円高是正はどこまで進むか?
2012/12/18
主要国の実質実効為替レートの推移
衆議院選挙は、自民党の圧勝に終わった。円レートは85円台を伺う展開になった。シカゴ先物市場では、円の売りポジションが14万枚も積み上がっている。日本銀行が一層の金融拡大に舵を切るとの期待があるようだが、先物市場の売りポジションは、永続的なものではなく、その取り崩しリスクがあることに注意すべきだ。
また、企業の国際競争力に大きな影響を与えるのは、対ドルの円レートではなく、すべての貿易相手国を対象とし、物価変動の影響を除いた「実質実効為替レート」だ。実質実効為替レートでみた円高は、どの水準まで是正されるべきなのであろうか。換言すると、均衡の実質実効円レートはいくらかという問いに答える必要がある。
1970年以来の日本、アメリカ、ドイツ、韓国の実質実効為替レートの推移を観察すると、興味深い事実が浮かび上がってくる(図1)。
第一に日本は、ドルの減価を相殺する形で大きく変動してきたが、一貫して円高基調で推移していることだ。ある韓国のセミナーで朴英哲(Park Yung Chul)高麗大学教授から、私は「何故、日本は単独でこんなに突出した円高を続けているのか」という質問を受けた程である。韓国など事実上のドル・ペッグを採用してきたアジア諸国と比べると、日本の円高は突出している。
日本は、2001年から2007年春の時期を除くとドルが大きく減価する時期に、調整弁の役割を果たし、大幅な増価を繰り返してきた。2001年から2007年春の時期は、日本銀行が量的緩和を採用し、2003年から2004年春にかけて財務省は35兆円もの大介入を行なった。量的緩和が終了した2006年3月以降も円キャリー取引が拡大したため円安傾向が持続した。
しかし、円キャリー取引は持続せず反転し、急激かつ大幅な円高に転じた。2007年以降、円の実質実効為替レートは27%も増価した。この増価幅はスイス・フランを上回っている。
第二に、これに対してドルは、1985年に一時的に1970年の水準に回帰したが、それ以外の時期は、ドル安基調で推移している。とりわけ、2002年以降、リーマン・ショック直後の一時期を除くと、ドルの実質実効為替レートは33%も減価している。
第三に、ドイツの実質実効為替レートは、驚異的とも言える程に一貫して1970年と同じ水準で推移している。仮に、為替レートが国内と外国の物価上昇率の差で決定される「購買力平価」が成立しているとすれば、実質実効為替レートは一定値で推移するはずだ。ドイツの為替レートは、あたかも「購買力平価」が常に成立しているかのような安定性を示している。
さらに、驚くべきことは、図には示していないが、ドイツの交易条件も1970年以来ほぼ一定の水準で推移していることだ。以下で述べるように、交易条件の逆数が均衡実質実効為替レートを示すとの観点からすると、ドイツは、均衡実質実効為替レートからほとんど乖離することがなかったということになる。もちろん、1999年のユーロ導入は、ドイツの実質実効為替レートを安定化するよう機能したであろう。しかし、ユーロ導入以前でもドイツの実質実効為替レートが安定していることは注目に値する。
均衡為替レートからの乖離幅
日本経済研究センターでは、最近の短期経済予測において、「経済行動から推測される均衡為替レート」(Behavioral Equilibrium Exchange Rate: BEER)を計測した。経済のファンダメンタル要因から決定される実質実効均衡為替レートはどのような水準にあるのか、為替レートに影響を与えるファンダメンタル変数を直接用いて実質均衡為替レートを計測した。
この均衡レートは、ピーターソン国際経済研究所が計測している「基本的な均衡為替レート」(Fundamental Equilibrium Exchange Rate: FEER)が、国内で完全雇用が成立している場合の基調的なネットの資本流入と整合的な為替レートに着目するのに対して、現実のファンダメンタル要因に着目し、現実の実質為替レートは均衡レートに回帰する傾向があるとの前提で計測を行うものである。
経済の実物面では、(1)輸出価格と輸入価格の比率である交易条件と(2)貿易財に対する非貿易財の相対価格の内外格差の2つの変数が、実質均衡レートに大きな影響を与えるファンダメンタル変数に選ばれている。
