過度の円安と自国窮乏化効果
2014/09/19
「かなりの期間」と金利引き上げ予測表
円安が加速している。米連邦準備制度理事会(FRB)は、9月の公開市場操作委員会(FOMC)で、量的緩和の縮小が予定通り10月に終了すること、および、金利引き上げ過程(出口戦略)の内容についてより踏み込んだ説明を行った。金利引き上げ局面における金利引き上げの速度と最終的な金利水準に市場の注目がシフトしている。
声明文では、金利について「かなりの期間」低位に据え置くという文章が残された反面、ボード・メンバーの金利予測表(ドット)の変化をみると、これまでよりも強気の見通しが示されている。
サンフランシスコ連銀職員のペーパーでは、これまでの市場の金利予測コンセンサスが金利引き上げペースを過小評価していると警告を発していたが、現実にその指摘が裏付けられたようだ。市場は、米国の金利先行き見通しが上方に修正されたことに素直に反応し、円安が加速している。
過度の円安か?
日本経済研究センターは、実質実効為替レートの適正な水準について経済のファンダメンタルズを反映すると考えられる変数によって説明が可能なレート(「経済行動から推定される均衡為替レート(BEER)」)を試算し、このコラムでも何度か紹介してきた(「円高是正はどこまで進むか」2012年12月18日)。私は、この試算をもとに、アベノミクスが提唱された時点で、適正な円レートは1ドル=90-100円のレンジにあると論じてきた。現在もその見解に相違はない。
地政学リスクの高まりにも関わらず、中国をはじめ新興国の景気の鈍化が、原油価格の上昇を抑制しているため、エネルギー価格は高水準で安定している。しかし、円安の加速や地政学リスクの強まりを考慮すると決して安心できる状況ではない。
「近隣窮乏化効果」と「自国窮乏化効果」
円安の加速は、輸入物価の上昇率を加速させ、失速気味にあるコア消費者物価上昇率を高める上ではプラスである。しかし、マイナス効果もある。それは交易条件(国際貿易における輸出物価と輸入物価の比率)の悪化による実質所得の海外流出である。
私は、アベノミクスが提唱された時点から、2%のインフレ目標を実現するための異例の拡大的な金融政策は、過度の円高を解消する上で有効であるが、円安が行き過ぎる場合には、「自国窮乏化効果」リスクがあると論じてきた。
昨年8月の3%の消費税率引き上げに関する官邸での有識者ヒアリングで、8兆円の消費増税と社会保障負担増1.8兆円に加えて、前倒し消費の反動減が5兆円あるので短期的な需要削減効果は無視できないと説明した。消費増税の需要削減効果が予想よりも大きかったことに加えて、円安の加速につれて、交易条件悪化による「自国窮乏化」のリスクが発現しつつあるように見える。
金融政策の拡大が「近隣窮乏化効果」をもたらすという議論は、ブラジルのマンテガ財務大臣が米国の金融政策を批判し、「これは通貨戦争だ」と論じたことでよく知られている。しかし、世界経済が不況の下での金融緩和政策は、世界の実質金利低下により、投資や生産の拡大をもたらすので、むしろ世界経済にプラスだったという見方が、学会では主流になっている。しかし、「自国窮乏化効果」については、まだ人々に広く知れ渡っていない。
私は、「自国窮乏化効果」は、2008年前半の日本経済に顕現したと見ている。この時、為替レートは100円台後半であり、原油価格が7月まで急騰した。コア消費者物価は、一時的に2.4%まで上昇した。その一方で、原油価格バブルが崩壊する7月より半年前の2月に、日本経済は景気後退入りしていた。
交易損失の大きさ
国民経済計算の上では、交易条件の悪化の度合いは、交易損失の変化分で示される(損失の水準は、基準年が変わると変化するので意味がない)。なお、実質国内総生産(GDP)と実質国内総所得(GDI)の水準の差は、交易損失の大きさに等しい。
日本の交易条件は、第一次石油ショック以降、エネルギー価格がトレンドとして上昇傾向を示す中で、長期的に悪化してきた。2000年に入ってから、日本の交易条件が大きく悪化したのは、日本銀行による一回目の量的緩和政策が出口過程にあった2006年度から2008年度にかけての時期である。
2006年度から2008年度にかけて、交易損失の大きさはGDP比率で2.1%であった。日本経済研究センターの予測では、2012年度から2015年度にかけての交易損失の大きさは1.3%である(図1)。
この予測では、年末の円レートが103円程度であることを前提としているが、市場は110円程度の円安を見込んでいる。仮に市場の見方が正しければ、結果的には、前回並みの交易損失の大きさになるリスクがある。
前回に比べて、今回は、消費税率の引き上げに加えて、円安にも関わらず純輸出が伸び悩んでいること、電力料金の上昇傾向が強まっていること、潜在成長率が0.5%程度に低下していることを考慮すると、その交易損失の大きさは決して無視できない。加えて、2008年春のように日本経済が景気後退に陥るリスクすら発生している。
景気後退のリスク
日本における景気後退局面の決定は、実質GDPの成長率ではなく、ヒストリカル・ディフュージョン・インデックス(HDI)で行っている。
このインデックス作成には、期間の長い移動平均の数字が必要とされるので、最終的な景気後退の判断は、1年から1年半程度の遅れがある。しかし、鉱工業生産をはじめとする一致系列に関する先行きの数字について、一定の前提をおいてHDIを試算することは可能だ。簡単な試算結果によれば、2014年2月以降、HDIは50を割り続けており、先行き生産の回復が思わしくない場合には、1年半後に、景気が後退していたのに消費増税を実施したという政策失敗の批判がなされるリスクすら生まれている。
追加金融緩和と早期の成長戦略実現
先行きコア消費物価上昇率が1%を割り込むリスクが高い場合には、日本銀行は追加緩和策をとらざるを得ず、2015年度についても現行の政策を維持せざるを得ないであろう。国際通貨基金(IMF)は、7月の対日審査で、2%のインフレ目標の実現は2017年に持ち越されると論じた。
私は、2%のインフレ目標設定は正しいが、2年程度で実現することは困難であり、少なくとも5年かかかると論じてきた。米国の経済学者アルビン・ハンセンは、1938年に「人口減少と長期停滞」の関係を論じ、米国が長期停滞に陥るリスクに警告を発した。日本において、長期停滞リスクが米国よりも大きいとすれば、人口減少に歯止めをかけ、中長期的に一人当たり実質消費の向上を図る成長戦略を一日も早く実現することが求められている。
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