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岩田一政の万理一空

安全資産不足と国際通貨体制の将来

 

2013/03/19

イタリア国債の格下げ

 イタリアの国債がトリプルBへと格下げされた。米国、英国の国債も格下げを経験しており、トリプルAの格付けをもつ国は、ドイツ、オランダ、北欧諸国など数が限定されてきている。

 国際通貨基金(IMF)は2012年秋に公表した金融安定化レポ-トで、先行き2016年までに安全資産が9兆ドル減少すると予測している。ここで安全資産の定義としては、投資適格債であること、およびCDSスプレッドは200bp以下であることとされている。安全資産の供給不足問題が発生するのは、現下の世界が金融危機ばかりでなく政府債務危機のリスクに直面しているからだ。

 リーマン・ショック以降、円高が急速に進んだのは、「リスクオフ」の市場環境の中で、円とスイスフランがセーフヘイブン通貨とみなされたためだ。安全資産を求める投資家は、相対的に安全とみられる通貨への投資を行なった。現在の国際通貨体制が抱えている基本的な問題は、グローバルな安全資産を安定的に供給する仕組みを欠いていることと、安全資産供給の分布が偏っていることだ。

ユーロの発足と危機

 安全な準備資産の偏在問題は、ブレトンウッズ体制発足時から存在していた。ブレトンウッズ体制が発足してから四半世紀後に、米国はドルと金のつながりを絶ち、先進主要国は変動レート制度に移行した。変動レート制度への移行後も、米国は、経常収支不均衡是正に悩み、国内の貿易保護主義を抑制するために明示的なドル安・円高政策を採用し、1985年に、先進国間で「プラザ合意」が成立した。

 1985年のプラザ合意以降、基軸準備通貨であるドルの対外価値の大幅な変動に対して、1987年に、主要通貨の為替レートを一定の変動幅に抑制しようとする「ルーブル合意」が結ばれた。日本からは宮沢大蔵大臣が出席し、「現行水準での円レートの安定」を主張した。残念なことに、ルーブル合意は遵守されることはなかった。

 ルーブル合意における「目標為替レート相場制度」創設の試みに挫折したフランス政府は、欧州における統一通貨への道をひたすら追求するようになった。その成果が、ブレトンウッズ体制発足から半世紀を経て1999年に創設された準備通貨ユーロである。

 しかし、そのユーロの対外価値も大きな変動を免れることはできなかった。「偉大な安定」(Great Moderation)と呼ばれる市場環境のなかで、統一通貨導入後のユーフォリアも加わり、域内はバブル景気に湧き、ユーロ圏への資本流入が続いた。

 この時期の主要通貨の実質実効為替レート(図)をみると、円は2000年から2007年半ばにかけてトレンドとしておよそ5割減価した。米ドルの実質実効レートも2002年春をピークとして、2012年秋にかけて3割減価した。

 この間の主要通貨為替レート変動のショックアブソーバーは、ユーロであった。ユーロの実質実効為替レートはおよそ4割増価した。ドイツの実質実効為替レートは、ほぼ一定に維持されたが、南欧諸国の実質実効為替レートは大きく増価し、ファンタメンタルズから大きく乖離するようになった。

 ユーロ圏南欧諸国の危機は、銀行危機と政府債務危機が重なったものとされることが多い。しかし、域内における国際収支危機がもう一つ加わっていることを見落としてはならない。この国際収支危機は、南欧諸国の国債価格の暴落のみならず、南欧諸国からの大幅な資本流出、預金流出を伴っていた。しかし、南欧諸国からの大幅な資本流出は、ユーロシステムにおけるターゲット2における債権、債務の蓄積によって吸収され、域外諸国に対する国際収支危機として表面化することはなかった。

ブレトンウッズII体制から脱却

 先進国の多くが変動レート制度を採用したが、新興国や発展途上国の多くは、主要通貨やバスケット通貨、IMFの特別引き出し権(SDR)へペッグする為替レート制度を選択した。2008年にドルに通貨ペッグしている国は66カ国あり、ユーロへの通貨ペッグを利用しているのは27カ国である。ドルへのペッグ制度が持続し、基軸通貨国である米国とドルにペッグする国々との間で経常収支不均衡が持続するという意味では「ブレトンウッズII体制」が続いているとも言える。

 マイケル・ドゥーリー・カリフォルニア大学サンタクルーズ校教授らは、アジア諸国は、政府・中央銀行のみならず民間部門も安全資産としての米国債を蓄積し、米国は流入した資本をアジア諸国への直接投資の形で還流するという「米国の経常収支赤字を担保とする国債-株式のトータルリターン・スワップ協定」こそがブレトンウッズII体制の本質だと論じている。その背景にあるのは安全資産の供給国としての米国の役割である。

