資産購入プログラム縮小延期とフォワード・ガイダンス
2013/09/25
規模縮小先送りの3つの理由
米連邦準備理事会(FRB)は、9月の米連邦公開市場委員会(FOMC)において大規模資産購入プログラムにおける月850億ドル購入額の縮小を延期した。延期の理由は、(1)労働市場改善の度合い、(2)金利上昇が実体経済に与える影響、(3)財政政策の行方を見極めたいとのことであった。
バーナンキ議長は、電話会議開催によって10月に縮小を開始することが可能であることを示唆したが、見送りを決定した3つの理由について、近い将来に明らかな改善を認めることは困難であるように見える。今回の購入規模縮小の見送りは、出口に関する不確実性を高めたようだ。
延期の3つの理由のうち、最初の2つは本質的とはいえない。足元で労働市場の改善度合いが弱まったわけではなく、金利についても先行きのさらなる上昇が不可避であることは自明であり、金利上昇の効果を見極めるには時間がかかりすぎるからだ。最も重要であると思われるのは、財政政策の行方だ。シリア内戦への対応や次期FRB議長の選出に見られるオバマ大統領のリーダーシップの揺らぎによって、債務上限引き上げ決定が予想よりも遅れ、フィスカルドラッグが長引くことをFRBは危惧したのではなかろうか。
フォワード・ガイダンスの透明性
フォワード・ガイダンスについても透明性が低下した。バーナンキ議長は、資産購入が終了する時点では、失業率が7%程度になっていると述べてきたが、今回これを棚上げした。
加えて、今回新たに公表された2016年の予測では、失業率は5.4-5.9%になるとして経済は正常化しているにもかかわらず、同年末の政策金利の予測中央値を2%としたことも金利の先行きパスを見えにくくしたように思われる。経済が正常化していれば、過去の政策金利の正常値である4%に戻るはずだと市場は予想しているからだ。2%という予測値は、フェデラルファンド(FF)金利先物市場に織り込まれていた金利水準を下回ったために、市場には「逆ショック」が生まれた。
さらに、バーナンキ議長は、金利引き上げを開始する時点での失業率を6.5%としているが、これをさらに6%へ引き下げる可能性も示唆している。他方で、チャールズ・プロッサー・フィラデルフィア連邦準備銀行総裁は、失業率6.5%は、そこに達したらただちに金利を引き上げるという金利引き上げのトリガー数値であって、単なる閾値ではないと論じている。
FRBが、フォワード・ガイダンスについて、カレンダー上の日付によるガイダンスでなく、失業率によるガイダンスを選択したことは賢明である。この点は、マイケル・ウッドフォード・コロンビア大学教授が、昨年のジャクソンホール国際会議で、不確実性が支配する経済において日付でガイダンスを行うことはリスクが大きく、経済変数にリンクさせるべきだと繰り返し強調した論点だ。
ウッドフォード教授が正しければ、日本銀行は、2014年末まで量的・質的緩和政策を続けるというガイダンスを与えるよりも、2%のインフレ目標を達成するまで大規模な資産購入を続けるとのガイダンスを与えるべきだということになる。
均衡失業率の計測とフォワード・ガイダンス
しかし、現実にフォワード・ガイダンスにおいて失業率を活用する場合にも、困難な点がある。
例えば、均衡失業率(労働の需給が一致していても雇用のミスマッチによって生じる失業率)をいくらと見るかについて論者によって違いがあることだ。フィリップス曲線に関する学界の理論面、実証面での展開は3段階に分けてみることが出来る。
第一世代は、フィリップスによる100年にわたるイギリス、およびソローとサミュエルソンによる米国のインフレ率と失業率の安定した負の関係によって代表される。ところが、1970年代にこの安定した関係は不安定化した。
第二世代のフリードマン、フェルプス、ルーカスらは期待インフレのシフトが重要な役割を演じていること、また、長期的にはインフレ率を加速させない均衡失業率(NAIRU)はインフレ率から独立して決定されると論じた。ルーカスとサージェントは、不安定化したフィリップス曲線を「大規模な計量経済学の失敗」と呼んだ。
