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岩田一政の万理一空

ユーロ危機の深まりと自己実現的なデフレ予想の行方

 

2012/05/25

「出口なし」から「出口あり」

 ギリシャの総選挙は、ユーロ危機を再燃させた。選挙後に、民主左派連合のツィプラス党首は「われわれは、直接地獄へと向かっている」と述べ、ギリシャに対して財政緊縮政策の履行を迫るドイツのメルケル首相を非難した。

 私は2月23日付けの「万理一空」で、4月は「最も残酷な月」、「ユーロにとって流血の月」となる可能性があると記した。2月の執筆時点では、ギリシャの総選挙は、4月に予定されていたが、5月に延期され、5月がユーロにとって「流血の月」となった。

 EU条約の上では、ユーロを離脱する規定はない。この意味でユーロ圏は、ジャン・ポール・サルトルの戯曲と同様に「出口なし」の状況におかれている。サルトルの戯曲では、不幸な死に方をした一人の男性と二人の女性が、地獄に堕ちてホテルの一室に閉じ込められる。この一室の扉は閉じられている。サルトルの戯曲の原題は「閉じられた扉」である。外に出ることができない3人の男女は、やがて言い争いを始めるが、男性は、「他人は地獄だ」という有名な、他者の存在を否定する「実存主義的な」科白をはく。ツィプラス党首にとって、メルケル首相は地獄のように見えるであろう。

 ギリシャ金融安定基金は、預金流出の続く国内の大手4行に対して180億ユーロの資本注入を行った。しかし、6月17日の次回選挙前に預金流出によって国内銀行の一連の倒産が発生すれば、ギリシャは、「無秩序なデフォルト」に追い込まれるリスクがある。また、かりに6月の選挙まで国内の銀行組織がもちこたえたとしても、選挙後のEU,IMFとの資金支援を巡る交渉は難航が予想される。

出口に2つの可能性

 出口なしと想定されていたギリシャの先行きには、3つの可能性がある。

 第一に、ユーロ圏を離脱してもEUにとどまるケース、

 第二に、EUを離脱しないとユーロ圏を離脱できないのでユーロ圏とEUのいずれからも離脱するケース

 第三に、ECBがギリシャ中央銀行のターゲット2(決済システム)へのアクセスを認めず、ギリシャがユーロ圏から締め出されるケース

である。

 第一のケースは、私がオーストリア財界関係者から直接伺った見方であり、第二のケースは、EU条約50条(「加盟国はEUからの離脱を決められる」)に基く欧州委員会の公式見解だ。第三のケースは、6月の再選挙後の新政権が、中央銀行を国有化した上で、中央銀行総裁を解任し、ECBとのルールを破棄して緊急流動性支援制度を用いて融資を行う場合に発生する。ギリシャは、ユーロを使用し続けてもユーロ圏の外に放り出されることになる。

 いずれにしても、ギリシャの置かれた状況は、ユーロ圏からの「出口なし」から「出口あり」へと大きくシフトした。

 しかし、ギリシャ離脱のコストは巨大だ。パパデモス前ギリシャ首相は、6390億ユーロから1兆ユーロのコストがかかるとの試算を紹介している。アルゼンチンの危機では、通貨価値は30-40%切り下げられた。ギリシャの場合も、新たに導入されるであろう新ドラクマは、最大で70%切り下げられ、国内のインフレ率は30%から50%へ加速する可能性がある。

ドイツの対応

 ブンデスバンクのウルプリッヒ経済局長は、議会の財政委員会で、ドイツは、消費者物価上昇率がユーロ圏の平均を上回ることを許容すると述べた。4月のユーロ圏の消費者物価上昇率は、2.6%であり、ドイツは2.2%だ。

 ECBが成立する前からブンデスバンクは、「2%をやや下回る消費者物価上昇率」を物価安定の目標にしていた。私は,以前から、ブンデスバンクのいう「2%をやや下回る率」とほ、1.7%であろうと推測していた。ところが、2.6%を上回る物価上昇率を許容するというのであるから、ウルプリッヒ局長はかなり思い切った発言を行ったことになる。ブンデスバンクは「ルビコン河を渡った」ようだ。

 加えて、ショユベル財務大臣もユーロ圏内部の不均衡を是正するために、ドイツの労働組合が要求する賃金上昇を許容すると述べた。これらの発言は、周辺国に成長の余地を作り出すためのドイツなりの政治的譲歩と解釈することができる。

