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岩田一政の万理一空

原油価格下落と金融政策

 

2015/02/06

コア消費者物価のマイナス領域への回帰

 2014年10月末に日本銀行が追加緩和政策を実施してから、原油価格急落もあって消費者物価は下落傾向に歯止めがかからない。

 市場では生鮮食品を除く消費者物価(コア消費者物価)の伸び率は再びマイナスとなり、今年5月以降、マイナス1%まで下落するとの見方すら出ている。コア消費者物価の変化率がマイナス領域に突入する場合には、2%の物価目標達成時期が2016年度にはみ出る可能性を認めつつも、「2015年度を中心とする期間に2%実現」を掲げる黒田総裁は、4月または7-9月に再び追加緩和策を採用せざるをえないであろうとの予測も行なわれている。

政府と日本銀行の間の見解の相違

 他方で、政府は、1月の月例経済報告関係閣僚会議で、日本銀行に対して2%の物価安定目標を「できるだけ早期に実現することを期待する」との文言を削除した。同時に、食料とエネルギーを除く消費者物価(コアコア消費者物価)が底堅いこと、GDPデフレーターと単位労働費用の伸びが安定的にプラスになっていることを評価している。従来、政府がデフレ脱却の条件としていたのは、消費者物価の上昇率に加え、GDPデフレーターの上昇率、単位労働費用の上昇率、GDPギャップのすべてがプラスの領域に入ることであった。これらの条件のうち満たされていないのはGDPギャップのみとなった。

 政府は、日本経済が、潜在成長率を1%上回る成長を2-3年持続することによってGDPギャップもプラスの領域に入ることを期待し、日本銀行に対して、追加緩和は必要ないとのメッセージを送っているかのようだ。また、統一地方選挙を4月に控え、更なる追加緩和が円安を加速し、原油価格急落のメリットを損なうことを危惧しているように見える。

原油価格急落に対するIMFの処方箋

 政府と日本銀行の見解の違いは、原油価格急落に対してどのような政策が必要であるかについて異なる政策対応を考えていることに起因しているように思われる。

 国際通貨基金(IMF)チーフ・エコノミストのオリビエ・ブランシャール氏と商品リサーチトップのラバ・アレズキ氏は、「最近の原油価格低迷をめぐる7つの疑問」との小論文を公表している。この小論文によれば、

(1)2019年までの原油価格下落のうち、供給要因は60%と見ているが、さらに低くなる可能性もある。
(2)原油価格は2019年末に73ドルになる。
(3)世界経済への影響は、供給要因60%なら実質GDPを0.7-0.8%引き上げる。
  2009年時点の別の試算では、供給要因25%なら0.5%引き上げるとの結果が得られた。
(4)原油輸入国では、エネルギーを除く消費者物価も総合消費者物価が1%下落する場合には0.2%低下する。
(5)原油輸出国の財政維持可能原油価格は、1バレル当たり70-90ドルである。
(6)金融面では、原油輸出国と原油輸入国における為替レートの変化にともなうリスク再評価と資本移動のシフトには注意が必要である。
(7)政策対応としては、エネルギー補助金の廃止とデフレ回避が重要である。

 以上の7つの答えのうちとりわけ注目されるのは、政策対応のなかで日本とユーロ圏についてはインフレ期待の安定化のために、量的緩和の強化ではなく、フォワード・ガイダンスを強化することが望ましいとしていることである。

昨年10月末の追加緩和の必要性

 日本銀行は2014年10月末、原油価格急落が消費者物価の先行きに与える影響とそれに伴うインフレ期待の低下に着目して追加緩和を実施した。追加緩和によってインフレ期待の低下には一定の歯止めがかけられたように見える。

 筆者が注目していたのは、コア消費者物価が2014年4月の1.5%から9月には1%へと低下して、1%割れが明確になり、コアコア消費者物価も4月の0.8%から9月には0.6%へ低下したことである(前年同月比、消費税率引き上げの影響を除く)。

 換言すると、筆者は、日本が2014年2月以降ミニ景気後退に陥っているリスクがあること、さらに、原油価格の急落がなくとも、日本銀行の消費者物価上昇率2%目標の達成が不可能になるリスクを重視していた。従って、原油価格の急落がなくとも、10月の展望レポートにおいて成長率や物価見通しが下方修正される時期に追加緩和することが最も適切な対応であると考えていた。

さらなる追加緩和の必要性

 仮に、コア消費者物価が今年5月以降にマイナスの伸びとなった場合に、日本銀行はさらなる追加緩和を実施すべきかどうかという問題がある。ブランシャール氏とアレズキ氏は、原油輸入国において、エネルギーを含む消費者物価が1%下落する場合には、エネルギーを除く消費者物価も0.2%下落すると述べている。従って、コア消費者物価のみならずコアコア消費者物価の伸びもマイナスになる可能性も排除できない。

 食料とエネルギーを除くコアコア消費者物価指数を目標変数に切り替える提案について、日本銀行がエネルギー価格に影響を与えることはほとんど不可能なので筆者も賛成するが、事態は余り改善しない。

 仮に、2014年10月末の追加緩和が、日本銀行の主張するように、原油価格下落への対応であったとすれば、コア消費者物価が下落するような事態の下で、市場参加者が、再び追加緩和を期待することが自然であろう。

 ところが、ブランシャール氏とアレズキ氏の見解は、日本とユーロ圏はデフレ・リスクに配慮してフォワード・ガイダンスを強化すべしというものであった。筆者の見方も原油価格下落への対応に関する限り彼らに近い。それは何故か。

インフレ目標政策の核心部分

 答えは、インフレ目標政策の核心部分にある。先行き経済が、デフレ・ギャップの拡大と物価上昇率のインフレ目標からの下方乖離が発生すると予測される場合には、拡大的な金融政策を実施することが求められる。逆の場合には、金融引き締めを実施すればよい。ところが、原油価格下落は、実質GDPを押し上げる一方で物価上昇率を低下させる効果がある。この時、金融政策はどちらの方向で運営すべきなのだろうか?