後者の非貿易財の貿易財に対する相対価格の内外格差は、「バラッサ=サミュエルソン効果」と呼ばれている。外国に比べて非貿易財の貿易財に対する相対価格が大きく上昇する経済では実質為替レートに増価圧力が加わりやすい。高度成長期から1970年代にかけての日本では、貿易財の生産性上昇が非貿易財の生産性上昇率を大きく上回ったために、非貿易財の相対価格が上昇し、円高圧力が発生しやすかった。
他方で、経済の金融面では、資本フローに大きな影響を与える変数として(1)内外の実質金利差、(2)対外純資産の名目GDP比率、(3)リスクプレミアム(公的債務残高の対名目GDP比率の内外差)が取り上げられている。
以上の5つの説明変数による計測では、円の実質実効レートは、足元で均衡値から13%過大に乖離しているとの結論が得られている。この計測では、通常の議論とは異なり、1995年の円高と比べて今回の円高の時期の方が、より大幅に過大評価されているとの結論が得られた。同様に2000年代前半は、均衡値と比べると過小に評価されていたことになる(図2)。
交易条件からみた均衡為替レート
ところで、「経済行動から推測される均衡為替レート」のモデルでは、財・サービス市場においては、交易条件と「バラッサ=サミュエルソン効果」が実質実効為替レートの決定に大きな影響を与えるということを意味している。
仮に、経済に存在する財とサービスがすべて貿易の対象になる貿易財であったとすると、実質実効為替レートは、交易条件の逆数に等しい。交易条件は、「バラッサ=サミュエルソン効果」とともに、財・サービス市場の均衡条件から決定されるものである。
日経センターの計測結果では、「バラッサ=・サミュエルソン効果」は、均衡実質レートに対して統計的に有意な影響を与えていない。貿易財と非貿易財の相対価格の代理変数として消費者物価と生産者価格、または卸売価格の比率を採用していることも影響している可能性がある。
しかし、同時に、日本の貿易相手国経済の発展段階が大きく異なることを考慮すれば、すべての貿易相手国との間での貿易財と非貿易財の相対価格の格差、または生産性上昇率格差が、一定の方向で日本の均衡レートに影響を与える可能性は低いであろう。貿易相手国の数が増えれば増える程、バラッサ=サミュエルソン効果が均衡レートに与える効果は符号を含めて曖昧なものになる可能性がある。
そこで、交易条件によって決定される実質実効為替レートが、財・サービス市場における均衡レートを意味するとの仮定を置き、現実の実質実効為替レートの過大評価の度合いを計測してみた。
日本は、他の貿易相手国と比べてエネルギーの対外依存度が極めて高い。企業の国際競争力が問題になるのは、主として工業品であるとの想定の下では、エネルギー輸入の影響を除いた輸入物価を用いた交易条件を対象とすることも十分に意味があると考えられる。
そこで、交易条件として、通常の輸出物価と輸入物価の比率をとった変数と、輸出物価とエネルギー関連輸入を除いた輸入物価を用いた変数の二つのケースを計測した。
ところで、均衡レートの計測には多くの場合、初期時点の選択により計測結果が大きく異なるという問題がある。現実に、2つの交易条件の逆数と実質実効為替レートの乖離幅は、初期時点の値によって大きく変化する。この初期時点選択の恣意性を排除するために、計測では1980年から2012年にかけての乖離幅の平均値からの乖離をもって、均衡からの乖離として計算した。
通常の交易条件を用いた場合には、円の実質実効為替レートは3割程度割高ということになる。エネルギー輸入を除いた計測では、15%程度の過大評価ということになる(図3)。
後者の結果は、日経センターの試算したBEERとほぼ同じである。興味深いことに、2つの計測方法で結果が大きく乖離するようになるのは、2005年以降である。この時期以降、原油などの商品相場が金融資産化したことが影響している可能性がある。アメリカが強い金融緩和策をとった場合、原油価格が敏感に反応するようになった結果であると考えられる。
この実質実効為替レートの均衡からの乖離幅を名目の円レートに直ちに換算することは、正確な計算方法とはいえない。しかし、仮に1ドル=80円を出発点とし、15%の過大評価を適用するとすれば、90円台前半が均衡に向けた円高是正の一つの目安になるであろう。
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