インフレ目標と円安効果
2014/07/03
アダム・ポーゼン氏との対話
2013年2月末に開催されたあるセミナーで、ピーターソン国際経済研究所のアダム・ポーゼン所長と昼食をともにする機会があった。
ポーゼン氏は、2012年12月に第2次安倍内閣が成立してから、すでに円レートが2割程度円安になっていることに着目し、「輸入物価上昇によってインフレ率はどこまで上昇するだろうか?」と問いを発してきた。私は、通常のマクロ計量モデルのシミュレーションでは、10%の円安は0.2%から0.3%程度の消費者物価上昇を引き起こすことになっている。」と答えた。
さらに、私は2001年に内閣府政策統括官として最初の骨太方針を説明するためワシントンを訪問し、当時大統領経済諮問委員会の委員をしていたシカゴ大学のランドール・クロズナー教授と円安によるデフレ脱却の可能性を議論したことにも触れた。その折に、私から3割円安になれば1%程度のデフレを止めることが可能だと議論したことも紹介した。
ポーゼン氏は、明らかに、この答えに不満であった。「日本のGDPに占める輸入比率は15%だ。2割の円安があれば、3%の物価上昇をもたらすはずだ。」というのである。私は、日本の輸入には、原材料や中間財が多く、途中のプロセスにおける生産性の上昇や代替効果などもあるので消費財の価格上昇につながる部分は限定的だと反論した。
それでも、ポーゼン氏は、1.5%程度は物価を押し上げる効果があるはずだと譲らなかった。
消費者物価上昇目標達成をめぐる日本銀行と市場の見方の違い
消費税引き上げ効果を除くと、2014年4月の生鮮食品を除く消費者物価上昇率(コア消費者物価上昇率)は、1.5%に達した。ポーゼン氏は凱歌をあげたに違いない。
私は、凱歌をあげるのはまだ早いと考えている。その一つの理由は、私が問題としていたのは、あくまで年度ベースでの平均物価上昇率だったからだ。2013年度のコア消費者物価上昇率は0.8%であった。2012年度は、マイナス0.2%であったから、1%物価上昇率が加速したことになる。
第二の理由は、アベノミクスは、円安に加えて、異次元の金融政策と財政拡大政策を採用した。財政拡大策は、マンデル・フレミング・モデルが正しければ、円高圧力を加えるはずだが、異次元の金融政策は、この財政拡大による円高圧力をものともせず、円安傾向を持続させた。拡大的な財政金融政策は、消費税引き上げ前の駆け込み需要とあいまって、GDPギャップを大きく縮小させた。円安を通じた輸入物価上昇以外に、GDPギャップの変化がどの程度物価を上昇させたのかを見極めることは、2%のインフレ目標達成の可能性とそのタイミングを判断する上で極めて重要な論点である。
政府と日本銀行が目標とする2%のインフレ目標が2014-15年度中に達成されるかどうかについて、市場コンセンサスと日本銀行の見方には大きなギャップがある。そのギャップの原因は、円安がどの程度物価を押し上げたのか、また先行き円安加速がどの程度進み、さらに物価をどの程度押し上げるのか、さらに、足元および先行きのGDPギャップの改善速度と賃金上昇の強さに関する評価の違いから生まれている。
輸入物価上昇率の加速とGDPギャップの変化が与えた効果
コア消費者物価は、2012年度から2013年度にかけて1%加速したが、このうち輸入物価上昇率の加速による部分はどの程度であったのであろうか。コア消費者物価上昇率の加速をGDPギャップの変動(1期間ラグ)と輸入物価上昇率の加速で説明する回帰式をみると、前者のGDPギャップ1%の変動は0.4%、後者の輸入物価上昇率の1%加速は0.04%コア消費者物価上昇率を加速させることがわかる(図1、2, 文末【注】参照)
2013年度に輸入物価上昇率は、2012年度の1.7%から13.5%へ加速した。その加速分12%は、0.5%(=12%×0.04)コア消費者物価を押し上げたことになる。1%の消費者物価加速の半分は輸入物価上昇率の変化によるものであった。この結果は、私の予測と整合的だ。
2014年度のコア消費者物価上昇率の予測
では、同じモデルを用いると、2014年度の物価上昇率はいくらになるのであろうか。
まず、1年前のGDPギャップの変化が物価上昇率に影響を与えることを考慮すると、2013年度には、デフレギャップが2.8%から1.3%まで縮小した。1.5%のGDPギャップの変化は0.6%(=1.5%×0.4)コア消費者物価上昇率を押し上げる(表)。
また、輸入物価上昇率については、円安はこれ以上進まず、原油価格も安定して推移すると仮定しよう。この場合、2014年度の輸入物価上昇率の減速分は、2013年度の加速分に等しくなる。従って、この仮定の下では、2014年度のコア消費者物価上昇率は、0.5%(=12%×0.04)押し下げられることになる。両方の効果を合わせると、コア消費者物価上昇率の変化は0.1%である。2013年度のコア消費者物価上昇率は0.8%なので、2014年度は0.9%コア消費者物価が上昇するということになる。この結果は、日本経済研究センターの短期予測(0.8%)にほぼ近い。
この予測が正しいとすれば、7-9月期にコア消費者物価上昇率は、1%を切るはずである。予測が外れるのは、円安がさらに進展する、あるいは原油価格が急騰し、輸入物価上昇率の押し上げ効果が強まる場合である。もちろん、可能性は低いが、足元で大幅なマイナスの伸びになっている実質賃金上昇が中期的な労働生産性の伸びに見合ったものになる場合も、この予測の上振れ要因になるであろう。
物価上昇率はピークをつけたか?
5月の消費税効果を除くコア消費者物価上昇率は、4月の1.5%から1.4%へと鈍化した。食料・エネルギーを除くコアコア消費者物価上昇率が0.8%から0.5%まで低下したことを考慮すると、安倍総理が就任してからの大幅な円安による物価押し上げ効果は、ひとまず一巡したように見える。10月の日本銀行金融政策決定会合における追加緩和や量ならびに金利に関するフォワード・ガイダンスをめぐる議論に注目したい。
【注】 ここでのモデルは、「速度制限論」に基礎をおくものである。この「速度制限論」においては、GDPギャップの変化が物価上昇率の加速をもたらすため、デフレギャップが解消されてインフレギャップにならなくとも物価が上昇することになる。市場参加者は、現実の物価上昇率を観察してから期待形成を行うという「適応期待」(1950年代のフリードマン=ケーガン型適応期待)の仮定をおくと、GDPギャップの水準、輸入物価上昇率、期待インフレ率は、物価上昇率加速に対して2次的な影響しか与えないことを示すことができる(岩田一政『デフレとの闘い』2010年日本経済新聞出版社、4章付論参照)
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