第三世代は、キング=ストック=ワトソンによるフィリップス曲線の再発見だ。彼らは、インフレ率と失業率のデータからトレンド部分と高頻度部分を取り除いた結果得られる、景気循環に関連した2つの変数には有意に負の関係が観察されると論じた。現実の経済で不安定化したフィリップス曲線が現れる主な理由は、均衡失業率自体も時間の経過とともに変化するからだ。
彼らの計測によれば、1954年から94年にかけての時期に95%の信頼区間で得られる米国の均衡失業率は4.9%から7.6%に分布している。従って、失業率を用いてインフレ率を予測する場合に、現実の失業率を均衡失業率との差ではなく、失業率の変化を用いることが望ましいと論じた。
金融政策のフォワード・ガイダンスにおいて、失業率6.5%をトリガーとするか、閾値とするか、また、6%を金利引き上げの閾値とするかという問題も、この均衡失業率の想定と関わりをもつことになる。
GDPギャップとGDPギャップの変化
私は、インフレを予測する場合に、GDPギャップの水準よりもGDPギャップの変化をみることが望ましいと論じたことがある。その主な理由は、潜在GDPの成長率よりも潜在GDPの水準の計測誤差の方が大きいというところにあった。キング=ストック=ワトソンが正しければ、失業率についても同様のことが言えるということになる。
2016年末に政策金利が4%でなく、2%であるとするFRBの予測も米国経済の潜在成長率が3-3.5%でなく、1.5-1.75%であれば、より整合性のある予測ということになる。
自己確認型均衡とレジーム・シフト
最後に、サージェントは、キング=ストック=ワトソンが得た結果を「自己確認型均衡」を用いて解釈した。「自己確認型均衡」とは、政策当局は、経済に関するある信念(計量モデル)をもっており、現存するフィリップス曲線の下でインフレ率と失業率の最適な経路問題を解く。他方、民間部門は合理的な期待の下で行動する。政策当局の信念と民間部門の合理的期待が収束する均衡においては、観察されるデータと政策当局が採用する計量モデルによる推計値とは整合性がとれているので「自己確認型均衡」と呼ぶことができる。この均衡は複数存在し、経済のファンダメンタルズとは関係のない「太陽黒点にリンクした均衡」になっている可能性がある。しかも、残念なことに、最適なインフレ率と失業率「ラムゼー解」を達成することは出来ない。「ラムゼー解」は政策当局が民間部門の期待を事前に知った上で行動することにより得られる解だからだ。
より良い均衡にシフトするためには、政策当局に対する信頼が必要だが、その信頼をどのようにすれば勝ち取れるのかモデルから導くことは出来ない。サージェントは、政策当局が最近のデータをより重視するような適応期待型の期待形成を行う場合には、「自己確認型均衡解」から逃れ、レジーム・シフトによって、より良い均衡へ移る可能性が残されていると論じた。その実例の一つが、「ボルカー・ショック」である。
日本経済が、デフレの下での「自己確認型均衡」にあるとすれば、レジーム・シフトによってより良い均衡に移ることが可能なはずだ。しかし、残念ながら、その移行過程にどの程度の時間を要するかは、理論モデルによって予測することはできない。
さらに注意を要するのは、「自己確認型均衡」においても政策当局の政策に関する関数を期待として定式化していることだ。したがって、政策当局は、期待インフレ率を追加的な政策手段として勝手に操作することは出来ないということである。ルーカスは1979年に、経済協力開発機構(OECD)のマクラッケン・レポートによる「加盟国政府はよい期待を醸成するよう努めるべきだ」との勧告を批判した。当該レポートがあたかも期待が追加的な政策手段であるかのように扱っていたからである。
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