「偉大な転換」と金融市場の不安定性
2013/06/04
「偉大な転換」(グレート・ローテーション)
株式市場は、世界的な金融緩和政策の実施と2012年末に債券価格が高値に達し、投資家が株式に投資をし始めるのではないかとの期待もあって活況を呈してきた。債券から株式への転換は、「偉大な転換」(グレート・ローテーション)と呼ばれている。
世界のインフレ率は、商品相場の落ち着きもあって、沈静化している。原油価格もイラクの原油生産増やアメリカのシェールオイルの増産もあり低下圧力がかかっている。先進国の超緩和政策が続く一方で、世界的にインフレ率が低下するなかで、インド、韓国、トルコ、タイ、オーストラリアは利下げを実施した。
日本は、債券投資(リスクオフ)から株式投資(リスクオン)への「偉大な転換」の先頭を走ってきた。メキシコ、フィリピン、インドネシア、タイなど新興国の株価も上昇し、香港では不動産価格が08年以来、毎年3割近く上昇している。
「偉大な転換」という言葉は、1980年代後半から07年夏の流動性危機発生に至るまでの経済変動幅の縮小と物価安定が両立した「偉大な安定」を想起させる。
持続的なデフレの下で、「偉大な安定」に与ることのなかった日本も02年から08年はじめにかけて戦後最長のブームを享受し、成長率も平均1.8%を記録した。小泉郵政改革の時期(05年から06年)に株価は、11000円台から18000円台へと上昇した。
しかし、「偉大な安定」期に資産価格バブルが継起的に発生したことを忘れてはならない。米国では、90年代後半のITバブルに始まり、住宅価格バブル、原油価格バブルが発生しては崩壊し、最終的にはクレジット・バブルの崩壊によって金融危機が発生した。
米国のバブルリスクの発生
バブルは、しばしば物価安定と成長期待の下で発生する。米国では、物価連動債で計測される期待インフレ率が安定する下で、連邦準備制度理事会(FRB)が、金融政策の運営上重視しているコア個人消費支出デフレータは、1.1%まで低下しており、ディスインフレの状況にある。
13年に入ってから、スタインFRB理事は、低格付け社債のリスクプレミアムの大幅な圧縮やハイイールド債券の発行額シェアの増加に警告を発してきた。これらの指標の動きは、クレジットバブル発生の兆候を示すものだ。
よく知られているように、株式バブルよりもクレジットバブルの崩壊の方が経済に与える効果は、はるかに大きい。株式市場で発生した損失は一般投資家が広く負担するが、クレジット市場での損失は金融機関のバランスシートを直撃するからだ。
私は、FRBが、春先以降出口論へ傾斜した主な理由は、クレジットバブルのリスクを感じ始めたためだと思う。FRBは、コア個人消費支出デフレータが1.1%まで低下しているのに敢えて目をつぶっているように見える。
国際通貨基金(IMF)が主催した4月中旬の「マクロ再考II」の金融政策セッションの最後に、ビーン・イングランド銀行副総裁が、「過去足かけ5年にわたり、先進国は異例の金融緩和政策を実施してきた。我々は、過去(偉大な安定期)と同じ誤りを犯していないか?」という問いをフロアから投げかけた。私の見るところ、この質問に正面から答えたパネリストはいなかった。
FRBによる大規模資産購入プログラムの量的縮小
FRBが、大規模資産購入プログラムについて、いつ量的削減に向かうかに関して、7月、9月、12月の3つの説がある。従来から量的削減の早期実施を主張していたプロッサー・フィラデルフィア連銀総裁、フィッシャー・ダラス連銀総裁は別としても、最近はウィリアムズ・サンフランシスコ連銀総裁やエバンス・シカゴ連銀総裁も労働市場の改善の進捗ぶりを評価し、大規模な資産購入額の縮小開始の可能性を示唆する発言を行っている。バーナンキFRB議長も、5月の20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議に出席せず、シカゴで行き過ぎたリスクテイク(リーチング・イールド)に対して警告を発するスピーチを行った。
私は、FRBが9月に量的削減プロセスに乗り出す可能性が高まったとみている。5月31日の米株式市場の大幅な株価下落が、消費者信頼感指数の好転など景気指標が改善する中で発生したことに注意すべきだ。
日本の国債金利上昇とボラティリティの拡大
4月4日以降、日本銀行は、劇的ともいえる金融緩和策により、金利のイールドカーブ全体を引き下げることを意図していた。しかし、現実には、イールドカーブ全体が上方シフトする「パラレルシフト」が生じた。国債金利は、一時0.3%をつけた後、0.8%から1%の間で推移している。また、スワップション取引(変動金利債券と固定金利債券とのスワップ行使権利の取引)で観察される(暗黙の)金利ボラティリティは急上昇している。
日本国債の先物市場では、値動きの激しさから、しばしばサーキットブレーカーが発動された。ボラティリティ急上昇に直面して、大手金融機関は、4月中に1割程度国債保有額を減少させた。日本銀行の大規模な国債購入プログラムにおいて、民間金融機関保有の国債がネットで6兆円減少する予定になっていること(=新規国債発行額44兆円と日本銀行によるネットでの国債購入額50兆円との差額)も大手金融機関の国債売却に影響した可能性がある。
市場流動性枯渇説
