石油危機(4) 禍福は糾(あざな)える縄のごとく
2014/03/13
経済を観察していてしみじみと感じるのは、「うまく行っている」と思っている時にこそ、それに続く問題の種がまかれており、「どうなるんだろう」と心配している時にこそ、それに続く成長の芽が生まれつつあるということである。
バブルの遠因をたどる
内閣府の経済社会総合研究所は、2007年以降、100人以上もの経済専門家を動員して「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策研究」という一大プロジェクトを行った(既に終了)。プロジェクトの主査は香西泰氏で、全体の研究会の下に「分析評価分科会」と「歴史資料分科会」という2つの研究会が設けられた。前者の分科会の成果は7巻に及ぶ論文集となって、また後者の成果も4巻の報告書となって刊行されている。なお、こんなことを言うと本を買う人がいなくなってしまうが、これらの刊行物は、全て同研究所のHPからPDF版を(もちろん無料で)ダウンロードすることができる。
さて、後者の「歴史資料分科会(座長は寺西重郎日本大学商学部教授)」の下には、さらに「歴史記述ワーキンググループ」と「オーラルヒストリーワーキンググループ」が設けられ、私は歴史記述ワーキンググループの座長を務めた。要するに、バブル前後の日本経済の歴史をまとめたわけだ。このワーキンググループの成果は、2巻の『日本経済の記録』という報告書(前述の4巻のうちの2巻)となって公表されている。2巻合わせて1300ページにもなる大作である。
「興味のある方は読んでください」と言いたいところだが、なかなかそうも言いにくい。編集・執筆に当たった私が言うのも変だが、読んで面白いものではないからだ。座長の寺西先生が「無味乾燥でも、読んで面白くなくてもいいから、とにかく客観的な記録に徹しましょう」という方針を示し、私も含めて執筆に当たったものは、その方針通り、とにかく正確な記録を残すことを最優先したのだ。
さて、私が座長となった歴史記述のワーキンググループは、バブル経済の叙述をどこから始めるかをまず議論した。80年代に入ってからの経済摩擦、円高などから、内需の刺激が要請され、これがバブルの素地となったことはよく知られているから、80年代初めくらいまで遡ればいいのではないかというのが、当初の私の考えだった。しかし、参加した先生の間から「石油危機にまで遡るべきだ」という意見が出て、結局、我々がまとめた歴史記述は、第1次石油危機から記述を始めることにした。
確かに、70年代において既にバブルの素地は形成されつつあったのであり、それには2次にわたる石油危機が大いに関係しているのである。それは次のようなことだ。
経済白書が指摘した「すぐれた適応力」
2次にわたる石油危機が日本経済を襲った後、当初は、日本経済の先行きを懸念する考えが非常に強かった。しかし、逆に、このショックの洗礼を受けたことによって、日本経済は一段と強い経済となって蘇ったのだ。
第1次石油危機の発生から5年が経った後、私も課長補佐として執筆人の一翼を担った1979年の経済白書のタイトルは、そのものズバリ「優れた適応力と新たな出発」となっている。その結びで、白書は次のように述べている(一部を省略して再構成)。
「日本経済の高度成長を支えていた諸条件は変化し、成長趨勢の鈍化と成長内容の変化を必要とする潜在的条件は既に形成されつつあった。その成長屈折を一挙に顕在化させたのは48年末の石油危機であった。石油危機は、高度成長に慣れていた日本経済にとってはきわめて大きな衝撃であり、これへの適応は容易ならざるものと考えられた。しかし、政府、企業等の経済主体の厳しい努力と市場メカニズムが有効に作用したことによって、石油危機後5年間という長期間を要したものの、一応の適応体制が整ったとみられるようになったのである」
そして白書は、「すぐれた適応力」が発揮された具体的な現われとして、インフレの鎮静化、国際収支改善の動き、民間需要の増大、企業収益の改善とコンフィデンスの回復、設備投資の増大などを指摘し、「大勢としては5~6%成長路線への移行のための調整が終了したといえる」と述べている。
私自身も、この時の経済白書の分析を基に、最初の著書である『日本経済 適応力の探求』(1980年、東洋経済新報社)という本を出している。わき道に逸れるが、私はこの本が出来たとき、「どうせ駄目ではあろうが、一応、日経・経済図書文化賞に応募しておこう」と思い、茅場町の日本経済研究センターの資料室に本を2冊持参した。この時応対してくれたのが今村聖子さんで、彼女はその数年後に、私が主任研究員としてセンターに赴任した時に同じチームで短期予測を支え、更にそのまた約20年後に、私がセンターの研究顧問となった時に秘書として私をサポートしてくれることになる。なお、この本は結局受賞には至らなかったのだが、受賞作品を伝える日経新聞の講評で、当時センター理事長だった金森久雄氏が私の本を「惜しかった作品」として取り上げてくれたため、私の本が最終候補まで残っていたことが分かった。こうして最初の著作が思いがけなく高い評価を受けたことは私にとって大きな自信となった。この自信に支えられて、私はその後、ほぼ2年に1冊のペースで著書を出し続け、それが今日まで続くことになる。
