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岩田一政の万理一空

中所得のワナと高所得のワナ

 

2015/06/10

OECD加盟申請

 5月21、22日にカザフスタンの首都アスタナで開催された8回目の「アスタナ経済フォーラム」に招待された。会議の冒頭に、アンヘル・グリア・経済協力開発機構(OECD)事務総長のビデオによる挨拶があった。グリア事務総長は「カザフスタンのOECD加盟申請を心から歓迎する」と述べた。この挨拶を聞いて、初めてカザフスタンがOECD加盟を申請していることを知った。

 カザフスタンの一人当たり国内総生産(GDP)は1万3000ドル程度(2013年、国際通貨基金データ)で、中所得国の上位レベルに達している。この水準は、マレーシアの1万ドルを上回る。

 日本経済研究センターの2050年世界経済予測によれば、アジアにおいて新たに中所得のワナを抜けられるのは、マレーシアのみである。

カザフスタンについてはデータの不足から日経センターの長期予測の対象からもれていた。しかし、後述するように、その基本的な政策理念が明瞭であり、中央アジアにおいて、マレーシアと同様に中所得のワナを抜け出す可能性が高い国の一つだ。

「カザフ・ロシア」と「シルクロード構想」

 カザフスタンは、旧ソ連邦の一部であり、政治的には「カザフ・ロシア」の伝統を強く引き継いでいる。ヌルスルタン・ナザルバエフ大統領は、旧ソ連崩壊後、25年にわたり独裁的な地位を維持してきた。最近の選挙でも97%という圧倒的支持率の下で再選を果たした。ただ、有力な後継者が見当たらないことに問題がある。隣国のウズベキスタンも同様である。

宗教は主にイスラム教であるが、イスラム国(ISIS)などの勢力は及んでいない。他方で、国内にはロシア人が2割程度居住しており、ウクライナの領土問題は、カザフスタンにも複雑な影を落としているように見受けられた。ウクライナからの参加者も出席していたが、気の毒にも疲れきっているように見えた。

 カザフスタンは、天山山脈をはさみ、中国(新疆)とも国境を接している。首都のアスタナは、もともとコサック兵の砦であったが、中央アジアにおけるシルクロードの重要な中継地でもある。シルクロード構想を掲げる中国にとっても、戦略的に重要な地に位置している。

 前回のフォーラムでは、中国からの参加者が圧倒的に多かったが、今回は、何故か政府関係者の数は少なく、最初のセッションでも林毅夫(Justin Yifu Lin)・元世界銀行上級副総裁・チーフエコノミストが「中国は、中所得のワナに陥ることなく、今後も7%、または、それ以上の高成長を実現する」と声高らかに宣言していたことが目立つ程度であった。

 前回のアスタナ経済フォーラムの直後に、カザフスタンは、ロシア、ベラルーシとともに「ユーラシア経済連合」を発足させた。ロシア経済が困難に陥っている中でも、今回の会議の開催中にキルギスタンが「ユーラシア経済連合」に加盟するというニュースが流れた。カザフスタン周辺国にとっては、中国よりもロシアとのつながりが深いことを改めて実感した。

ロシア・ショックとマクロ政策運営

 今年の会議で話題になったのは、ロシア経済が西側諸国による経済制裁と原油価格急落という2つのショックを受け、経済活動の大幅な低下とルーブルの急落に直面したことである。そのあおりをまともに受けたのが、周辺国だ。カザフスタンも為替レートが大幅に下落したが、同時に、対ルーブルで大幅な通貨切り上げとなり、ロシアからの輸入が急増することになった。

 「ユーラシア経済連合」は、関税撤廃を目指している。他方で、カザフスタン政府は、OECD加盟申請もあってか、マクロ経済政策面では「変動レート制度とインフレ目標政策の組み合わせ」、そして、構造改革面では「世界のベスト・プラクティス(最善の慣行)」を達成しようとしている。そこで、ロシア・ルーブルの急落とロシアからの輸入急増が発生すると、それに対抗する適切な手段を欠くことになる。先進国入りを果たそうとするカザフスタンは、政治、経済、文化面で密接な関連をもつロシアとの経済連合の内部における政策協調のあり方に苦慮しているように見受けられた。

フィナンシャル・センター構想

 アスタナに向けて立つ日に、カザフスタンの国営放送から突然インタビューの要請があった。「ナザルバエフ大統領が、アブダビの先進例にならって、アスタナにフィナンシャル・センターを設立したいと述べている。この構想についてコメントを伺いたい」との依頼であった。日経センターが昨年5月、大和総研、みずほ総合研究所とともに、東京を国際金融センターとして育てるべきと提案(東京金融シティ構想)をしたからであろう。

