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岩田一政の万理一空

インド農業の潜在力と日本

 

2013/11/28

政策研究センターとの共同セミナー

 11月25日に日本経済研究センターはインドの政策研究センター(Center for Policy Research)と共同で現地ニューデリーでセミナーを開催した。セミナーのタイトルは、「南アジアにおける日本の役割とインド農業の潜在成長力」であった。

 11月末には天皇皇后両陛下のインド公式訪問があり、年明けには安倍総理の訪印も見込まれている。多忙を極めている八木毅駐インド大使も、共同セミナーに参加され、両陛下は皇太子御夫妻当時にもご訪問されたことや、インドや南アジアの経済発展にとってグローバル・バリュー・チェーン・ネットワーク形成が重要であることを強調された。

 政策研究センターはインドを代表するシンクタンクの一つである。政治、経済、社会問題に関する幅広い政策提言を活発に行っている。このセンターの研究員のスカニヤ・ナタラジャンさんは、日経アジアスカラシッププログラムで2009年から2010年にかけて日経センターで研究活動を行ったことがあり、今回の共同セミナーでも司会役を務めてくれた。

 ナタラジャンさんを奨学生として推薦したのが、政策研究センターのシニアフェローであるラジブ・クマール氏である。クマール氏は、インドの商工会議所連盟(FICCI)事務局長などを務めたことがあり、インドと日本をつなぐキーパーソンの一人だ。

インドの成長減速

 インドは、1991年の経済危機を自由化と改革によって乗り越えてから、成長率が加速した。そのため、一時は潜在成長率が9%あるとの見方もあったが、ここ2、3年は4-5%の成長率へと減速している。

 かつて経済改革の旗手であったシン首相の下で、期待された改革が、政治の分裂によってはかばかしく進展しないことにその根本原因があるようだ。

 ラグラム・ラジャン・インド準備銀行(中銀)総裁は、就任してから2度金利を引き上げ、為替レートの下落に歯止めをかけた。しかし、国内のインフレ率は、目標を上回る状態が続いている。クマール氏は、金融政策によって物価上昇は阻止しえず、財政政策に主要な責任があると述べていた。非効率な補助金が農業とエネルギーの分野で続く限り、金融政策によるインフレ克服は困難という見立てだ。

 私は、最初の挨拶で、日経センターの「2050年への構想」プロジェクトにおけるインドの将来を紹介した。

 第一に、インドは、2030年代に人口規模で中国を追い抜き、世界第1位の人口大国になること、

 第二に、2040年代には、実質GDPの規模で日本を追い抜き、2050年には世界第3位の経済大国になること、

 第三に、一人当たり国民総所得は、1400ドル程度から6000ドル程度へとおよそ4.3倍になること。

 2050年における世界第3位(インド)と第4位(日本)の大国が世界に果たす役割には大きなものがある。しかも、製造業に比較優位のある日本とITのソフト分野に比較優位のある国の間には補完的な経済関係が構築されやすい。

 マッキンゼー社は2025年までに経済や生活を一変させる破壊的技術を12挙げているが、そのうち10はIT関連である。日本とインドの経済相互依存の高まりは、両国にとってウィン・ウィンの関係にある。

南インドの経済統合

 セミナーのテーマの一つに南アジアの経済統合を取り上げた理由は、インド政府が、南アジアの自由貿易地域の実施に向けて一歩踏み出したことにある。また、クマール氏自身が、現在、南アジアの経済統合を主要な政策課題とすることに力を入れていることも影響したようだ。

 2011年に日本とインドの間で経済連携協定が締結された。残念ながら、アジア太平洋地域との連携強化については、インド政府の優先課題になっていない。東南アジア諸国連合(ASEAN)の政策当局者にもインドの参加を必ずしも歓迎しない空気が漂っている。少し前になるが、2010年に横浜で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)へのインド人の参加者は、自分のみだったとクマール氏は嘆いていた。

 政策研究センターのプラタプ・バーヌ・メータ所長は、近接性に基礎をおく南アジアの経済統合の新たな試みがあるにもかかわらず、「一歩前進二歩後退」の域を脱していないと語っている。

 南アジアは全体として民主主義の枠組みが存在しているものの、パキスタンでは軍事政権が平和主義の進展を阻止しており、インドは政治の分裂に悩んでいる。方言を入れると2000の言語が並存するインド国内の問題でもあるが、民族間の対立から「南アジアとしてのアイデンティティ」が確立されていないことに大きな問題がある。

 私の観察では、インド自身は自覚していないものの、「インドの大国主義」意識が南アジアの経済統合の「躓きの石」になっているように思われる。

インド農業の潜在可能性

 共同セミナーの基調講演は、モンコンブ・スワミナサン氏であった。スワミナサン氏は、1999年にタイム誌から、マハトマ・ガンジー、ラビンドラナート・タゴールとともに「20世紀で最も影響力のあったアジアの20人」に選ばれた著名な学者である。遺伝学が専門で、日本の研究者らとともに、アジアにおける米と小麦の「緑の革命」を先導した。

 インドは、1970年代の「緑の革命」によって食料自給目標を達成することができた。スワミナサン氏の88歳という高齢を感じさせない講演では、1950年代以降の日本とインドの関係を自身の体験を踏まえて振り返った上で、日本との協力の下で、自然災害や気候変動の問題に取り組むことの重要性を説いた。

 インド農業についてのセッションは、中味の充実した討論が行われた。議長役のアショカ・グラティ農業費用価格審議会議長が、インドにとって戦後日本の農業の土地生産性の高さが手本であったと述べた時には、驚きを禁じえなかった。しかし、インドの一戸当たりの耕作面積が、1.2haと日本の1.8haよりも小さいことを知って納得した。加えて、階級問題が、農業の技術発展を阻んでいるように見受けられる。

 インドでは、人口の7割が農村で生活しており、その耕作面積は、米国に次ぐ世界第2位の農業大国だが、潜在力が生かされていない。農業の生産性は、経済全体の成長加速とはむしろ反対に、2000年代には大きく減速した。非効率なばらまき型補助金が、農業部門の改革と活力を奪ったように思われる。

 仮に農業の生産性が高まる場合には、雇用の受け皿が必要になる。ITのソフト分野は、高度人材を必要としているが、低スキルの人材には、製造業の発展が欠かせない。大塚啓二郎・政策研究大学院大学教授(開発経済学)は、バングラデシュやフィリピンでは繊維や電気機械産業で雇用の受け皿があるが、インドにはなく、日本の役割は製造業にあると語っておられた。

 インドの農業におけるインフラ不足に加えて、流通部門には多くの問題がある。日本は製造業のみならず、農業についても輸出指向型の国際競争力ある6次産業の確立を目指している。日本が新たな農業を確立することが出来れば、インド農業の潜在力を生かす上で大きな助けになろう。

 インドでは来年選挙がある。最大野党バラティア・ジャナタ・パーティ(BJP)のリーダーであるナレンドラ・モディ氏が次期首相に選出されると予想されている。

 ところが、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン・ハーバード大学教授は市場志向型の労働・土地改革を目指すモディ氏に対し極めて批判的で、モディ氏が首相になることを望まないと述べた。

 これに対し、ジャグディーシュ・バグワティー・コロンビア大学教授は、成長によって貧困を減らすことは出来ても、再分配のみによって貧困を減らすことは出来ないとセン教授を激しく批判している。

 セン教授は最貧困ビハール州の開発モデルを支持し、モディ氏はグジャラート州で改革推進の成果を挙げた。選挙は「包括的成長」の内容を問う戦いとなろう。