一覧へ戻る
岩田一政の万理一空

量的緩和縮小とイエレン次期FRB議長

 

2013/12/26

金利に関するフォワード・ガイダンスの強化

 12月の米連邦公開市場委員会(FOMC)で量的緩和縮小が決定された。5月22日のバーナンキ議長の緩和縮小発言時とは対照的に、市場は緩和縮小決定を大いに歓迎した。

 私は、4月の段階で9月の緩和縮小を予測したが、財政を巡る議会の議論の不透明性のために実施は延期された。その後、財政問題がもつれることを懸念し、2014年3月緩和縮小を予想していた。

 しかし、2月に、まだ債務上限の引き上げ問題が残っているものの、幸いにも、議会で民主党と共和党の妥協が成立し、政府封鎖のリスクが消滅したので、緩和縮小開始を躊躇する根拠は薄弱になっていた。

 私が注目していたのは、緩和縮小の実施時期よりも、金利引き上げに関するフォワード・ガイダンスであった。市場の一部には、「失業率6.5%以下になることに加えて、コア個人消費デフレーターが1.5%以上になるまで金利引き上げを開始することはない」との声明があるのではないかとの見方もあった。

 また、イエレン次期米連邦準備理事会(FRB)議長が、かつて、「インフレ率2%と整合的な失業率は6%である」と述べたことを重視して、金利引き上げに関する失業率の閾値を6.5%から6%に引き下げるのではないかとの憶測もあった。

 現実には、閾値としての失業率6.5%を維持した上で、「予測されたインフレ率が長期的な目標である2%を下回り続けるようであれば、現在のフェデラル・ファンド・レートを維持することが適当である」と透明性のより高い形で、フォワード・ガイダンスを強化した。

 市場は素直にFRBの真意を読み取った。仮に、130万人が対象になっている緊急失業手当が2014年初めに終了し、連邦準備制度(FED)が予想する2014年末より早く、失業率が6.5%に到達しても、当分金利引き上げはないものと、リスクオン姿勢を強めた。スワップションのボラティリティの低下に象徴されるように、市場の不確実性は明らかに減少した。イールドカーブの変化を見ると、短期は安定する一方で、政策金利引き上げを意識し、3,4年物は上昇した。

緩和縮小の規模と内容

 緩和縮小の規模は、初回は、100億ドルと控えめであった。国債よりも住宅ローン担保証券(MBS)の購入の方が、期限前償還などに与える効果を含めた金利引き下げ効果が大きく、金融市場により大きな影響を与えたとする実証分析もある。私は、MBSよりも、国債購入の縮小を優先させるのではないかと推測していたが、国債とMBSの購入額の縮小は同額であった。

 今回の国債、MBSの同額縮小決定は、住宅部門の回復力にFRBが自信を深めていたことを示唆していよう。また、先行き金利引き上げの過程で、MBSを売却する可能性も高まったのではないかと判断している。

緩和縮小のスピード

 今後の緩和縮小のスピードは、データ次第であろうが、景気拡大に乱れがなく、また、「緩やかな削減」とのFOMCの声明文言に従えば、来年末には緩和縮小が終了しよう。縮小緩和のスピードが速すぎる場合には、インド、インドネシア、南アフリカ、ブラジル、トルコなど新興国からの資金流出を加速させ、為替レートを過度に減価させるリスクがある。FEDは、この新興国の状況にも配慮したといえよう。先行きはともかくとして、これまでのところ、トルコ、ブラジルを除いて新興国の為替レートの目立った減価は生じていない。

金利引き上げのタイミング

 コア個人消費デフレーター上昇率は、11月に前年比1.1%(前月比0.1%)であった。量的緩和縮小を実施しながら、物価上昇率を1.1%から2%まで引き上げて行くことは、決して容易な課題ではない。2016年のFOMC予測でもコア個人消費デフレーターの中心値は2%を下回っている。市場の期待インフレ率も、緩和縮小を素直に反映していくらか低下した。

 FOMCメンバーの政策金利引き上げ予想は、インフレ率2%以下とのFOMCの中心値予想と必ずしも整合的ではない。2015年末までに金利引き上げを予想するメンバーは12名、2016年を予測するメンバーは3名だからだ。

 緊縮の度合いが弱まるとは言え、来年も財政引き締めが継続する。財政緊縮化と金融の緩和縮小を乗り越え、民間活力のみによって潜在成長率を上回る成長を実現することが求められることになる。

 素直に考えれば、物価上昇率が加速するためには、失業率が長期的均衡である自然失業率を下回る必要がある。結果的には、金利引き上げに乗り出すには、失業率が6%を下回るだけでなく、コチャラコタ・ミネアポリス連銀総裁が主張するように、5.5%まで失業率が低下することを待つことになる可能性すらある。イエレン次期FRB議長が、金利引き上げ局面でどのような采配を振るうのか注目される。

