ユーロ危機:最後の貸し手と政府債務破綻処理
2012/08/23
ユーロ圏内で「交換性リスク」発生
欧州中央銀行(ECB)のドラギ総裁は、7月26日ロンドンで開催されたグローバル投資家会議の席上で、「われわれの職務権限の範囲内で、ECBはユーロを守るためにはいかなることもする用意がある」と述べた。市場は好感し、スペイン、イタリアの国債利回りは急低下した。注目すべきは、「われわれの職務権限」に何が含まれているかである。
ドラギ総裁は、ユーロ圏内で銀行間での資金の貸借が行われず、金融活動の各国へのとりこみ(断片化)が生じていることに危機感を募らせている。ユーロシステムの決済ネットワークであるターゲット2に巨額の債権と債務が積みあがっている原因は、この銀行間市場が機能不全に陥っていることにある。当然のことながら、銀行間市場が機能不全であると、ECBの金融政策の波及経路は大きく制約され、金融政策の有効性が損なわれることになる。
より重要な点は、ユーロ周辺国の国債の金利に、「流動性リスク」と「加盟国の財政破綻リスク」のほかに「交換性リスク」が加わっているとドラギ総裁が指摘したことだ。「交換性リスク」とはユーロ圏の部分的、あるいはユーロ圏全体の崩壊リスクの発生を意味している。仮に、ユーロ圏周辺国がユーロ圏から脱退することのリスクが高まれば、国債金利にユーロと自国通貨の間の為替レートの変動リスクが加わることになる。
財政破綻のリスクは、財政当局の守備範囲である。しかし、ユーロ崩壊リスクは、ECBの職務権限に入ってくる問題だ。ちなみに、シティバンクの主任エコノミストであるウィレム・バウター氏は、ギリシャのユーロからの脱退可能性は、9割まで高まったと予測している。
市場の失望と期待
8月2日のECB政策理事会会合では、市場が期待していた政策は、不発に終わった。ドラギ総裁は、条件付きで短期債の購入を行うことを示唆しただけであった。この条件とは、第一に、欧州金融安定基金(EFSF)が加盟国の長期国債を発行市場で購入することであり、第二に、この措置を実施に移すためには、スペイン政府やイタリア政府が、銀行救済のためでなく、両国政府の救済を目的とした公的支援をEUに要請することが前提条件になる。もちろん、EUが公的支援を行うに当たって、財政赤字の削減や構造改革の実施について両国政府との合意書締結を求めることになる。両政府とも、厳しい条件がつくことを嫌って、EUに公的支援を要請していない。
これに対して、スペイン政府やイタリア政府が望んでいることは、ECBが無条件かつ無制限にドイツ国債と自国国債のスプレッドに上限をおいて自国の国債を購入することである。これを「スプレッド目標政策」と呼んでいる。
ドラギ総裁は、8月2日のECB政策理事会後の記者会見で「交換性リスク」がどの程度周辺国の国債金利を引き上げているかという質問には答えなかった。しかし、仮にスペインやイタリアがEUに対して公的支援を要請し、ECBが透明性の高い「スプレッド目標政策」を実施する場合には、ユーロと当該国の間の「為替レートリスク」がどの程度の大きさであるか暗黙の内に示されることになろう。ECBの内部では「スプレッド目標政策」に関する、実務的な検討が行われているとの報道もなされている。
ECBによる国債購入と並んでEFSFが、銀行免許を得て国債発行市場で国債を購入し、ECBがそれに融資する提案もなされている。ECBからの融資が必要になるのは、EFSFに利用可能な金額が限定的であるからだ。為替レートの減価を防ぐための介入政策は、介入当局に十分な外貨準備の蓄えがない場合には、却って市場の投機的な売買を刺激し、当局の介入が失敗に終わることになる。この事態を回避するためには、無制限の介入があると市場が納得する必要がある。
「スプレッド目標政策」とEFSFへのECBによる融資のいずれの案もブンデスバンクのワイデマン総裁は拒否している。異例なことであるが、ドラギ総裁は、理事会メンバーの1人が、ECB政策理事会で、国債購入に反対したことを明らかにした。ECBによる短期債購入は、9月の政策理事会で決定される可能性が高いが、まだ確実であるとはいえない。
財政破綻リスクと最後の貸し手
ECBによるユーロ加盟国短期債の購入は、市場ストレスを軽減し、国債の流動性リスクを緩和することができるであろうが、財政破綻リスクの高まりを原因とする金利上昇を抑制することはできない。
財政破綻リスクが高まれば、国債金利は上昇する。しかし、財政破綻リスクは、客観的なデータによって正確に把握することは容易ではない。まず、当該国のファンダメンタルズの強さが重要であり、加えて税収を確保する上での政府のガバナンスの強さや国内市場における国債吸収力によっても変化するからだ。ユーロ圏では金融資本市場が統合されているために、他の加盟国からの財政危機が伝播しやすい。