ECBとEUの対応

 ブンデスバンクが、現在のインフレ率を上回る物価上昇を許容した時点で、ECBが、金利切り下げを含む金融緩和を進める準備が整ったといえる。ポーランドのロストウ財務大臣は、ECBはギリシャのユーロ圏からの離脱と無秩序なデフォルトを予防するために、無制限の政府債務買取を行うべきであると論じている。通常は認められない措置であっても、状況が異常である場合には、ECBが思い切った措置をとることは、十分に考えられる。

 さらに、ギリシャでの預金取り付けの動きが他の周辺国に波及することを阻止するためには、ECBが預金を全額保護すると宣言するか、または、EUレベルでの預金保険制度を確立する必要がある。この場合、預金保険・銀行整理のために550億ユーロの基金創設の提案が行われている。EUは、不良債権買取と資本不足にある銀行部門への公的資金投入を実行すると仮定すれば、既存の資金とあわせて総額2兆ユーロ程度の資金を準備することが必要になろう。

 加えて、メルケル首相は反対姿勢を崩さないが、EUはユーロ共同債を発行し、質の低下した政府債務を質の高い政府債務に置き換えることによって、安全資産を求めて海外逃避する資金の流出を阻止する必要がある。

 最後に、日本にとっては脅威であるが、シーゲルペンシルヴァニア大学教授は、ユーロを救う窮余の一策としてユーロの大幅切り下げを提言している。

自己実現的なデフレ予想の行方

 ユーロ圏が、ユーロ切り下げという選択をするかどうかは別としても、ECBのさらなる金融緩和とユーロ危機の深まりによって、ユーロの対外価値がクラッシュするリスクが高まっている。1ユーロは100円をすでに切っている。

 円高期待を通じる自己実現的なデフレ予想は、日本経済をデフレに陥らせた主要な要因の一つであった。デフレのもう一つの要因は、人口構造、労働市場の構造変化を通じる期待成長率の低下だ。急速な円高進展によって、デフレ克服の道筋は一層見えにくいものとなる。

 先行き円高が進むとの予想の下で、企業は、円高分だけ固定費用や賃金をカットして販売価格を引き下げ、厳しい国際競争に生き延びようと努めることになる。日本の企業の多くは、海外での販売価格を相手国通貨建てで決定している(「現地通貨建て価格付け」)。円高を現地販売価格に反映させることができないため、円高による企業収益に対するマイナス効果は極めて大きなものとなる。

 他方、アメリカ企業の多くは、自国の通貨建て(ドル)で海外の販売価格も決定している(「生産者通貨建て価格付け」)。従って、ドル高による価格競争力低下による売上高減少のリスクはあるが、企業収益への影響は限定的である。

円高と消費者物価

 図には、食料・エネルギーを除く消費者物価の上昇率と円の名目実効為替レートを一年先行させた変化率を示している。名目実効為替レートを一年先行させているのは、円高が進行してから消費者物価に影響が現れるには1年程度かかるとみているからだ。

 1990年代前半の円高期に、名目実効為替レートは45%増価した。この時期の円高は、2.5%上昇していた消費者物価を押し下げるよう働いた。また、1997年半ば以降の円高反転期に、名目実効為替レートは16%増価し、消費者物価上昇率はマイナスの領域に落ち込んだ。

 他方、2000年代に名目実効為替レートが円安基調を維持したことで、初めて食料・エネルギーを除く消費者物価が2008年にプラスに転換した。

 さらに2007年から2011年にかけての急速な円高期には、名目実効為替レートは34%増価し、消費者物価を引き下げるように働いた。2008年に一時期プラスになった消費者物価は、再び深いマイナスの領域に引き戻されることになった。名目実効為替レート変化率の推移と消費者物価上昇率との関係は、日本のデフレ発生における自己実現的なデフレ予想の役割の重要性を示唆するものである。

 最後に、2012年2月、4月の日本銀行による拡大的な金融政策措置は、名目実効為替レートの変化率をゼロ近傍に引き上げることに寄与した。しかし、名目実効為替レートの変化率がはっきりとした円安基調に転じていないことに注目すると、デフレ脱却への道のりはなお厳しいものといえる。