 これまでのインフレ目標政策の経験によれば、経済の先行きには不確実性が高いので1、2年先、とりわけ1年後の経済の姿がどうなっているかが重要である。

 インフレ目標政策は、中央銀行にとっての損失関数を最小化するように運営すべきであるというところから出発する。損失関数とは、先行きのGDPギャップがゼロから乖離する大きさの2乗とインフレ率の望ましい水準からの乖離の2乗の和であり、中央銀行はその和を最小化するように行動する。中央銀行が損失の最小化を実現している場合には、先行きの2つの目標値からの乖離の間には一定の関係が成立する。

(インフレ率の望ましい水準からの乖離)+定数X(GDPギャップのゼロからの乖離)=0

 ここで定数は、(中央銀行にとってのインフレ率乖離と比較したGDPギャップ乖離の重要度)と(GDPギャップの変化に対するインフレ率の感応度)の比に等しい。以下では簡単化のために、これが1に等しいと仮定することにしよう。

 最適な金融政策運営は、先行き、上の式が常に満たされるよう運営することを意味している。従って、日本銀行が原油価格急落に対して更なる追加緩和を実施すべきかどうかは、原油価格下落によって1年後のGDPギャップがどの程度プラスの方向に変化するのか、また、インフレ率がどの程度低下しているのか、その数量的な大きさの違いを踏まえた上で判断すべきということになる。

 仮に原油価格低下によって実質GDPが0.5%押し上げられる結果、GDPのデフレ・ギャップが0.5%縮小し、インフレ率も0.5%押し下げられるとしよう

 この時、定数は1であるので、原油価格の下落の効果のみを取り出した場合、日本銀行は追加緩和する必要がない。なぜなら上の式はゼロに等しいからである。

 しかし、原油価格下落の効果が一巡する2015年度の経済の姿が、上の式を満たしているかどうかは別の問題である。

 民間予測によれば、2015年度のGDPギャップはなお、マイナス2%程度あり、物価上昇率も0.8%と目標の2%に達していないので、上の式は大幅なマイナスとなり、追加緩和が必要な状態にある。仮に、黒田総裁が繰り返し強調しているように日本銀行が「2015年度を中心とする期間」に目標達成を目指しているとすれば、当然、追加緩和が必要になると、市場は予想するであろう。

 他方で、日本銀行が想定するように2015年度のGDPギャップは平均してゼロに近く、消費者物価上昇率は1.0%であるとしても、上の式はマイナスなので追加緩和が必要だということになる。

 日本銀行の予測では、2016年度に物価上昇率は2.2%となる。仮に2%物価安定目標の実現を2016年度へ先延ばしした場合には、追加緩和は必要ないということになる。

 ところが、民間予測では、2016年度の物価上昇率は1.3%である。民間予測が正しいとすればいずれかの時点で追加緩和を実施することが求められる。

 しかし、追加緩和を実施する場合にその便益とコストの大きさを比較する必要がある。キング・前イングランド銀行総裁が、1月28日に行われた東京グローバル経済フォーラムの基調講演で述べたように、「量的緩和政策も収穫逓減の法則に従う」ことも考慮すべきだ。コストとしては、金融市場の歪みと不均衡の発生、日本銀行のバランスシートき損リスクだ。また、通常のインフレ目標政策の文献は閉鎖経済を前提にしているが、追加緩和によって円安が加速し、原油価格下落のメリットが減少することも勘案すべきだ。

マネタリー・ベースに関するフォワード・ガイダンスの必要性

 原油価格下落に対するブランシャール氏とアレズキ氏の提言は、インフレ期待安定化のためのフォワード・ガイダンス強化だ。日本銀行は追加緩和において政策目標変数であるマネタリー・ベースの水準を2014年末に275兆円としたが、2015年末、2016年末の水準を示していない。日本銀行の予測には、マネタリー・ベースに関するなんらかの前提を置いているはずである。透明性向上およびフォワード・ガイダンス強化の観点から、日本銀行は2015年、2016年のマネタリー・ベース目標値を明示すべきだ。

 日本銀行の量的・質的緩和は、長期金利を押し下げることに効果があった。しかし、長期金利を予想された短期金利(「リスク中立金利」)と期間の長い資産を保有することのリスクに見合った「ターム・プレミアム」に分解すると、「ターム・プレミアム」は大きく低下しているが、「リスク中立金利」はむしろ緩やかに上昇している。「ターム・プレミアム」は、中央銀行の量的拡大策によって影響を受け、各種資産価格に大きな影響を与える。これに対して「リスク中立金利」は、フォワード・ガイダンスによって影響を受け、民間の投資活動に影響を及ぼす。日本銀行は、マネタリー・ベースに関するフォワード・ガイダンスを強化することでリスク中立金利の低下を目指すべきだ(参考: 日経センター金融研究リポート2014-4「質的・量的金融緩和政策、導入からまもなく2年」2014年11月28日発表<会員限定>)。