消費税率2%引き上げ延期と景気楽観論
2014/11/28
景気弾力条項と2%消費税引き上げ延期
2015年10月に予定されていた2%消費税率引き上げは、最終的に延期された。消費税率再引き上げは、年末総選挙の争点の一つになっている。消費税率引き上げ延期の主な原因は、2014年7-9月期の実質成長率が民間予測を大幅に下回るマイナス成長であったことだ。
3党合意に基づく消費税率引き上げには、景気弾力条項が付いており、日本経済が名目3%、実質2%の成長軌道に乗っていると確認されることが消費増税の前提条件とされていた。日本経済は、2014年4-6月期に前期比年率7.3%の急速な落ち込みの後、7-9月期もマイナス1.6%であったので、景気弾力条項発動によって増税を延期することは、決して、3党合意違反ではなく、法に適ったものであった。多くの論者は、消費増税の予定通りの実施を求めていたが、2%を上回る成長率を暗黙の前提としていた。
ミニ景気後退のリスク
筆者は、景気局面の判断について、実質国内総生産(GDP)の成長率よりも景気動向指数の動きに注目してきた。暫定的な計算に基づくヒストリカルDIの一致系列の半分以上が、今年2月にピークをつけていたことを重くみていた。
日本銀行による追加緩和が実施された10月31日にたまたま開催された、東京における景気討論会でも、「日本にはミニ景気後退のリスクがあり、財政面では補正予算の必要性が高く、物価の1%割れリスクもあるので、金融面で追加緩和措置をとることは当然である」と述べた。その意味では、2四半期連続してマイナス成長になったことに格段の意外感はなく、むしろ筆者の景気局面の見方を後押しするものであった。
実際に、日本経済が2月以降ミニ景気後退に陥っていたかどうかの判断は、内閣府経済社会総合研究所長の下で開催される「景気日付に関する研究会」において、1年半後に下されることになる。
企業収益の改善や労働市場の堅調さをみると、景気の現状は「景気腰折れ」とは程遠いとの見方も成り立つ。他方で、実質成長率が2期続けてマイナスになったことは、景気動向指数の一致系列の半分以上の指数がピークをつけた状態が5ヶ月以上継続しているという後退期間の長さ、鉱工業生産の落ち込みの深さ(前回と同じ8%程度の落ち込み)、広がりという3つの視点から見て、ミニ景気後退と判断される可能性が強まったといえる。
慎重な見方:2つの根拠
景気局面の見方について筆者が慎重であった理由は、2つある。一つは、消費税率3%引き上げが経済に与えるマイナス効果をより重視していたことだ。消費増税が経済に与えた効果は、事前に多くのエコノミストが予想していたよりも大きかった。
筆者は、消費増税に際して、日本版「財政の崖」が発生することを危惧していた。消費増税で8兆円、公的年金負担増で1.8兆円、昨年度の補正予算の息切れ分1.5兆円を合わせると、財政面から11兆円の公的負担増と歳出減少が発生する。
これに加えて、増税直前の駆け込み需要の反動が5兆円あり、一時的にせよ経済に16兆円程度の下押し圧力が発生するとの見通しに立って、毎年1%ずつの消費税率引き上げを提案した。2017年4月実施予定の2%引き上げについても、1%ずつ引き上げることが望ましい。
図表1は、動学的一般均衡モデル(DSGE)モデルを用いて、2015年10月に2%消費税率引き上げが実施された場合のシミュレーション結果を示している。
日本経済研究センターでは、昨年8月にも3%消費税率引き上げについて、3%引き上げケースと3年間毎年1%引き上げケースを比較するシミュレーションを行なった。その結果、消費に与える最終的なマイナス効果は、いずれの方法でも変わらないが、途中の消費のパスは大きく異なることを示した。現実の消費の振幅は、モデル分析の結果よりも4~5倍大きかった。
景気局面判断において慎重であったもう一つの理由は、日本経済が1990年代半ば以降、基調として、名目賃金のみならず実質賃金もマイナスを続けていたことだ。
労働生産性は、2000年代に入ってその伸びはやや低下しているが、プラスを持続してきた。労働分配率はいくらか低下したが、大きな変化を示していない。この間の実質賃金低下は、もっぱら、交易条件の悪化による、実質所得の海外流失に求められる。
2013年度の交易損失は、実質GDP比で0.5%と2005~2007年の3%と比べて小幅であるが、潜在成長率や労働生産性の伸びと比べて小さいとは言えない。
大幅な円安は、この交易条件悪化を促進する。従って、筆者は、非伝統的な金融拡大政策は、日本に関する限り、為替切り下げ競争による「近隣窮乏化」を引き起こすというよりも、国内消費を低下させる「自国窮乏化」を引き起こすリスクがあると論じてきた。実質賃金改善の遅れは、消費増税が消費に与えるマイナス効果を強めた(図表2、3)。
