ドラギ魔術と国家債務再編プロセス
2012/10/16
IMF・世銀総会でのパネル討論
今年のIMF・世界銀行年次総会では、東京で多くの催し物やセミナーがあった。アジア開発銀行研究所(ADBI)とブレトンウッズ再構築委員会(Reinventing Bretton Woods Committee)主催によるセミナー(10月12日開催)を傍聴する機会があった。
とりわけ、新たに発足した欧州安定メカニズム(ESM)を代表するレグリング氏、欧州中央銀行(ECB)の専務理事であり、主任エコノミストでもあるプラート氏、スイス中央銀行の前総裁ヒルデブラント氏、日本銀行政策委員白井さゆり氏が参加したパネル討論は聴き応えがあった。
ESMは、10月8日に発足したばかりであり、ECBは「直接貨幣取引プログラム」(OMT=Outright Monetary Transactions)を公表したこともあって、ユーロ圏市場は一時的とはいえ穏やかな状態が続いている。
スペインの状況
このパネルでの焦点は、なんといってもスペインであった。ヒルデブラント氏は投資家にとって事態の推移を観察できる「窓」だと表現していた。
ECBにとって、「OMT」の最初の対象国はスペインである。事前にはポルトガル、アイルランドも対象になるのではないかとの市場の憶測もあったが、「市場アクセス」のない国には適用されないことになっている。
もっとも「市場アクセス」の定義について、アスムセンECB専務理事やポルトガルの財務大臣に対する質問も別のパネル討論(IMF・世銀セミナー「欧州を強化する」、10月13日開催)でもあった。その質問に対する答えから、仮に、一部の満期の国債発行によって市場での資金調達が可能になったとしても、完全な「市場アクセス」がある国とは認められないことが明確になった。
また、ESMに対する資金拠出をスペインが期日までに実施できるかどうか危ぶむ声もあったが、欧州代表部関係者の情報によると、どうやらスペイン政府による一回目の資金の払い込み(38億ユーロ)は予定通り実施されたようだ。
しかし、スペイン政府がESMに公的支援を要請するかどうかはまだ不確実だ。厳しい国内の政治、経済情勢に悩むラホイ首相は、公的支援を申請した結果、一層の窮乏化政策を強制されることを恐れている。銀行危機と政府債務危機にマクロ経済の不安定性が加わった場合に、「何をなすべきか」、また、適切な「政策実行の順序」について経済学は満足のゆく答えを用意できていない。さらに、イングランド銀行のエコノミスト、ハルディン氏が指摘するように、政府部門のみならず民間部門の債務残高が、歴史上例をみない程に拡大してしまったのは何故か、経済学は満足できる答えをもっていない。
ドラギ総裁の魔術ともいうべき「OMT」が用意されているとしても、それが実施されないままにマクロ経済の不安定性や国内政治不安から再びスペインの国債金利が上昇する懸念が高まっている。
同様の問題は、ギリシャにも存在する。現在のギリシャの債務残高は大きすぎて返済不能であり、単に返済期間を2年間延長するだけでは不十分であり、公的部門が保有するギリシャ向け債権を民間並みに一部免除(ヘアカット)して、早期に政府債務・名目GDP比率を100%程度に引き下げてはどうかとの声もある。しかし、ドイツを中心とする欧州諸国政府は、更なる債務削減に反対の姿勢を崩していない。
「単一の金融監督体制」と「単一の銀行整理プロセス」
プラート氏の説明で興味深かったのは、ユーロ圏で「単一の金融監督体制」を導入することが決定されたが、「単一の銀行整理プロセス」が伴わないと実効性がないと述べたことである。当然のことながら、「単一の銀行整理プロセス」は、加盟国間における銀行部門のみならず財政コストの分担を伴っている。そのため、その実施には、より長い時間を要することになる。
私は、「単一の金融監督体制」と「単一の銀行整理プロセス」の導入には、その両者を結びつける「単一の預金保険機構」が必要だと思う。日本の経験でも「銀行の整理プロセス」には預金保険機構が、公的資金注入の窓口として、また、銀行の保有する不良債権の整理回収にも重要な役割を果たしたことに留意すべきだ。
優先弁済権と国家債務再構築メカニズム
私は、最初に触れたパネル討論で、フロアからECBが「OMT」で購入する国債の優先弁済権についてプラート氏に質問した。仮にスペインにおいて、ギリシャと同じく債務再編が実施され、民間部門保有の債権のヘアカットが実施される場合に、ECBが保有するスペイン国債について民間部門と同様のヘアカットを受け入れる、すなわち、優先弁済権はないとドラギ総裁は説明している。
しかし、欧州条約では、ECBによる「財政赤字の貨幣化」を禁止しており、ヘアカットが「財政赤字の貨幣化」を意味するものである限り、法制上ヘアカットを実施できないのではないか。その場合、ESMがECBに代わって損失を負担するのかどうかという質問を投げかけた。
プラート氏の答えは、国家債務再編のプロセスに依存するというものであった。レグリング氏からの答えはなかった。
この問題は、技術的であるが、中央銀行が国家債務再編のプロセスにどのように関与するべきかという微妙な点に関連する。また、財政政策と金融政策との責任分担の問題とも関連している。本来、主権国家の債務再編は、中央銀行ではなく、IMFが責任をもって処理すべき仕事である。EU、ECB、IMFからなるトロイカ体制は、もともとその責任分担について矛盾を孕んだまま発足した。国際金融協会が主導したギリシャの民間関与プログラムは、決して国家債務再編の成功例とはいえない。しかし、別の解決策が示されているわけでもないところに、ユーロ危機解決の難しさがある。
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