ECBは、「証券市場プログラム」を通じて、すでに周辺国の国債を2250億ユーロ購入している。仮にECBが周辺国の国債を無制限に購入することになったとしよう。ECBによる国債購入は、利子付き国債が利子率ゼロの貨幣に置き換わってゆくことを意味している。しかし、財政破綻リスクがある限り、ECBが保有する国債価格は減価するリスクがある。ECBの資本金は限られた額であり、その増資にはEU理事会の了解が必要だ。ECBにはどの程度のリスク負担能力があるのだろうか。
バウター氏は、中央銀行が発行する貨幣には「利子を払う必要がないこと」に加えて、「償還する必要がない」ことに注目して、ECBが貨幣発行による造幣益収入(シニョレッジ)をどの程度期待できるか試算したことがある。ここで中央銀行の造幣益として2つの測り方がある。
第一は、マネタリーベースの増分をもって造幣益とするものである。
第二は、中央銀行の保有する資産の収益と負債の側の支払利子の差をとり、それを造幣益とするものである。
バウター氏は、ECBは物価安定という職務を遂行し、2%のインフレ率、1%の実質成長率を達成するなど一定の前提を置いた上で、第二の方法による将来にかけての造幣益は、2.9兆ユーロであり、それに資本金、保有外貨準備の評価益なども合わせて3.4兆ユーロのコスト負担能力があるのではないかと推測している。
しかし、仮に3.4兆ユーロの見込み収益があるとしても国債市場での無制限の介入が当初の目的を達成する保証はない。貨幣が無制限にかつ恒久的に増加すると市場が確信するようになれば、国債の価格は、インフレリスクの高まりにより大幅に減価し、中央銀行への信頼のみならず内外の通貨価値の安定を損なうことになるからだ。
政府債務破綻処理メカニズムの欠如
中央銀行は、流動性不足に陥った民間金融機関に対して「最後の貸し手機能」を果たす義務がある。しかし、債務危機に陥った政府に対して「最後の貸し手機能」を果たす義務は本来ないはずである。にもかかわらず、ユーロ圏周辺国では、「銀行危機と政府債務危機の悪循環」が生まれており、この悪循環を断つ必要があるため、ECBによる加盟国の国債購入が求められている。
ユーロ圏政府が直面している基本的な問題は、域内で加盟国の政府債務破綻処理をするメカニズムが欠如していることである。アメリカは建国の時期に州政府の債務をどのように処理するかという課題に直面し、連邦政府が州の債務を全額引き受ける代わりに地方政府に均衡予算原則という財政規律を課すことにした。加えて、連邦政府と州には財政トランスファーのメカニズムも備わっている。
ところが、ユーロ圏には、十分な財政トランスファーが存在していない。アメリカのある州が債務危機に陥ってもドルが崩壊することはないが、ユーロの場合には「銀行危機と政府債務危機」がリンクしているために危機伝染効果を通じてユーロ自体が崩壊するリスクがある。
ユーロ崩壊の危機は世界経済に深刻な影響を与える。仮にユーロが崩壊すれば、1年以内にドイツ経済のGDPを10%減少させ、失業者は500万人を越えるとのドイツ財務省試算もある。
世界経済システムは、財政危機の伝染効果を遮断する有効な政策手段をもっていない。また、政府債務破綻処理メカニズムに関する枠組みも存在していない。現行の世界金融体制においては、為替レート制度の選択についてノンシステムであるのと同様に、政府債務破綻処理メカニズムについてもノンシステムの状態が続いている。
IMFは、政府債務危機に対して、「最後の貸し手機能」を果たすことが期待されている。流動性危機に陥った国に緊急融資し、危機を予防する役割が期待されている。かつてアルゼンチンの通貨危機に際してIMF内に、「政府債務破綻処理メカニズム」を組み込む提案が行われたことがある。IMFが、民間企業の破綻処理において裁判所の役割を果たす程強力な権限をもつことに対して、アメリカ政府が反対したためその提案は実現しなかった。その過程で,政府債務発行に当たり、市場メカニズムを重視し、政府債務破綻処理に関する民間債権者による交渉を容易にする集団行動条項(CACs)を導入するようになった。民間が関与するギリシャの債務処理についてもこの財務条項が活用された。
しかし、ECBは、ギリシャの債務処理に際して、CACsは「民間関与」にのみ適用されるとの理由で、債務削減に加わらなかった。CACsは、ギリシャの法律に基づいて発行された国債については適用されるが、国際法に基づくギリシャ国債には適用されない。そこで国際法に基づく国債を保有するあるスイスの投資家は、公的部門の債権者と民間債権者の間で差別的な扱いを行っているとして、ECBに対する訴訟を起こしている。この出来事は、CACsによる処理に限界があることを示唆している。
国際金融システムは、政府債務危機の連鎖によってその安定性が脅かされている。国際的な金融危機を予防する上で、ユーロ圏内部ばかりでなく、国際金融システムにも政府債務破綻処理に関する枠組みを導入することが求められている。
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