イエレン次期FRB議長の質問

 2005年にイエレン次期FRB議長は、コーン副議長(当時)と共に、日本銀行を訪問した。そのとき、私は、GDPギャップの水準ではなく、GDPギャップの縮小幅がデフレ脱却には重要だとする「速度制限論」をもとに、2006年に日本はデフレ脱却が可能になると述べた。

 そのモデルは、ローレンス・マイヤー元FRB理事からヒントを得たもので、出発点は、物価上昇率が、現実の失業率と均衡失業率のギャップ、またはGDPギャップの大きさと期待インフレ率によって決定されるというものであった。そして、期待形成についてフリードマン=ケーガン流の「1950年代の適応期待」(過去のインフレ率の加重平均で、そのウエイトの和は1に等しい)を想定すると、GDPギャップの変化分とGDPギャップの大きさが物価上昇率の加速に影響を与えるという式を導くことが出来る。

 重要なポイントは、GDPギャップの変化分が物価上昇率の加速に与える効果の方が、GDPギャップの水準が与える効果よりも大きいという点にある(拙著「デフレとの闘い」4章付論参照)。

 イエレン氏は、最初の式を見て直ちに、「期待インフレ率にかかる係数を1と想定しているのは何故か」と鋭い質問を発した。

 この質問は、トービン=ソローによる短期、長期のフィリップス曲線についての立論を知っている人が抱く自然な疑問である。現実に期待インフレ率と失業率やGDPギャップを説明変数として物価上昇率に回帰すると、期待インフレ率にかかる係数は1よりも小さくなることが多い。

 トービン=ソローは、短期においては、期待インフレ率と現実のインフレ率は一致せず、長期均衡においてのみ期待インフレと現実のインフレ率が一致するという定式化を行った。このとき、フィリップス曲線は垂直となり、長期の均衡失業率(自然失業率)は、生産性という実物要因によって決定されると論じた。

 この観点からすると、期待インフレ率にかかる係数が1よりも小さいことは、短期には合理的期待が成立しているとは言えないという意味合いを含んでいる。合理的期待論者は、短期においても長期均衡が成立すると考えるけれども、短期均衡と長期均衡は別物だとするところに議論のポイントがある。イエレン氏の質問の真意もそこにあった。

 期待インフレにかかる係数が1より小さい場合については、日本銀行のエコノミスト木村武氏が、かつてこの速度制限論を扱っており、ラグ構造がもっと複雑になるが、定性的には同様の結果が得られることを確認している。イエレン氏に面会する以前に、平野英治・日本銀行国際担当理事(当時)が、木村氏の論文を私に教示してくれていたので、イエレン氏の質問に答えるのは容易だった。

 ついでながら、企業による賃金設定行動が、GDPギャップに影響を受けると想定する場合には、フィリップス曲線における期待インフレ率にかかる係数は1になるとの結果を容易に得ることが出来る。

トービン対サージェント

 サージェントは、期待形成が、現実に観察されるインフレ率のデータと何らかの整合性をもつべきであるとの前提に立って、トービン=ソローに反駁した。フリードマン=ケーガン流の適応期待における過去のインフレ率にかかる係数の和を1と想定すると、適応期待における係数を過大に推計し、観察されたフィリップス曲線の期待インフレにかかる係数を過小に推計するというバイアスをもたらすと論じた。期待インフレにかかる係数が1より小さいことが観察されても、それは合理的期待を否定することにはならないと論じたのである。

 サージェントは、トービン=ソローの長期均衡の定式化が誤りであると論駁した上で、フリードマン=ケーガン流の適応期待を「1990年代の適応期待」(民間部門は昔のことを忘れてゆくという「回帰的最小二乗法」を用いて最善の予測をすると仮定する)に置き換えた上で、フィリップス曲線における合理的期待の復権を図っている。

 いずれにしても、短期、長期均衡の違いについての質問を受けて、やはりイエレン次期FRB議長は、トービンの愛弟子であると改めて実感した。

最適な金融政策運営と金利引き上げ

 2012年の4月と11月にイエレン氏は、金融政策運営のあり方に関するスピーチを行っている。11月には、市場ディーラーの見方、テイラー・ルールに基づく金融政策運営と最適な金融政策運営(具体的にはマイケル・ウッドフォード・コロンビア大学教授の主張する「物価水準目標政策」)を比較して金融政策運営のあり方を論じたスピーチを行った。

 そのスピーチでは、最適な金融政策運営の場合、インフレ率が2%を上回ることを許容することが求められるため、金利引き上げのタイミングは、テイラー・ルールの場合より1年程度遅れ、2016年になる。失業率も2016年に6%を下回るが、その後の金利引き上げのペースは、より速くなると論じた。

 他方で、FRBのスタッフが11月に公表したワーキングペーパー(“The Federal Reserve’s Framework for Monetary Policy–Recent Changes and New Questions”, November 2013)では、人々の経済厚生が最も高くなるインフレ率と失業率の組み合わせは、それぞれ1.5%と6.5%であるとの結果が示されている。緩和縮小プロセスが終了し、金利引き上げの局面で、インフレ率と失業率のどのような組み合わせが選択されるのか注目したい。