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岩田一政の万理一空

マクロ再考IIと金融政策

 

2013/04/25

複数の目標と複数の政策手段

 4月の20ヵ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議を前にして、国際通貨基金(IMF)主催の「マクロ再考II」会議がワシントンで開催された。IMFチーフエコノミストであるオリビエ・ブランシャール氏とノーベル経済学賞を受賞したマイケル・スペンス・ニューヨーク大学教授、ジョセフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授らの呼びかけによるものである。

 金融政策のセッションのタイトルは、2年前のマクロ再考会議と同じで「金融政策:複数の目標、複数の政策手段、われわれは何処に位置しているのか?」であった。ジャネット・イエレン米連邦準備理事会(FRB)副議長の司会の下でマーヴィン・キング・イングランド銀行総裁、ビーニ・スマギ・元ECB理事、マイケル・ウッドフォード・コロンビア大学教授のパネル討論があった。なかでもキング総裁のプレゼンテーションは明快であった。キング総裁は、現在の中央銀行が置かれている位置を「政策フロンティア曲線」を用いて説明した。

テイラーの「政策フロンティア曲線」

 かつて、ジョン・テイラー・スタンフォード大学教授は、インフレ率の分散と産出量の分散を縦軸と横軸にとり、金融政策のパフォーマンスをそれぞれの変数の分散最小化目標達成の観点から評価したことがある。優秀な中央銀行であれば、インフレ率と産出量の分散が共に小さいので、原点に近い点を実現できるが、優秀とはいえない中央銀行は、原点から遠い点しか実現できない。英国が事実上インフレ目標政策を導入した1992年以降は、それ以前と比べて英国の金融政策のパフォーマンスは大きく改善した。

 リーマン・ショック以降は、インフレ率の分散は若干の拡大を示したのみであったが、産出量の分散は大きく拡大し、1992年以前とほぼ同じ大きさを示すようになった。このことは、ゼロ金利制約の下で採用された非伝統的な金融政策の発動がインフレ期待を安定化する上で大きな役割を果たしたこと、ならびに、非伝統的な金融政策は産出量の安定化には十分な役割を果たさなかったことを示唆している。

 さらに、リーマン・ショック以降の変化は、インフレと産出量の変化のみならず金融面での安定性維持も中央銀行の主要な課題になったことである。金融安定については、マクロプルーデンス政策で対応すべきで、そのための政策手段も整備する必要がある。

 リーマン・ブラザーズ倒産のような金融面でのショックが存在することを考慮すると、政策フロンティア曲線は、そうでない場合よりも原点から遠ざかることにならざるを得ない。キング総裁は、この原点から遠くなる曲線を「テイラー=ミンスキー政策フロンティア曲線」と呼んでいる。この曲線上の点から、再び原点に近付くためには、マクロプルーデンス政策やミクロプルーデンス政策の政策手段を活用する必要がある。

英国の資産購入プログラムと更なる量的拡大

 私は、バンク・オブ・イングランドが、2009年9月に「大規模な資産購入プログラム」に乗り出した時点で、インフレ期待の安定には役立つだろうが、実体経済への効果は十分でないため、経済は、スタグフレーションに陥るであろうと予測した。アジア開発銀行研究所のセミナーでもそうした発言を行なったことがある。結果は、ほぼ私の予想した通りであった。

 キング総裁は、最近2回の金融政策決定会合において、更なる量的拡大に票を投じている。2月末にキング総裁に会った際に、「インフレ目標は達成されているのに、何故、更なる拡大を進めるのか」と質問したことがある。その答えは、「広義の貨幣供給量が望ましい経済活動を実現するのに見合った伸びであるかどうかを点検して、更なる拡大が必要と判断している」というものであった。

 この答えについて、2つの感想をもった。

貨幣供給量伸び率と名目GDP伸び率の安定化

 一つは、キング総裁が広義の貨幣供給量(M3)を重視しているということである。そのことは過去の議会証言からも伺うことができた。しかし、貨幣供給量を重視する見方は、バンク・オブ・イングランドでは、明らかに少数派である。

 私は、キング総裁から、彼がバンク・オブ・イングランドのチーフエコノミストであった時代にブンデスバンクから多くを学んだと聞いたことがある。ブンデスバンクは、1970年代半ばから、中央銀行貨幣量(=必要準備率の変化を調整したマネタリー・ベースであり、M3の速報値として活用された)の伸び率を中長期的に望ましい物価上昇率と成長率を実現するのに必要な水準に維持するという政策を採用した。

 その成果は、常に意図した通りではなかったとはいえ、ドイツにおける物価安定の維持に貢献し、ECBの「貨幣分析」に取り入れられている。現在でも、ECBは、「実体分析」と「貨幣分析」を両輪とする政策運営を行なっている。