 ドゥーリー教授らは、アジア諸国は輸出主導型成長戦略を採用することによって、外貨準備としてドルを蓄積したとの見方をとっている。しかし、最近の実証分析では、アジア諸国における外貨準備の蓄積は、主として危機に備える保険としての予備的動機が中心であったようだ。「ブレトンウッズII体制」の問題は、安全資産の供給が米国によってなされて、アジアに質の良い安全資産の市場が存在しないことだ。

 より望ましいのは、アジア諸国が、資本市場を発展させ、安全資産の市場を自ら創出することだ。このためには、通貨決済や債券決済のためのアジア共通のプラットフォームを準備すべきであり、この分野で日本はリーダーシップを発揮すべきだ。

3つの政策イノベーション

 今回の金融危機、政府債務危機を通じて政策面でのイノベーションがいくつか生みだされた。

 その第一は、連邦準備理事会を中心とする先進国の中央銀行の間でのスワップ協定を通じる市場への流動性供給だ。

 第二は、ユーロ危機における欧州金融安定基金(EFSF)または欧州安定メカニズム(ESM)の創設とそれらを通じる公的支援の実施だ。

 第三に、欧州中央銀行(ECB)が、スペインがESMに対して公的支援を要請する場合には、無制限の国債購入を行なうというOMTプログラム(Outright Monetary Transactions)を2012年9月に公表したことだ。このプログラム公表後、それまで高騰していた南欧諸国の国債金利は急速に低下した。

 一定のコンディショナリティを満たすとの前提の下で、このプログラムが発動された場合に、購入する国債の量は無制限であることは約束済みであるが、スペインの国債金利をどこまで引き下げるかという価格面のコミットメントについては不明瞭だ。南欧諸国政府は、ドイツの国債金利とのスプレッドを一定の幅に保つという要請をしている。他方で、何らかの市場の民間金利をベンチマークにするという見方もある。ECBは価格面での約束を明確にしていない。また、スペイン政府が、公的支援の見返りに要請されている財政健全化目標の達成に失敗した場合に、ECBは国債購入をストップできるのかという問題もある。

 OMTプログラムが画期的であるのは、次の点にある。通常、中央銀行は、民間金融機関が流動性不足に陥った場合に資金を提供することにある。ところが、OMTプログラムの対象は、民間の金融機関ではなく、主権国家である。本来、主権国家に対して流動性供給を行なうのは、IMFの役割である。

「国際的な最後の貸し手機能」の必要性

 以上の3つの政策に共通するのは、「国際的な最後の貸し手機能」および「国家債務再構築プログラム」を実行する世界の中央銀行が不在であることから生まれていることだ。

 第一の中央銀行間のスワップ協定は、先進国の中央銀行の協調行動によって、世界の中央銀行が果たすべき「国際的な流動性供給」を代替するものである。

 第二のEFSFやESMは、その機能面から観察すると、質の悪い政府債務を質の良い公的債務に置き換える仕組みであり、その置き換えの過程で質の悪い政府債務のヘアカットが実施されている。公的支援を行なうIMFがSDR建てのIMF債を発行すれば、同様の機能を果たすことが可能だ。

 第三に、IMFが一定の条件を課した上で公的支援を早期に実施していれば、OMTプログラムは必要とされなかったであろう。仮に、ギリシャの財政問題が発覚した時点で、IMFが早期にギリシャを公的監視下におき、公的部門保有の国債をふくめた国家債務処理メカニズムを発動していたら、ユーロ危機はここまで深まることはなかったであろう。

「1+2」の複数準備通貨制度

 リーマン・ショックが発生した後の2009年に、バリー・アイケングリーン・カリフォルニア大学・バークレー校教授は、「ドルのジレンマ」と題するペーパーを公表した。そこでは、金融危機に直面して基軸準備通貨であるドルの支配的な地位が、他の通貨に取って代わられるのではないかとの疑問に答えている。

 アイケングリーン教授は、戦前の時代も基軸準備通貨であるポンドのほかにフランスフランやドイツマルクなど複数の準備通貨が存在し、1920年代には、ドルがポンドと同様に外貨準備として利用されるようになったと指摘している。そして、複数準備通貨制度は、決して本質的に不安定なものであると決め付けることはできないと論じている。

 アイケングリーン教授の見解では、基軸準備通貨としてのドルの支配的な地位は、米国の経済的なパワーの相対的な低下に伴って、緩やかに低下するが、ドルに取って代わる通貨は存在しない。しかし、欧州ではユーロ、アジアでは人民元が地域的な準備通貨の地位を高め、ドルを追い上げてくるというものである。

