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岩田一政の万理一空

ユーロ圏の決済不均衡問題―解消が明示されない限り、ユーロ共同債導入は困難

 

2011/12/27

銀行危機、政府債務危機と決済不均衡問題

 ユーロ圏経済は、銀行危機と政府債務危機に直面している。また、ユーロ圏内部で経常収支不均衡が拡大している。経常収支黒字国(ドイツ)と赤字国(周辺国)のギャップが拡大している。OECDによれば、2010年にドイツは名目GDP比で5.6%の経常黒字を計上する一方で、ギリシャは10.4%、ポルトガルは8%、スペインは9.7%、アイルランドは0.7%(2009年は3%の経常赤字であった)の経常赤字を計上すると予測されている。

 ユーロ圏内において、経常収支不均衡のみならず実質為替レートの不均衡が拡大していることはよく知られている。賃金コストで名目為替レートをデフレートしたドイツの実質実効為替レートは、ユーロ発足後、18%も減価している。一方、周辺国では、実質実効為替レートは大幅に増価している。

 しかし、ユーロ圏内に「決済不均衡問題」が存在することは、専門家を除いて余り知られていない。この決済不均衡問題は、経常収支の不均衡と直接リンクしているわけではない。しかし、中央銀行間の決済システムにおける債権・債務関係の不均衡拡大が、周辺国の経常収支赤字をファイナンスしているという意味で、公的資金援助と同様の役割を担っているという事実を見過ごしてはならない。

資本逃避と公的支援

 経常収支の赤字をファイナンスするには、赤字国への民間および公的資本の流入が必要である。ところが、金融危機が深まり、政府債務危機が深刻になるにつれて、周辺国向け民間資本の流れは、外国人投資家の周辺国向け債権売却によって急減した。のみならず、周辺国から民間資本の流出が続いている。とりわけ、ギリシャの民間銀行の預金流出は大規模化している。すでにギリシャの民間銀行預金残高の20%以上が国外に流出している。ギリシャの富裕層は、富の毀損を回避するために自国の預金口座から資金を引き出し、安全な国の銀行預金に預け替えを行っている(資本逃避)。

 過去の歴史を振り返ると、それまで過剰に流入していた民間資本の流れ(ボナンザ)が、突然停止(サドン・ストップ)し、大規模な資本流出に転ずることによって金融危機が発生することが常であった。今回のユーロ危機もその例外ではない。

 資本逃避を含めた民間資本の流出額は、ギリシャ、アイルランド、ポルトガル、スペイン、イタリアを合計すると過去1年間で1450億ユーロに達している。この民間の資本逃避額は、過去1年間の経常収支赤字の合計額1310億ユーロを上回っている(12月21日付・ニューヨーク連銀ブログ「リバティ・ストリート・エコノミクス」)。

 民間資本の流れの逆転を相殺するために、EUとIMFの連携による融資(公的資金の流入)が実施された。過去1年間の公的資金援助額は930億ユーロである。ギリシャ(一次および二次支援)、アイルランド、ポルトガルに対する公的支援金額は、3640億ユーロに上ると予測される。問題は、公的資金の流入があっても、民間の資本逃避として逆流してしまう可能性があることだ。富裕層は保有する国債や債券を民間銀行に売却し、その売却資金を外国に逃避させることが可能だ。

公的支援額を上回る決済不均衡

 経常収支赤字と民間資本の流出の合計額(2760億ユーロ)に対して、実施された公的資金援助額(930億ユーロ)は明らかに不十分であった。残りは、どのようにしてファイナンスされたのであろうか?

 ユーロ圏に特有の方法として、民間資本の流れを代替してきたのが、ECBの決済システム(ターゲットⅡ)における、中央銀行間の貸借関係を通じる資金の移転であった。ユーロ圏経済においては、過去1年間の決済システムの貸借関係の不均衡拡大によって、残りの1830億ユーロをファイナンスしたのである(12月21日付ニューヨーク連銀リバティ・ストリート・エコノミクス)。この金額は、過去1年間の公的資金援助額(930億ドル)をはるかに上回るものである。

 ユーロ圏の決済システムであるターゲットⅡは、日本では日銀ネットに相当するが、この決済ネットワークへの市場参加者は日本よりもはるかに幅広く、中小の金融機関も参加しており、比較的小さな規模の取引もカバーしている(5万ユーロ以下の取引がターゲットⅡ取引の65%を占めている)。

 決済サービスという公共財をどこまで中央銀行が担うかは、国によって大きな相違がある。アメリカは、民間のイニシアティブを重要視していることもあって、中央銀行の決済システムとしてのフェッド・ワイアの役割は限定的である。ユーロ圏はその反対であり、取引決済のみならず債券決済まで「ターゲットⅡセキュリティ」に取り込もうとしている。

