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岩田一政の万理一空

人民元の将来と「中所得のワナ」

 

2012/11/26

ユーロの将来

 北京の対外経済貿易大学で開催された会議に出席する機会があった。会議は「分裂の世紀:ブレトンウッズ体制の終焉?」をテーマとするものであり、ユーロ危機の先行きを中心として通貨体制の将来を巡って議論が行われた。

 尖閣問題を巡る日中間の対立が激しくなっているので、日本に対する厳しい質問があるかと危惧していたが、私に話しかけてきた教授や学生は親日的であった。

 最初にロバート・マンデル米コロンビア大学教授から基調講演「ユーロで何がおこっているのか、その将来は?」があった。世界の経済パワーに大きなシフトがあり、通貨システムもドル本位制度から複数の準備通貨(ドル、ユーロ、ポンド、人民元、円)が地域的な展開を示すシステムに変化してゆくと述べていた。ユーロについては、参加国の数に変化があるとしても全面的な崩壊はなく、地域通貨として生き残るであろうと予測していた。

 他方で、ユーロ圏のスピーカーは、いずれも銀行同盟、経済統合、予算編成の面で大きな進捗があり、ユーロの将来を楽観していると強調していた。

人民元の将来

 マンデル教授の話を聞きながら、アジアは、現在のところ基本的にドル本位制度の下にあるが、次第に人民元の果たす役割が大きなものになるであろうとの印象を強く受けた。ピーターソン国際経済研究所の最近のワーキングペーパーでは、2000年代に入ってからアジア諸国は、為替レート政策運営の上で、ドルよりも人民元を「参照通貨」にしているとの分析が行われている。貿易のウエートの推移からみても自然な動きであろう。

 会議の最中に、中国の国営テレビ局CCTV(China Central Television)から私にも個別にインタビューがあった。質問はマンデル教授の講演を踏まえて、中国の金融の将来と人民元が果たす役割についてどう考えるか、ということであった。おおむね以下のように答えた。

 人民元が国際金融市場で大きな役割を果たすようになることは間違いない。マンデル教授は1968年にペーパー・ゴールドとしてIMFの特別引き出し権(SDR)を導入することを提言した。この提言は、国際通貨システムがかかえる「調整、非対称性、流動性」の3つの問題を解決する上で重要だという認識に立って行われたものである。

 ドルが基軸通貨としての役割を果たす限り、アメリカの経常収支赤字問題をどう解決するかが課題になる。また、アジア諸国を中心に準備資産としてアメリカの国債保有を増加させたいと各国が考える限り、為替レート調整に非対称性が残り、アメリカの経常収支赤字が持続しやすい。さらに、世界の流動性の配分にも歪みが生じやすい。

 現行の通貨システムは、アジア諸国が事実上のドル・ペッグ制度を採用し、準備資産としてドルを蓄積しようとしている点で、「ブレトンウッズⅡ体制」とも呼ぶことができる。換言すると、政府債務危機の時代において基軸通貨国アメリカに調整の負担がかかりやすいシステムであり、これをより対称性のあるシステム「ブレトンウッズⅢ体制」に進化させてゆく必要がある。

 このためには、国際金融体制におけるIMFの役割を高め、SDRが準備資産としてもっと活用されるようになることが望ましい。また、国家債務危機問題については、IMFが国家債務再構築にもっと積極的な役割を果たすことができるよう「国家債務リストラクチャリング・メカニズム」をIMFに導入することが望ましい。

 人民元は、やがてSDRを構成するバスケット通貨の一つとして組み入れられるようになることであろう。しかし、そうなるためには、バランスのとれた国内外での金融自由化を進め、人民元の交換性回復を実現する必要がある。

 1990年に中国を訪問した際に、人民元の交換性回復はいつ実現するか、中国のエコノミストに質問したが、答えは10年以内というものであった。20年待ったがまだ実現していない。第12次5カ年計画では2015年に交換性回復を実現するとしているが、是非期待したいと述べた。

 インタビューでは、何故内外のバランスのとれた金融自由化が必要なのかという質問があった。為替市場の自由化を進めるにしても国内金融市場で為替リスクをヘッジする手段が利用可能でなければ、市場はうまく機能しない。また、過去のラテンアメリカ諸国の経験を踏まえると対外的な金融自由化を先行した場合に、金融市場に歪みが生じやすいと答えた。

中所得のワナ

 この会議では、「財政主導の脅威」と「中国の中所得のワナ」も取り上げられた。私は、国際決済銀行(BIS)の経済金融局次長ターナー氏とともに、長期利子率や物価上昇率のコントロールについて国債管理を含む財政政策が金融政策をドミネイト(支配)するようになるかどうかというテーマ「財政主導の脅威」について話しをした。

 中国では、金融政策は国務院の管理下にあり、財政主導は自明のことであるためか、学生や聴衆の関心は、もっぱら後者の中国の今後の発展の姿にあった。

 「中所得のワナ」とは、新興国の経済発展において単純な組み立て加工型産業から裾野産業の発展に至ることがあるとしても、高品質製品の生産に移行する段階で「見えない壁」にぶつかり、先進国の段階に達しないことを意味している。現実に、アジアでも先進国入りしたのは、日本のほかにシンガポール、香港、台湾、韓国だけである。

 世界銀行と中国国務院発展研究センターが共同で公表した「2030年の中国」では、中国に「中所得のワナ」のリスクがあるかどうか検討しており、その解決策も提示している。学生の興味が集中したのは「中所得のワナ」であった。

 ある学生は、賃金格差の縮小から農村から都市への人口移動が停止する「ルイスの転換点」によって、中国の経済成長が下方屈折するのではないかと質問した。ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスのダニー・クア教授は、「答えはイエスであり、かつノーである」と答えていた。経済成長の下方屈折はありえるが、中国は国際分業を拡大することによって、とりわけ中東諸国との貿易拡大を通じて成長の果実を得ることができると主張していた。何故中東諸国が重要であるかは明らかではなかったが、貿易投資の自由化が成長を促進することは明らかであろう。

 その応答を聞いていて私は、仮に「ルイスの転換点」と「人口ボーナスの消失」が同時に発生するとすれば、中国経済は近い将来、5-6%の成長経路へと変化してゆくのではないかと考えた。また、「中所得のワナ」を脱する上で、国有企業を中心とする社会主義市場経済の抜本的な改革が必要である。新たな中央政治局常務委員が決まったとしても、現在の政治体制の下で国有企業改革を通じて効率的な資源配分メカニズムが実現されるかどうか多くの課題が残されている。