 二つ目の感想は、キング総裁は広義の貨幣供給量の伸び率を重視することを通じて、名目GDPないし名目所得の伸び率を安定化することを意識して金融政策の運営を行なうことを目指しているということである。

 パネリストのメンバーであるウッドフォード教授は、2012年のジャクソンホール会議で、「実効的に下限にある名目金利」をいつ引き上げるのかという基準設定を巡って、従来の持論である「物価水準目標政策」(または「GDPギャップを調整した物価水準」)から「名目GDP水準目標政策」の採用へと大きくその立論を転回させた。

 現在、FRBは、金利引き上げの時期について失業率6.5%、物価上昇率2.5%以下が実現することを政策運営のガイダンスとしている。ウッドフォード教授は、先行きの失業率の水準を基準にするよりも、リーマン・ショックの時点から金利が自由に操作できた場合に実現したであろう「名目GDP水準」を基準にして政策運営のガイダンスにすることを推奨している。

 キング総裁は、ウッドフォード教授と異なり、望ましい名目GDP水準の手前にある広義の貨幣供給量を基準として政策運営を考えていることになる。この意味では、キング総裁は、名目所得の安定化のために貨幣供給量k%ルールを提唱したミルトン・フリードマンに近い立場をとっていることになる。

 最近、英国財務省は、インフレ目標政策のレヴューを行い、物価上昇率のみでなく、失業率など実体面での経済活動を示す指標を政策運営に取り入れることを勧告している。金融危機以降5年目になるのに、英国経済の失業率は高止まり、労働生産性の伸びは大きく低下している。米国においても失業率の低下はバーナンキFRB議長が、イライラする程に緩やかだ。

 英国財務省の勧告は、実体経済の活動状況いかんによってインフレ目標の達成時期やインフレ目標からの乖離について従来よりも寛容な政策運営をすることを勧めているとみることができる。「名目GDP水準目標政策」を支持するマーク・カーニー・カナダ中央銀行総裁をキング総裁の後任に据えたことは、財務省の政策スタンスの変化とも整合的だ。

ブランシャールの締めの言葉と「拡張マッカラム・ルール」

 IMFのマクロ再考II会議の締めのスピーチで、主催者のブランシャール氏は、日本の4月の異次元の金融政策について、最後に一言だけ触れた。彼は、「日本銀行の2年でマネタリーベースを2倍にするという政策が、コミュニケーションの政策手段として成功するかどうか注目している」と述べた。

 ブンデスバンクは中央銀行貨幣量の伸び率を金融政策の中間操作目標変数として採用した。金融政策の直接の操作変数としてマネタリーベースを採用するのは日本銀行が初めてであろう。しかも、残高(ストック)でその目標値を公表するのも初めてだ。

 もちろん、マネタリーベースの望ましい水準を算出する上では、何らかの望ましい名目GDP水準、または伸び率との関連を考慮してのことであろう。

 望ましい名目GDP成長率と現実の名目GDP成長率との乖離を埋めるようにマネタリーベースの伸び率を決定するという政策ルールは、「マッカラム・ルール」と呼ばれている。

 安倍政権の実質成長率2%、名目成長率3%というマクロ目標は、消費者物価2%の物価目標の実現と整合的だ。何故なら、GDPデフレータの変化率と消費者物価の変化率を比べると1%程度、後者が前者を上回っているからだ。

 2年で2%の物価上昇率を実現するために必要なマネタリーベースの伸びは、すでに嶋中雄二氏が計算しておられる。トレンドを除いた名目GDPとマネタリーベースの間の弾力性を0.11と仮定すると、足元の名目GDPの伸び率マイナス1.2%(2013年第1四半期の前年同期比の推定値)と名目GDPの目標伸び率3%の差である4.2%の名目GDPの増加を実現するために必要なマネタリーベースの伸び率は38%となるが、これに名目GDPの目標伸び率3%を加えると41%になる。この政策を2年続けるとすれば、必要とされるマネタリーベース残高は約2倍(1.99倍)になる。

 日本銀行の新執行部が、どのようなモデルに基づいて倍増目標を設定したのか明らかではない。仮にこれに類似した計算を行なったとすれば、2年で2%というインフレ目標政策の背後で、3%の名目GDP伸び率目標政策の設定と「拡張されたマッカラム・ルール」の採用が行われたことになる。

 しかし、ここでの問題は、マネタリーベースと名目GDPの関係がどこまで安定的であるかだ。過去の経験の示すところによれば、両者の間に仮に関係があるにしても、その関連の度合いやラグの大きさについて相当の幅をもって理解することが必要だ。

 ブランシャール氏が、マネタリーベースの倍増によって2%のインフレ目標が実現するかどうかという判断には触れずに、「コミュニケーション政策の手段」として位置付けたことは意味深長だ。

 私は、コミュニケーション政策ということであれば、政策の先行きのガイダンスとして2%のインフレ目標に加え、失業率3.5%以下を加えることが望ましいと考えている。