 ユーロ圏における中央銀行間の貸借関係を通じる資金の移転は、バランスシート上では、国境を越えた民間銀行間の準備の移転として現れる。ターゲットⅡを通じる中央銀行間の貸借関係は、国境を越える財サービスの取引や民間資本の流れとともに変化する。

主役はドイツと周辺国

 もちろん、この決済システムを通じたターゲットⅡに対する債権を増加させてきたのは、ドイツのブンデスバンク(中央銀行)であり、ターゲットⅡに対する債務を拡大してきたのはギリシャなどの周辺国である。

 ブンデスバンクは、2007年以来、そのバランスシートの資産の側にターゲットⅡに対する債権を積み上げてきた。その規模は、2011年11月現在、5080億ユーロにも達している。周辺国の中央銀行のバランスシートの負債の側には、ほぼ同額のターゲットⅡに対する負債が積み上がっている。

決済リスクの負担

 危機発生以前には、ユーロ圏内に経常収支不均衡があっても、決済の不均衡が拡大することはなかった。周辺国は、経常収支が赤字であっても、民間資本の流入を十分確保できたからである。

 ユーロ圏の中央銀行であるECBは、デフォルト・リスクの高い国債のみならず質の劣る債券であっても担保として受け入れることを認めることによって、決済不均衡の持続を可能にしてきた。周辺国の中央銀行は、ECBの認可の下で、「緊急流動性援助プログラム」を通じて、質の劣る担保を受け入れて、民間金融機関への資金供給に応じてきた。ECBは、担保として受け入れる債券を市場価格で評価し、質の劣る債券についてはヘアカットを行っている。

 決済すべき債務が不払いになった場合に、ブンデスバンクは、発生する損失をすべて負うわけではなく、ECBへの資本金拠出の割合(27%)だけ損失を被ることになる。ただし、「緊急流動性援助プログラム」による部分は、当該国の中央銀行が損失を負うことになっている。

決済不均衡の持続可能性と解消プロセス

 私にとって印象的な出来事は、2010年12月のギリシャ国債金利の高騰であった。ECBによる6ヶ月物の無制限の流動性供給プログラムの停止が先行き予想されたため、ギリシャの中央銀行は、民間銀行に対してリファイナンシング・プログラムに過度に依存すべきでないと警告を発した。警告後、ただちに、ギリシャの国債金利は急騰した。その後、予算計数の粉飾問題が明らかとなり、政府債務危機は泥沼化した。

 ユーロにとって死活の問題は、決済不均衡の持続可能性とその解消プロセスにある。周辺国の民間金融機関が、中央銀行から資金を借り入れる担保を有する限り、換言すると、ECBが周辺国の国債や質の劣る債券を担保として受け入れる限り、周辺国の民間銀行は、中央銀行からの資金借り入れを継続することが可能である。周辺国の政府が、新たな国債を発行し、経常収支赤字と民間資本流出が続く限り、公的資金援助が不十分であれば、決済不均衡はさらに拡大する。

 ブンデスバンクにとっての問題は、ドイツの民間金融機関が、外国からの資金流入によって超過準備を積み上げ、ブンデスバンクからの信用供与に依存する必要がなくなることである。2010年半ば以降、ブンデスバンクは、民間金融機関に対してネットの負債者になった。ブンデスバンクの民間金融機関に対する信用供与は、ゼロに向かっている(図)。ドイツの民間金融機関が、ECBのリファイナンス・プログラムに依存する必要がなくなるとすれば、金融政策の有効性にも影響が及ぶことになる。

 金融政策の有効性を維持するために、ブンデスバンクは保有する金を売却すべきかどうかを巡って、2010年10月にユーロ加盟国との間で激しい論争が行われた。

 ほぼ同じ時期に、トリシェ前ECB総裁は、財務大臣会合で、欧州安定化基金の倍増と財政規律の弱い周辺国の国債購入から発生する損失をECBが負わないでよい措置をとって欲しいと要望したが、財務大臣らはこの要請を冷たく無視した。

 ジンIFO研究所長(独)は、決済システムを通じる資金の移転は、ユーロ加盟国が共同で保証した「ユーロ共同債」であると論じている。コア国は、「ユーロ共同債」を購入し、周辺国がその購入資金によって財政赤字、経常収支赤字をファイナンスするのみならず、資本逃避にも利用していることが、決済不均衡問題の本質だとしている。ドイツ政府やブンデスバンクが、ユーロ共同債の導入に執拗に反対する根拠は、決済不均衡問題に根ざしている。決済不均衡の解消が明示されない限り、ユーロ共同債の導入は困難であろう。

 ジン所長は、決済不均衡問題を解決するために、連邦準備制度の地区連銀と連邦準備との決済慣行に従い、ターゲットⅡに対する債権・債務を市場性のある資産で年1回清算することを提案している。仮にこの提案が実施された場合、周辺国政府と中央銀行は、財政赤字と経常収支赤字の縮小を加速するか、決済システムであるターゲットⅡにとどまるのかどうかの決断を迫られることになる。