 また、超国家的な準備通貨であるSDRについては、IMFが「国際的な最後の貸し手」として、世界の中央銀行としての役割を演じるようになるまでは、その役割は限定的なものにとどまるであろうとしている。リーマン・ショック以降の国際通貨体制の先行きに関するアイケングリーン教授の見解は、「1(ドル)+2(ユーロ,人民元)」体制であるとまとめることができよう。

「1+4」の複数準備通貨制度

 これに対してロバート・マンデル・コロンビア大学教授は、2012年11月に開催された中国の対外経済貿易大学でのコンファランスで、将来の国際通貨体制について、ドルが支配的な準備通貨としてとどまることについては、アイケングリーン教授と同様の見解であったが、欧州ではユーロのほかにポンドが、アジアでは人民元のほかに円も準備通貨としての地位を維持すると述べていた。

 SDRについては、人民元がその構成通貨の一つになり、そのシェアが大きく増加すると予測したが、準備通貨として役割が高まるかどうかという点については立ち入った言及はなかった。マンデル教授の国際通貨体制の将来像は、複数準備通貨制度であるが、「1+4体制」であると言える。最近、金中夏・中国人民銀行金融研究所長は、マンデル教授と同様に、将来の国際通貨体制は、「1(ドル)+4(ユーロ、ポンド、人民元、円)体制」になると予測している。

「1+4+1」の複数準備通貨制度への移行

 私は、先進国に共通する政府債務危機の潜在的なリスクと安全資産供給不足と偏在が国際通貨制度を不安定化する主要な要因であると考えている。この状況の下で、2050年の国際通貨体制の将来像を展望すると、IMFは「国際的な最後の貸し手機能」を強化し、SDRを活用して安全資産を市場に提供すべきである。

 まず、第一に、中央銀行間のスワップ協定については、韓国に対してドル流動性の供給が実施されたが、インドネシアに対しては流動性供給が実施されなかった。将来の危機に備えるためには、IMFが必要に応じてSDR建ての資金を主要準備通貨国に供給し、主要準備通貨国の中央銀行が自国の通貨建てに変換して、必要とされる資金を市場に供給することが望ましい。

 第二に、IMFがSDR建てのIMF債を発行し、質の悪い政府債務を質の良い公的債務に置き換えることができれば、世界の投資家の安全資産に対する需要増に応えることが可能になる。2009年に公表されたIMFの政策ポジションペーパーでは、“クアドルプルA(AAAA)”での発行が可能だと指摘している。

 以上の2つのIMFの機能強化によって、IMFは各国の出資額によりその活動が制約される信用組合から世界の中央銀行へとその性格を大きく変化させることになる。さらに、主権国家の債務処理メカニズムに対してIMFが関与を強めることによって、ノンシステムとされる国家債務破綻処理をルールに基く仕組みへと改革することが可能になる。

主要通貨為替レート安定化を目指して

 加えて、変動レート制度の下での主要準備通貨間の実質実効為替レートの変動には、各国の輸出関連産業の生存が脅かされる上限が存在する。同様に、通貨安に伴う交易条件の悪化に原油、食料などの価格高騰が加わる場合には、家計の実質所得の減少と輸入関連産業の収益圧迫による下限が存在する。異例の金融緩和政策には、「近隣窮乏化効果」ならぬ「自国窮乏化効果」が伴うことも考慮すべきだ。

 ファンダメンタルズで決定される均衡レートを中心とし、その上限値、下限値に関する複数のベンチマークを基準として為替レートの安定化を図ることが求められている。

 2007年のIMFサーベイランスに関する新たな決定において、「加盟国は、とりわけ自国通貨の為替レートの破壊的な短期の動きにより特徴付けられる無秩序な状態に対抗する必要がある場合は,為替市場に介入すべきである」とされている。

 しかし、無秩序な状態に関する客観的な指標は存在していない。均衡レートからの乖離のスピードのみならず乖離の大きさについても客観的な指標で議論を深めることが求められる。日本経済研究センターは、「行動から観察される均衡レート(BEER)」や「交易条件に基礎を置く均衡レート」を試算しているが、これは、客観的なベンチマークを提供することを意図したものである。

 為替レート調整に関する透明なルールが形成され、最後の貸し手機能が充実したIMFと準備通貨としてのSDRの役割が増大する国際通貨制度は,もはや「1+4」体制とはいえず、「1(ドル)+4(ユーロ、ポンド、人民元、円)+1(SDR)」の複数準備通貨制度といえる。同時に、安全資産がIMFやアジア諸国により供給されることによって「ブレトンウッズII体制」から脱却することが可能になり、経常収支調整の対称性がより強まることになるであろう。