蘇った日本経済
では、石油危機を経て日本経済のどこが変化したのか。日本経済が蘇ったとされるのは次の2点である。
第1は、エネルギー効率が高まったことだ。経済全体で見ると、第1次石油危機後の12年間で、実質GDPは6割も拡大したのだが、原油輸入量は3分の1となった(日本経済新聞社編『昭和の歩み1 日本の経済』1988年、による)。このことは、石油1単位あたりの生産性(実質GDP/石油輸入量)が実に約2.4倍になったことを意味する。
これは3つの動きが合成されることによって生じた。1つは、産業構造の変化である。石油価格の上昇によって、生産価格に占めるエネルギーコスト比率が高い産業が競争力を失ってシェアを低め、逆にエネルギーコストの低い産業がシェアを高めることによって産業全体のエネルギー効率が上昇した。例えば、石油危機によって、電力多消費型の代表であるアルミ精錬は日本からほとんど姿を消した。また、この時を機に知識・技術集約型の機械産業が産業の中枢を占めるようになったのである。
2つ目は、個々の産業におけるエネルギー効率の上昇である。各産業では、省エネルギーの技術が相次いで導入されていった。セメント製造におけるNSPキルンの導入、IC技術を活用した工業用ロボットの導入などが生産過程を大幅に効率化することになった。
そして、3つ目が、省エネ型の製品開発が進んだことだ。ガソリン効率の良い自動車、省エネタイプのエアコン、冷蔵庫などが開発され、企業はそれを競争上の優位性として積極的にアピールしたから、急速に省エネ型の製品類が生活全体に普及して行った。
第2は、経常収支の黒字体質が定着し、外需主導の経済成長が続くようになったことだ。経常収支黒字の対名目GDP比率は、1960年代後半から70年代後半までは、概ね1%以下であったが、80年代前半1.8%、同後半2.8%と高まり、結局この程度の黒字が2010年頃まで続くことになる。また、成長に対する外需の寄与度を見ると、高度成長期(1956~72年)の平均寄与度はマイナス0.2%であったが、その後の73~94年ではプラス0.2%に転じている。しばしば、高度成長期には輸出が伸びたので、輸出主導の成長だったかのように錯覚しがちだが、当時は輸出も大幅に増えたが、輸入もまた同じように増えたので、経常収支の黒字も、成長に対する外需の寄与度もそれほど大きくなかったのである。
形成されたバブルの素地
こうして石油危機への厳しい対応を経て、日本経済は効率的な姿となって蘇ったのだが、この成功がバブルの素地となったのだ。その詳しい内容はいずれ詳しく述べることになるが、ここでその概要だけを記しておくと、経常収支が黒字体質に転じたことは、特に米国を対象とした経済摩擦を激化させた。その中から、摩擦を回避するには、内需を振興して輸入を増やすべきだという考えが生まれ、内需の刺激策が取られることになった。かといって財政に頼るわけにもいかないことから、「民活」の推進が浮上した。それは東京湾横断道路などの巨大プロジェクト、容積率の緩和などによる都市開発需要を増大させ、それが不動産ブームを生んでいく。そして、円の自由化を通じて円安を是正することが対外不均衡の是正に有効だと考えた米国の強い要請もあって(この理屈は相当に怪しいのだが)、金融自由化が急速に進展し、都市銀行は資金の新たな貸出先を求めて、不動産融資、住宅ローンなどの未知の分野に足を踏み入れていくことになる。
こうした経緯を経験した私は、つくづく経済の因果関係は複雑だと考えるようになった。誰が考えても絶体絶命のピンチと思われていた石油危機を克服すると、強い日本経済が現れ、むしろ強すぎることが摩擦を生むほどになった。そしてバブルの絶頂期を迎え、誰もがバラ色の日本経済の行く末を信じていた時、バブル後の絶不調期に突入していくことになる。
経済はまさに「禍福は糾える縄の如し」そのものである。同じようなことはこれまで何度も繰り返されてきているのであり、現代のアベノミクスも同じことなのかもしれないのだ。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。バックナンバー
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