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岩田一政の万理一空

ネット分断と世界デジタル庁

 

2020/10/30

 米政府は、中国IT(情報技術)企業が手掛ける動画投稿アプリ「ティックトック」と対話アプリ「ウィーチャット」の米国内での活動停止を命じた。米国主導の米中デカップリング(分断)政策は、次世代通信規格「5G」、半導体、人工知能(AI)など安全保障に係る技術や部材のみならずインターネットの世界にも波及した。

 デジタル市場は、米グーグルのエリック・シュミット元最高経営責任者(CEO)が指摘したように、「ネット分断」(スプリンターネット)の時代に入った。米連邦地裁は「表現の自由」維持の観点から、活動禁止措置の一時差し止めを命じた。しかし、個人データの中国への流出を恐れる米政府の決意は固い。

 データの国境を越える自由な流通は、経済を効率化し、生産性を向上させる。しかし、個人データの自由な流通とプライバシー保護の間、およびプライバシー保護と国家安全保障確保の間にはトレード・オフが存在する。

 欧州連合(EU)は、一般データ保護規則(GDPR)を制定するなど、プライバシー保護では最も先進的かつ包括的な法的枠組みを備えている。個人データの所有権は個人にあるとした上で、自らのデータを「持ち運ぶ権利」を認めるのみならず、データの「相互運用性」をネットワーク間にまで拡張したルール作りを進める。この「持ち運ぶ権利」は、デジタル市場の独占化、寡占化を防ぐ競争促進措置として機能している。

 米国では国家安全保障上、政府が個人データを取得できる。しかし、欧州司法裁判所は本年7月、欧米間での個人データの自由な流通を保証する「プライバシー・シールド協定」は、GDPRに違反すると判決した。同じ問題は、日本の「ファイブアイズ」(米英を中心とする機密情報共有の枠組み)加盟にも関連するが、巨大テック企業が暗号技術によって、米政府による個人データ取得を不可能とする場合にも発生する。

 個人データを巡る欧米間の溝が深く、合意も困難であれば、世界は企業と個人の契約関係(告知―合意システム)に依存する米国、プライバシー保護を重視するEU、データ中央集権国家の中国、という3つの「デジタル経済圏」に分裂するリスクがある。

 第2次世界大戦は、為替レート切り下げ競争、貿易戦争ならびに英国とドイツを中心とする2つの通貨圏への分裂を背景に進行した。現代は「データ駆動型経済の時代」だ。通貨戦争よりもデータ主権を巡る争いが世界の経済秩序に大きな影響を与える。

 カナダのIT企業家ジム・バルシリー氏は2年前、国際通貨基金(IMF)のラガルド専務理事(当時)に、マネーを中心とするグローバル・ガバナンスではなく、データの使用・管理を行う「データ・グローバル・ガバナンス」を確立し、データの標準化を進めるべきだと説いた。

 日本ではデジタル庁構想が動き出したが、世界レベルではデータの自由な流通と管理を通じて、パンデミックや環境問題などグローバルな課題解決を目指す「世界デジタル庁」の設立が求められる。

(2020/10/23 日本経済新聞朝刊掲載)