サックス教授ならびにアイケングリーン教授との対話
2013/08/27
日本経済研究センターは、創立50周年を記念する事業の一つとして海外の卓越した有識者を招聘し、記念講演をお願いしている。
1回目は、6月4日にジェフリー・サックス・コロンビア大学教授(地球研究所所長)をお招きし、澤田康幸・東京大学教授、木下雅之・三井物産代表取締役専務執行役員とともにパネル討論を行った。サックス教授は、地球上の炭酸ガスの濃度が400ppmまで上昇し、世界各地で洪水、日照り、山火事が頻発していることに警鐘を鳴らした。400ppmへの上昇は過去300万年以来、発生したことのない事象だ。
サックス教授とケネディ大統領の演説
講演会当日にサックス教授は、『世界を動かす』という本を刊行した。ケネディ大統領の平和を求める精神の強さと決断力の源を探る著作である。私は、この本を読んで、1963年6月10日、アメリカン大学でのケネディ大統領の演説に深い感銘を受けた。
『人々は平和の達成が望ましいとは思っていても、多くの人はその達成は、非現実的であり、戦争は不可避だと考えている。しかし、この見方を受けいれる必要はない。我々の問題は、人が作ったものだ。だから、人によって解決することが可能だ。そして、人は、その人が望むだけ大きな存在になることができる』とケネディ大統領は論じた。このスピーチには、古代の預言者の言葉のように人々を励ます力がある。
アイケングリーン教授の世界金融システムの将来像
2回目の招聘事業として8月7日にバリー・アイケングリーン・カリフォルニア大学バークレー校教授をお招きし、記念講演とパネル討論を行った。パネリストとして余永定・中国社会科学院シニアフェローと河合正弘・アジア開発銀行研究所長に加わって頂いた。アイケングリーン教授の記念講演の題目は「ドル、ユーロ、人民元―世界金融体制の将来」であった。
日経センターでは、記念事業「2050年の日本経済予測」の一環として国際金融体制安定化のための政策提言を2月に公表した。この長期経済予測と政策提言に対するアイケングリーン教授の反応も知りたく思い、世界経済の短期的な先行きも含めて、アイケングリーン教授と対話を行った。そこから得られた結論は以下の4つであった。
米国経済覇権の維持
まず、第一に、米国経済が、2050年の時点においても世界の経済覇権を維持し、ドルが基軸通貨の地位を維持するとの日経センターの予測については、アイケングリーン教授は、米国の相対的地位の低下はあるものの、ユーロ、人民元についても基軸通貨になるためのハードルは高いとの見方であった。とりわけ、人民元の資本勘定の自由化については急ぎすぎると失敗するとの見方だった。余永定シニアフェローは、中国人民銀行は、2020年に人民元の交換性回復という予定表を公表していると述べていた。河合正弘所長は、資本勘定の自由化を実施すると大量の資本流出が発生するのではないかとの懸念を表明していた。
他方で、アイケングリーン教授は、世界金融市場への安全資産の十分な供給については、アメリカのみでは可能ではないとの見方であった。また、「世界準備銀行」を設立し、その銀行が安全資産を供給するというスティグリッツ教授の提案については、懐疑的であった。
出口戦略と米国の潜在成長率
第二に、連邦準備理事会(FRB)の異例の緩和政策からの出口戦略については、アイケングリーン教授の見方は慎重であった。経済全体として回復の足取りが緩やかなものであり、就業率の改善が進んでいない。失業率の低下は、主として労働参加率の低下によってもたらされていることを強調した。この状況の下で、量的削減を開始すること、また、金利引き上げを急ぐことは、リスクが大きいとの見立てであった。
5月に私が参加した中央銀行セミナーで、来日したローレンス・サマーズ・ハーバード大学教授は、米国経済の将来に対してより強気だ。米国経済は、財政の崖というGDP比率で1.5%のマイナス要因があるにもかかわらず2%成長が見込まれている。サマーズ教授は、マイナス要因が解消すれば、中期的な成長率は、3%から3.5%をみこむことが出来ると胸を張って述べていた。最近のFRBのワーキングペーパーでは、技術進歩の効果を組み入れた新たな物価指数で判断するとIT関連財の価格低下のスピードは余り鈍化しておらず、IT革命はなお成長の源泉であるとの実証研究を行っている。
他方で、労働参加率の低下や生産年齢人口の増加率の停滞が、米国経済の潜在成長率を低下させているとの見方もある。シェールオイル・ガスや3Dプリンターを中心とする製造業の復活があったとしても、IT革命の飛躍的な推進力は終わりつつあり、潜在成長率は、1.75%まで低下しているとする投資銀行の見解もある。ちなみに、ロバート・ゴードン・ノースウェスタン大学教授は、長期的には米国経済はゼロ成長に移行すると予測している。
中国の「中所得のワナ」
第三に、中国経済は、「中所得のワナ」に陥り、「2050年の時点でも一人当たり国民総所得は1.2万ドルにとどまる」との日経センターの長期経済予測について、アイケングリーン教授は、発展途上国は、その発展過程で2回、成長率の下方屈折を経験することが多いとの自らの実証分析結果を紹介した。すでに中国経済は、数年前に10%から7%台への1回目の成長率下方屈折を経験している。2回目の下方屈折の時期については明言しえないものの、数年のうちに3-3.5%程度の成長率下方屈折がありえるというものであった。
仮に2010年代半ばに2回目の下方屈折が生じるとすれば、中国は、「中所得国のワナ」に陥るリスクが高まり、日経センターが描いている長期経済予測の姿に接近することになろう。
中国社会科学院の余永定シニアフェローは、自分は従来から中国経済については、悲観的な見方をしてきたが、現実の中国経済は、堅調な推移を示していると語った。中国の政策当局は、世界銀行と中国国務院発展研究センターが共同で公表した「2030年の中国」でも「中所得のワナ」のリスクについて詳しく論じており、そのリスクをよく理解しているため、回避が可能であろうと述べていた。
(1+2)通貨体制、それとも(1+4+1)通貨体制か?
第四に、アイケングリーン教授は、将来の世界金融体制について、ドル、ユーロと人民元による複数基軸通貨体制を展望している。円やポンドの役割は、経済活動にしめるシェアが小さくなっていくのであまり期待できないということであった。
ちなみに、アイケングリーン教授は、その著書『とてつもない特権』において、日本の円が国際的な準備通貨として生き残れない理由として、輸出産業が為替レート安を常に望むために、円高に耐えることができないからだと述べたことがある。
日経センターは、欧州ではポンド、アジアでは円が地域的な準備通貨として活用され、グローバルなドルの覇権体制をIMF特別引き出し権(SDR)が補完すると予測している。アイケングリーン教授は、(1+2)通貨体制であり、日経センターは、(1+4+1)通貨体制を予測していることになる。余永定シニアフェローもアジアにおいては、人民元と円が地域的な準備通貨として機能するとの見解であった。
国際金融体制の安定化のために、IMFがグローバルな安全資産を提供するという日経センターの提案については、アイケングリーン教授は、個人的にはSDRの活用が望ましいと思っているが、SDRの民間での使用拡大とSDRの活用に伴うキャピタルゲインおよびロスの分担に問題が残っていると指摘していた。ユーロ圏と同じく、新たな通貨の導入とその維持には財政面での援護が必要であることはいうまでもない。
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