 インタビューでは、以下のような4点をコメントした。

 第一に、カザフスタンはイスラム金融の国であり、アブダビ、クアラルンプール、ロンドンと並んで中央アジアにイスラム金融のフィナンシャル・センターを設立することは意義のあることである。

 第二に、メガ・リージョナリズムの潮流のなかで、地域的な経済統合は、貿易・投資面だけではなく、金融面での統合を進めることが求められる。フィナンシャル・センターは、金融統合の分野でその推進力になり得る。モスクワも金融センター構想を持っているが、アスタナは、イスラム金融のセンターという形でのすみ分けが可能である。

 第三に、中央アジアにおけるインフラ投資需要は巨額であるが、金融センターは必要な資金の調達を容易にしよう。また、フィナンシャル・センターは、金融スキルをもった人材育成と国内金融市場の発展を促す効果もある。

 第四に、日本政府は、アブダビがフィナンシャル・センターを設立する際に、政府間で協定を結んだ。グローバルな金融センターを目指すのであれば、カザフスタン政府と日本政府の間で協定を締結することが必要になる。

 なお、このインタビューは、会議開催前に放映(注:外部リンク)された。

中所得のワナと高所得のワナ

 会議最後の全体セッションでは、ナザルバエフ大統領自らのスピーチとパネル討論が行なわれた。大統領も加わったパネルでは、ケネス・ロゴフ・ハーバード大学教授が、フィナンシャル・センター構想を賞賛した。とりわけ、法律面でイギリスの法体系を採用することは、金融規制、法制度を変更することを意味するので画期的であると述べていた。金融分野のみならず広く経済、社会の諸制度を変革する要因になるであろうというのである。

 ナザルバエフ大統領は、スピーチの最後に「われわれは、一人当たりGDPが1万3000ドルのレベルでいつまでも停滞しているわけにはいかない」と述べた。この言葉を聞いて、先進国における長期停滞(セキュラー・スタグネーション)も共通の問題であることを実感した。中所得国のみならず高所得国にもワナがある。

「2050年の世界展望」

 筆者は、「2050年の世界展望の分科セッション」のパネリストとして招待された。そのパネル討論では、カザフスタン経済研究所長(カザフスタン第一副首相の代理)、ネイスビッツ夫妻、フィンランドの未来研究所長、マッキンゼー・グローバル研究所長、世界経済フォーラム事務局次長、国連ミレニアムプロジェクト委員会事務局長らがパネリストであった。多くのパネリストは、医療や情報通信など先端技術の将来とそのインパクトについて語った。世界経済フォーラム事務局次長は、グローバル・バリュー・チェーン構築の重要性を語った。

 筆者は、カザフスタンが中所得のワナを回避する上で、「世界のベスト・プラクティス」を実現するために、経済、政治、社会の諸制度を抜本的に改革することの重要性を説いた。

 中国の楼継偉・財政相は、1カ月程前に、ある大学で「中国は50%の確率で中所得のワナに陥るリスクがある」と述べたが、2年前の日経センターの2050年世界予測において、制度改革の遅れから中国は中所得のワナに陥ると予測したことにも触れた。また、戦後日本は、高度成長期に10%近い成長を実現したが、1970年初頭から25年経過後の1990年代半ばには、生産年齢人口の減少もあって、1-2%の成長率に低下したこと、中国の場合も、2012年には生産年齢人口の減少が始まっており、25年後には2%程度の成長率まで低下するリスクがあると報告した。

 この長期停滞問題は、中所得国のみに限られているわけではない。米国や日本の自然利子率がマイナスになっていることに示されるように、先進国にも共通の課題になっていると最後に締めくくった。

 中国の参加者からの強い反論を期待していたが、強い反論はなかった。座長である米国のシンクタンク・発展途上国研究所長であるコーリー氏は「その可能性は低いであろうが、停滞のリスク・シナリオはあり得る」と述べた。

 パネル討論終了後には、メディアから、日本の原子力発電所の稼働状況とカザフスタンにおける最初の原子力発電所開設についての質問を受けた。安全保障上の理由があるのかも知れないと推測したが、原油、水力をはじめ、太陽光、風力の豊富な国でなぜ原発が必要なのか理解しにくいとの感想をもってアスタナを後にした。