第2回アンチ・クライシス会議と成長戦略
2014/06/03
アンチ・クライシス会議のはじまり
5月21-23日にカザフスタンの首都アスタナで開催された第2回アンチ・クライシス会議のパネル討論に招待され、参加した。アンチ・クライシス会議は、もともと金融危機後、国連事務総長の諮問委員会議長のジョセフ・スティグリッツ・コロンビア大学教授を中心に金融危機の再来を予防するためどのような国際金融体制の改革が必要か議論する場が設けられたことが始まりであった。その後、今年70周年を迎えるブレトンウッズ体制の再興会議が事務局となり、アスタナで2回目の会議を開催することになった。この会議は、従ってカザフスタン政府と国連との共催行事であった。
このアンチ・クライシス会議は第7回アスタナ・エコノミック・フォーラム(中央アジアにおけるダボス会議といってもよい会議)と同時並行で開催された。主催者側の発表では、参加したのは113カ国、参加者1.1万人とされている。ただし、日本からのパネリストは私のみであった。
なお、経済学者からは、いずれもノーベル賞受賞者である、紛争と協力問題のゲーム理論家ロバート・オーマン教授、労働経済学の探索費用で業績をあげたクリストファー・ピサリデス教授、マイクロファイナンスのムハマド・ユヌス博士が出席した(オーマン、ピサリデス両教授は経済学賞、ユヌス氏は平和賞)。オーマン教授は、「持続的成長セッション」で温暖化問題のみならず、毎年2000種が消滅している地球における種の減少に注意を喚起していた。
ユヌス氏は、マイクロファイナンスの有効性を雄弁に説いた。「寄付や喜捨は一回限りだが、収益獲得を目標としないマイクロファイナンスは何度でも活用できる」、また、「人はジョブ・シーカーではなく、ジョブ・クリエーターになるべきだ」と説く姿は経済学者というよりも人の生き方のコンセプト転換を主張する預言者のようであった。
指導者ナザルバエフ大統領とエネルギー政策
5月初旬には、アジア開発銀行の総会もアスタナで開催された。1991年以来、ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領の下で、カザフスタンは、中央アジアにおいて、ヨーロッパとアジアをつなぐユーラシア経済同盟を推進するなど、積極的な経済外交を展開している。同大統領は、1997年に首都をアルマトイからアスタナに移転し、新たな市街地の設計は日本の黒川紀章氏に委託した。最終セッションでの大統領スピーチは、大統領の登壇から質問の受け答えも含め、ガス、石油、希少資源など天然資源の豊かな国の「啓蒙的君主」の雰囲気が漂っていた。
カザフスタンの一人当たり国民所得は1.28万ドルと中所得国の上限をやや超えているが、製造業が未発達であり、先行き自立した技術によって、大統領がスピーチで述べた「2050年に先進30カ国の仲間入りする」という戦略目標が達成できるのか明確とはいえない。
興味深かったのは、「持続的成長」のセッションで国連事務総長の顧問を勤めるセルジュ・マーティン氏が、カザフスタンのエネルギー政策について、ロシアとの協力を強めるだけでは不十分で、「グリーン・ボンド」の発行、シリコンバレーとの協力を推進すべきだと強調したことだ。この発言のあと、米国の3人の教授からそれぞれ太陽光と風力とその組み合わせによってエネルギー効率をいかに高めるかについての研究成果の発表があった。驚いたことに、私の両隣の中国人エネルギー関係者とカナダのエネルギー関連のビジネスマンが一斉に3教授のパワーポイントの写真を撮り始めた。
再生エネルギーの先端分野における厳しい競争を目にして、日本は立ち遅れはしないか不安がよぎった。
ユーラシア経済同盟とカザフスタン
私は、これまで国連関係の会議には出席したことがなかったので、英国のブレア元首相、イタリアのプローディ元首相、オーストリア、ポーランドをはじめとする東欧諸国や中近東など多くの国の大統領や首相の経験者が一同に会する最終セッションなどは、国連の会議がどのような雰囲気で行われているのか知る上で興味深いものであった。ウクライナ問題と欧州連合(EU)の対応、EUとユーロの将来などについて首相経験者の意見を直接聞く機会はあまりないので貴重な経験であった。
会議の冒頭に、カザフスタン政府のスルタノフ副首相・財務大臣から、先進国のみならず新興国の経済停滞リスクに対抗して、ユーラシア経済同盟を推進することの意義についてのスピーチがあった。
帰国後、ロシア、カザフスタン、ベラルーシの3国の間で関税同盟を基礎とするユーラシア経済同盟が発足したとの報道があった。本来、ユーラシア経済同盟に参加するはずであったウクライナは途中で同盟から離れ、ロシアとの緊張関係からして、当然のことながら、今回の会議にも同国からの参加者はいなかった。
