一覧へ戻る
岩田一政の万理一空

リカップリングとナラティブ(物語)

 

2018/06/06

メルケル首相と個人情報の価格付け:2018年グローバル・ソリューション会議

 5月27日から29日にかけてドイツのベルリンで開催されたグローバル・ソリューション会議に出席した。20カ国・地域(G20)首脳会議の準備会合としてシンクタンクを中心とした会議(T20)のほかにビジネス界によるB20がある。今回出席して、シビル・ソサイエティ20(C20)もあることがわかった。C20は非政府組織(NGO)で、さしあたり政治の腐敗問題を重点的に扱っているとのことである。

 今回の会議の第一のポイントは、ドイツでトップの政治家3人が顔を揃えたことだ。アンゲラ・メルケル首相、オラフ・ショルツ副首相・財務大臣、ハイコ・マース外務大臣は、いずれもスピーチの後、インタビューに答え、会場からの質問にも答えていた。

 どの政治家も声を揃えて、世界におけるマルチラテラリズム(多国間主義)と国際協調の重要性を説いていた。当然のことながら、これは米トランプ大統領の安全保障政策、貿易政策における「米国第一主義」、ユニラテラリズム(単独行動主義)に対する強固な共同戦線構築の必要性を訴えるものであった。

 興味深かったのは、メルケル首相が、個人情報を含むデータの扱いについて自身の心情を吐露したことである。メルケル首相は、会場のエコノミストに問いかけた。「消費者の情報に関する価格付けは人々にとって理解しづらいものと思われるが、その情報から価値を生み出しているインターネット企業の利益の公正な配分(消費者、企業、国家)は将来の社会にとって中心課題ではないでしょうか?」

 メルケル首相は、居並ぶエコノミストに社会的正義にかなう課税のあり方について解答を求めたのだと思う。安定感のあるスピーチと質疑応答を聞いていて、「メルケル首相健在なり」との思いを深くした。確かに、個人情報の価格付けは、カーボン・プライシングと同様の重い課題だ。

 欧州連合(EU)はすでに、域内でほとんど法人税を支払っていないインターネット企業に対して売上げに対する課税を提案している。しかし、EUの売上げ課税は、課税対象企業が米国企業なので、トランプ政権との経済摩擦をいっそう熾烈なものにするであろう。

個人情報に関する3つのレジーム形成

 個人情報の扱いについてEUは、5月25日に「一般データ保護規制」に乗り出したが、米政府はこれに異議を唱えている。

 世界は、データの扱いについて事実上3つのレジームを形成しつつある。EUの「プライバシー保護」レジーム、中国の「データの自国囲い込み」レジームと米国や環太平洋経済連携協定(TPP)で示された「データの国境を越える自由な取引」レジームだ。

 日本は、米国を除くTPP参加11カ国の新協定「TPP11」を推進し、EUと経済連携協定を結ぶことで第一と第三のレジームの結節点に位置している。米国とEUのレジームを両立させることができるかどうかが日本で試されることになる。日本が成功例になれば、新たなグローバル・レジームが日本で誕生することになるかもしれないと期待している。

リカップリングとナラティブ(物語)

 今回の会議の第二のポイントは、議長のデニス・スノーワー独キール大学世界経済研究所長が巧みに要約していたが、T20のスローガンとして「リカップリング」と「ナラティブの下部機関優位原則」を打ち上げたことだ。

 「リカップリング」とは、「経済的な繁栄」と「社会的な繁栄」を再び結びつけることを意味している。グローバル化が進展する下で、デジタル革命は高い生産性と経済的な繁栄をもたらしているものの、不平等や格差の拡大など社会的に深刻な分裂を引き起こしている。社会各層による相互の働きかけを通じて両者を再び結びつけることをT20の共通の課題にしようというのである。

 「ナラティブの下部機関優位原則」とは、この社会各層の働きかけのあり方を規定する原則である。この原則は、ジョージ・アカロフ米ジョージタウン大教授による「自分は何者なのか、家族、グループ、社会でどのような役割を演じているのか」という「アイデンティティ」と自らが作り出した自分自身についての「思い込み、ナラティブ(物語)」に基づいて人々は行動しているとの認識から出発する。

 このナラティブは、必ずしも経済合理性や特定の倫理から発生するものではない。例を挙げると、トランプ大統領は、不動産会社経営者、交渉人としての強烈な「アイデンティティ」と、選挙公約に代表されるナラティブ(物語)によってモチベーションが与えられ、その行動が世界をかき回している。

 スノーワー所長は、EUの組織原則(もとは中世カトリック教会の組織原則)である下部機関優位原則に見習って、下層の人々のナラティブ(物語)を優先させることによって、リカップリングが実現されると考えているようだ。具体的に「ナラティブの下部機関優位原則」が、経済と社会の同時繁栄を実現する上で有効に機能するかどうかはまったくの未知数だと思うが、今回の会議の成果の一つではなかろうか。

 アカロフ教授のナラティブについては、特別のセッションが設けられ、教授とジャネット・イエレン前米連邦準備理事会(FRB)議長の息子さんのロバート・アカロフ英ウォーウィック大教授とポール・コリアー英オックスフォード大教授がパネリストであった。大学の授業のようにジョージ・アカロフ、ロバート・アカロフ両教授が人間の経済行動についての「アイデンティティとナラティブ」の役割をわかりやすく解説してくれた。

 興味深かったのは、会場から「通常の経済学は個人の効用関数から出発するのに、ナラティブは、心理学や社会学などと同じく人間の社会的な役割から出発するのはなぜか?」との質問に対して、コリアー教授は「これまでの経済学は、社会物理学なのです。しかし、人間はもともと社会的動物だ。われわれは、本当の社会科学としての経済学を研究しているのです」と答えたことである。

イラン制裁は国際法違反

 今回の会議の第三のポイントは、ジェフリー・サックス米コロンビア大教授による夕食時のスピーチであった。サックス教授は、トランプ政権に厳しいことで知られているが、米国のイランの核合意からの単独離脱は、国連決議に違反するものであり、「国際法違反だ」と語気を強めて説いていた。EUはユーロを活用し、米国のイラン制裁には決して加わるべきではないと力説していた。

 後日、カナダで開かれた主要7カ国(G7)財務相・中央銀行総裁会議で、ショルツ独財務相が米国の保護貿易措置に対して「国際法違反だ」と述べたが、サックス教授のスピーチによく呼応していた。

 来年は日本がG20のホスト国である。最後のセッションでは、吉野直行・アジア開発銀行研究所長が日本のシンクタンクを代表して、アジアの人口高齢化、環境税による環境問題の解決、インフラストラクチャーの促進という3つの課題が重要であると述べた。次回の会議の成功を祈らずにはいられない。


※2018年4月以前のバックナンバーはこちら(旧サイト)をご覧ください。