7月以降は、原油価格が急落しており、交易条件の悪化は小幅になっている。先行き円安持続と原油価格低下との綱引き状態が続くであろう。
楽観論の誤り:所得制約
7-9月期の実質GDP成長率に関する楽観的な見方が支配的であったのは、何故だろうか?一つの理由は、増税のマイナス効果に関する見方であり、もう一つは財政・金融政策と為替レートに関する理論的な問題である。
多くの実証分析の結果によれば、1997年の消費増税が経済に与えた効果は、決して景気後退を引き起こす程に大きなものではなく、アジア通貨危機、国内の金融危機発生による悪影響の方が大きかったことを示している。
前回との違いが発生した一つの理由は、1990年代半ば以降の経済構造の変化だ。第一の構造変化は、非正規労働者のトレンドとしての増加を背景にした相対的貧困層(可処分所得の中位値の半分以下の所得層:具体的には122万円以下の所得層)の増加だ。経済協力開発機構(OECD)によれば、日本の相対的な貧困率は、OECD加盟国のうち4番目に高い。2014年には16.1%に達している。日本銀行の調査によれば金融資産を持たない家計の比率も3割に達している。
第二の構造変化は、海外生産の拡大定着と国内供給力の減少だ。
1990年代半ば以降、日本の中間層は二極分解した。製造業に就業して中間所得層を形成していた多くの人々が、サービス業で非正規就業するようになり、短期的な所得の制約(流動性制約)を受ける家計の割合が大きく上昇した。
日本の家計は、長期的な恒常所得に基づいてフォワード・ルッキングに行動するよりも、より所得制約を受けるようになった。米国の経済学者ポール・クルーグマン氏は、最近のブログで、「ケインズはゆっくりと勝利しつつある。日本はケインズの縄張りにある」と論じている。
欧州を中心に、財政引き締めを実施しても将来の税負担軽減から、経済には拡大的な効果が発生するとの反ケインジアン政策(「拡大的な窮乏化政策」)が有効だとする見方が台頭していたことも楽観論の背景にあった。
日本の一部には、「消費増税をしても、すべて社会保障に支出されるので財政乗数1が成立するはずであり、景気の足をひっぱることはない」との見方もあった。
アルベルト・アレジーナ・ハーバード大学教授らが主張する「拡大的な窮乏化政策」は、財政引き締めが歳出削減によるものである場合、または、マンデル=フレミング・モデルに従って、財政引き締めが為替レートを減価させる場合には、より説得的となる。
しかし、日本の場合、歳出削減ではなく増税が実施されたのであり、円レートは拡大的な金融政策の効果もあって減価していた。円レートの大幅な減価にも関わらず第二の経済構造の変化によって輸出は伸び悩み、実質賃金の改善は遅れた。
楽観論の誤り:ゼロ金利制約
楽観論が台頭した理論面での別の理由は、マンデル=フレミング・モデルだ。このモデルでは、変動レート制度の下で、資本移動が完全ならば、財政政策が与える効果はゼロになり、金融政策のみが経済活動に大きな影響を与える。このモデルが正しければ、金融政策さえ拡大的であれば、財政政策は引き締めてもその効果は、限定的となるはずだ。ちなみに、黒田日本銀行総裁による大胆な追加緩和は、消費税2%引き上げを前提にしたものであった。
しかし、マンデル=フレミング・モデルが見落としている重大な問題は、金融政策がゼロ金利制約の下にあるということだ。ローレンス・サマーズ氏らが強調するとおり、ゼロ金利制約の下では、財政政策は、再びその有効性を取り戻すことになる。
2013年度は、アベノミクスにとって黄金の年であった。拡大的な財政政策と異次元の金融政策の組み合わせは、ゼロ金利制約の下で最大限の効果を発揮した。成長率は2.2%と成長目標を達成し、インフレ率も2014年4月に1.5%をつけた。
その後、2014年度に、財政政策が逆転した。異次元の金融拡大政策の持続にもかかわらず、消費増税後に、2期連続でマイナス成長になったことは、国内の実体経済に与える効果は、金融政策よりも財政政策の方が大きかったことを示唆している。
楽観論の誤り:長期停滞リスク
楽観論が見落としていた最後の点は、先進国に共通する長期停滞リスクだ。このリスクは、グローバルなディスインフレーションの傾向とも関連している。アルビン・ハンセン氏は、1938年に米国の人口増加率が3分の1に低下することを危惧して、長期停滞論を展開した。とりわけ、日本の場合には、急速な人口減少の下での長期停滞を跳ね返すために、人口減少停止とイノベーションを柱とする強力な成長戦略の実施が求められる。
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