国債金利の上昇については、日銀の国債買い入れが巨額であるために、市場流動性が枯渇し、ボラティリティ上昇と金利上昇が同時に発生しているとする説とインフレ期待や成長期待の上昇によるものとする説がある。
国債の市場流動性枯渇説が真実であれば、日本銀行は国債買い入れ額を縮小させる必要がある。しかし、市場での取引量が実際に細っているわけではないので、この仮説を支持することは難しい。
インフレ期待・成長期待高まり説
他方で、私は、今回の金利上昇がインフレ期待や成長期待の高まりによるものとは解釈していない。仮に市場参加者の、インフレ期待や成長期待が上向いたことが主な原因であるとすれば、満期が長い国債から金利上昇が始まり、イールドカーブは傾きがより急になるはずであるからだ。
イールドカーブが急になる形での金利上昇は、短期借り・長期運用を目指す金融機関にとって収益を拡大させるメリットがあるが、金利の「パラレルシフト」は、収益を大きく圧迫する。
米国債と日本国債のボラティリティの相違
日本の10年物国債スワップション取引に関するボラティリティは、リーマン・ショック直後よりも大幅に急上昇した。3ヶ月物、6ヶ月物といったスワップション取引のボラティリティの上昇幅は、40から100を超えたが、1年物取引のボラティリティも40から60近くまで上昇した。
米国の10年物国債のスワップションのボラティリティはリーマン・ショック直後と09年半ばに大きく上昇したが、その後は緩やかに低下している。米国の大規模資産購入プログラムは、国債のボラティリティを沈静化させたが、日本の「量的・質的緩和政策(QQE)」は国債のボラティリティを高めるように作用した。
このパラドックスが、日本におけるデフレからインフレ転換へのレジームシフトを示唆するものであるとすれば、イールドカーブの傾きは急になっているはずだ。
日本銀行は、金利上昇をより長期の共通担保オぺレーション導入などで押さえ込むつもりなのか、または、インフレ期待や成長期待の高まりを長期金利が素直に反映することを望んでいるのか明確な姿勢を示していない。長期金利の先行きパスについて、市場とのコミュニケーション政策がうまくいかず、長期金利上昇に対する日本銀行の対応が不確実なために、市場は方向感覚を失っているように見える。
なお、財政破綻リスクプレミアムが発生している場合、特定年限の国債金利が上昇するはずだ。今回、イールドカーブにそうした動きは出ていない。
株式市場のボラティリティ
他方、日本の株式市場では恐怖指数とも呼ばれるボラティリティ指数が一時40を超え、素人が手を出すには危険な荒れた相場になっている。しかし、株式の(オプション取引により計算された暗黙の)ボラティリティは、短期を中心に大きく上昇し、長期のボラティリティの上昇を上回っている。また、通貨のボラティリティ上昇も、緩やかであり、短期のボラティリティが長期のそれを上回っている。これまでのところ、ボラティリティカーブが金利の逆イールドと同じ右肩下がりになっていることは、やがて調整が終了することを示唆している。
VaRショックとの比較
今回の国債金利の上昇は、03年6月から8月にかけてのVaR(バリュー・アット・リスク)ショックを想起させる。
私は、03年3月から日本銀行執行部に加わったが、6月に米国、日本を中心にデフレ懸念、デフレ深化懸念が強まり、FRBも長期にわたる低金利政策にコミットした(「フォワードガイダンス」)。
FRBによる「フォワードガイダンス」は、日本では「時間軸効果」と呼ばれていたが、2003年3月に公表されたウッドフォード=エガートソン論文に影響を受けたものであった。
日本の国債市場は、先行き低金利の継続を予想し、10年物国債金利は、03年6月に一時的に0.4%をつけた。市場は、底値を意識し、先行きの金利上昇によるリスク・エクスポージャーの高まりを回避するために国債を売却した。大手金融機関は、類似したリスク評価手法を採用していたこともあって、売却額が膨らんだ。「VaRショック」と呼ばれる所以である。
他方、ヘッジファンドも、盛んに国債先物市場で売り攻勢をかけていた。当時、「日銀のマジノ・ライン(防衛線)はどこか、1%か?」とヘッジファンドマネジャーから質問を受けたこともある。国債金利は1.6%まで上昇したが、8月に入ってから緩やかに1.2%程度へと低下した。
今回の国債金利上昇とVARショックを比較すると2つの相違がある。
一つ目の相違は、前回が民間金融機関のリスク再評価から発生したのに対して、今回は、日本銀行の金融政策のレジームシフトによりショックが発生したことである。VARショックの経験に鑑みれば、民間金融機関のリスク再評価による調整であれば、やがて終了しよう。金融政策のレジームシフトである場合には、日本銀行のコミュニケーション政策の成否によるところが大きいであろう。
二つ目の相違は、FRBが、大規模資産購入プログラムの量的削減を射程に入れ始めていることだ。FRBによる資産購入減額予想は、米国債金利を1.7%から2.1%程度まで上昇させた。
後者の相違点は、今回の国債金利上昇が、前回を上回る可能性があること、調整がより長引くことを示唆していよう。問題は、国債金利のボラティリティ上昇が、安全資産としての日本国債の価値を低下させていることにある。
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