増大を続けよう。現実に、スイス国民銀行は、目標とする2000億スイス・フランを上回る資金を供給している。9月5~9日には2534億スイス・フランに達する資金供給を行っている。場合によっては、スイス・フラン建て預金へのマイナス金利など資本規制にも乗り出さざるを得ないかもしれない。
1978年にもスイス国民銀行は、投機的な資金流入に対して、1ドイツ・マルク=0.78スイス・フランにペッグしたことがある。その際、公定歩合をマイナスにした。その後、スイスの物価上昇率は、ゼロ近傍から上昇し始め、1980年代はじめには7%にも達した。7月の国内の物価上昇率は0.5%であるため、当面は問題ないとしても、先行きインフレ・リスクも当然予想されよう。
スイス・フランのユーロ・ペッグと目標相場圏
今回のスイス・フランのペッグ制度への回帰は、国際通貨制度の大きな変革につながる可能性がある。すでにユーロは、急落局面に入っている。2001年には1ユーロが88円にまで低落し、日米欧の協調介入が実施された。
他方、ドルの名目実効為替レートは、2002年以降、減価トレンドにあり、1970年以降の最低値を更新している。スイス・フランに対しても、2002年には1ドル=1.7スイス・フランであったが、足元では1ドル=1.1スイス・フランとパリティ(等価)水準近くまで低下している。
ユーロ財政危機が、金融部門での危機へとフィードバックし、ユーロのみならずドルが、急落するようになれば、国際通貨制度全体の安定性を維持することが困難になろう。
かつて日本は、1985年のプラザ合意以降の円急騰に対して、1987年2月にルーブル合意によって「為替レートの現行水準近傍」(ルーブル合意前日は、1ドル=153円)での安定を図ったことがある。また、2003年から2004年にかけての財務省による35兆円規模の大規模介入の際には、暗黙の目標レートは、1ドル=110-120円のレンジであった。
円の更なる急騰を回避し、国際通貨制度の安定性を確保するために、9月下旬のG20財務相・中央銀行総裁会合に向けて、為替レートの国際的な調整のための準備を開始すべきではないだろうか。目標レンジとしては、先陣を切ったスイス・フランとユーロの関係を出発点に、ルーブル合意での為替レートの現行水準近傍を見習うとすれば、「1ユーロ=1.2スイス・フラン=1.3ドル=105円」(1ドル=80円程度)となる。
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