長期停滞論とバブル・リスク
第一セッションのテーマは、金融危機後の先進国における長期停滞と非伝統的金融政策が経済に与える効果についてであった。
セッションのパネリストは、私のほかにカザフスタンのドサエフ経済・予算担当大臣、グラジエフ・ロシア大統領顧問、アルゼンチンのカバロ・元中央銀行総裁、イタリアのプローディ・元首相であった。
グラジエフ大統領顧問は、インフラ投資の重要性を説き、カバロ元中央銀行総裁は、アルゼンチンの失敗は、「カレンシー・ボード制度」(香港が採用している永続的にドルにペッグする制度で米国に自国の金融政策を委ねることになる)によるドル・ペッグを離脱したことにあると強調していた。
なお、別のセッション「世界経済の将来についての対話」で、国際通貨基金(IMF)・OBのワレン・コーツ氏が、「カレンシー・ボード制度によるSDR(IMFの特別引き出し権)供給」の採用によってブレトンウッズ体制を再興する案を説いていたことが印象的であった。
私からは、日本経済の2050年予測における3つのシナリオを紹介し、過去20年と同じスピードで改革を実施する標準ケースでは成長率はほぼゼロであり、一人当たり実質消費は、公的負担の増加から伸び率がマイナスになるリスクがあると指摘した。
人口減少によって、先行きの一人当たり実質消費の伸び率がマイナスになり、そのマイナス幅が将来の効用を割引く時間選好率を上回ると均衡実質利子率がマイナスになるという認識こそが、クルーグマン教授が1998年に書いた論文「デフレ再来」の出発点であった。何故なら、家計消費の異時点間の均衡条件を示すオイラー方程式が成立するならば、家計の相対的リスク回避度が一定の場合には、一人当たり実質消費増加率は、実質利子率と時間選好率の差に等しくなるからである。
名目金利がゼロ以下にはならないという「ゼロ金利制約」を考慮すると、市場の実質利子率は、インフレ期待が高まらない限り、均衡実質金利(=自然利子率)以下に保つことはできない。そこでクルーグマン教授は、日本銀行は15年間4%のインフレ目標を掲げるべきであると論じたのである。
サマーズ氏の長期停滞論とビル・グロース氏の中立金利
最近は、ローレンス・サマーズ氏が、2013年11月のIMF主催「スタンレー・フィッシャーを祝う会議」で、先進国はゼロ金利制約から逃れられず、均衡短期実質金利がマイナスになるリスクに言及している。クルーグマン教授と同じく、先進国が長期停滞によって均衡実質金利や一人当たり実質消費の伸び率がマイナスに陥るリスクを論じたのである。
より興味深いのは、ピムコの創始者ビル・グロース氏が、サンフランシスコ連銀の出版物に言及しながらテーパリング終了後の金利引き上げ局面において、中立金利が歴史的な4%ではなく、2%以下になる可能性(0.5%から1.5%)があると論じ始めたことである。仮にグロース氏の見方が正しく、かつ期待インフレ率が2%でアンカーされているとすれば、サマーズ氏の指摘するようにマイナスの均衡実質短期金利が実現することになる。
長期金利の満期構造の研究においてゼロ金利制約を明示的に考慮してターム・プレミアムを計測したのは日本銀行の若手エコノミストであるが、サンフランシスコ連銀でもゼロ金利制約を考慮した「潜在価格アプローチ」に基づくペーパーをいくつか公表している。これらのペーパーでは、先行きの長期金利が過去の水準に戻ることはないことが指摘されている。
成長戦略の重要性
一人当たり実質消費増加率を高める上で重要な政策は、金融政策でなく、成長戦略である。貨幣的な不均衡問題を解決した後のアベノミクスの最終的な成否は、成長戦略にかかっている。最近の20カ国・地域(G20)会合において、各国の実質GDPの水準を各種構造改革を通じて2%高める目標を掲げていることは正しい。日本の場合には、一人当たり国民総所得を2050年に倍増させる「成長・改革シナリオ」を実現し、人口減少と先行きの市場規模縮小リスクに対処する大胆な政策展開が求められている。
他方で、金融危機後すでに6年目に入っている。長期間にわたる非伝統的な金融政策は、資産価格を上昇させたが、実体経済への波及は遅れがちであった。英国の住宅部門における不動産価格の上昇や、スイス、ドイツの主要都市における住宅価格上昇も生じている。米国でも企業金融部門でのバブルや株価の過大評価のリスクの指摘もある。金融不均衡発生はグローバルな問題である。成長戦略の強化とならんで、国内外のマクロ・プルーデンス政策の整備が求められている。
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