経済摩擦と経常収支不均衡(1) 今に生きる小宮理論
2014/05/21
経常収支黒字の継続とその中で生じた経済摩擦の問題は、1980年代から90年代前半にかけて、長い間日本経済にとっての大問題であり続けた。今、この問題を考える時、私はしみじみと今昔の感に打たれる。
時代が正反対になってしまったからだ。当時問題だったのは、「日本の経常収支黒字が大きすぎる」という問題であった。それが今では、「日本の経常収支の赤字化」が大いに心配されている。しかし実は「問題は全く一緒だ」という気もする。「黒字は問題だ」と騒いでいた時の議論がそっくり反対になって、今度は「赤字は問題だ」という議論に引き継がれているように見えるからだ。
黒字になると「黒字が多いのは問題だ」と言われ、赤字化に向かうと「赤字になるのは問題だ」と言われる。経常収支は「いったい私はどうすればいいんだ」と思っているのではないか。
しかし、「経常収支の黒字や赤字がなぜ問題なのか」という点について、多くの誤解が蔓延しているという点については昔も今も変わらない。
経常収支黒字と経済摩擦という状況が出現したとき、多くの人々は、「経済摩擦は日本の内需拡大や市場開放によって解決すべきだ」「日本が経常収支の黒字を抱え込むことは、国際協調の観点から是正すべきである」と考えた。日本は、経済摩擦を避け、経常収支の黒字を抑制するために一貫して「内需主導の経済」を目指した。それが回りまわってバブルの遠因となったという指摘は多い。
このように考えてくると、(やや強引だが)経済摩擦、経常収支問題を経済の論理でつき詰めて考えておかなかったという失敗が、バブルという大きなコストを払う原因になったとも言える。
小宮隆太郎氏の議論
当時、「経常収支の黒字を抑制して、摩擦を解決する」というごく常識的な議論に敢然と立ち向かったのが小宮隆太郎氏であった。その考えは、94年に発表された『貿易黒字・赤字の経済学 日米摩擦の愚かさ』(東洋経済新報社)という本にまとめられている。
小宮氏はなぜこの本を書いたかということについて、次のように述べている。
「日米の経常収支不均衡をめぐる議論は、経済学的に見て初歩的な間違いに満ち満ちているように思われる。日米経済摩擦に関する議論は『愚かさ』、ナンセンスに満ち満ちている、と私は思う。経済学者としてそれらの間違いやナンセンスを正すことは、私にとって使命であると感じてきた。」(同書4ページ)
同書の結論は、終章で76項目に整理されているのだが、いくつかを紹介すると次のようなものがある(同書290ページ~)。
・「日本の貿易黒字が大きいのは輸入障壁が高いためで、もっと国内市場を開放すれば黒字は減る」という観念は誤りである。
・個々の民間経済主体の財貨・サービス等の収支尻は、それぞれが最善と考える選択の結果であり、それが長期にわたって赤字であっても、基本的に健全なものである。
・経常収支が持続的に大幅な黒字であったり赤字であったりすることは、他国に迷惑を与えることでもなく、それ自体不健全なことでもなく、不利なことでもない。
・米国側には「日米間の2国間貿易はバランスしなければならない」という観念があるが、…このような要求は、バイラテラリズムの偏見、多角的自由貿易の原理の無理解に基づくものであり、一切耳を傾けるべきではない。
・「一国にとって貿易赤字は不利、黒字は有利」、「一国にとって輸入は不利、輸出は有利」という観念は、古典派経済学以前の「重商主義」的観念であり、誤りである。
・日本にとっては、その経常収支黒字の削減をマクロ経済政策の目標とする積極的な経済的理由は乏しい。
経済白書の分析
当時私は、こうした小宮氏の議論に強く共感した。単に共感しただけでなく、官庁エコノミストとして、その考えを広め、世の中の誤りを正そうとした。
私は、93年1月に経済企画庁の内国調査第一課長となり、経済白書を執筆することになった。93年白書の第3章「拡大する経常収支黒字と我が国の課題」はまさに当時の経常収支問題を取り上げたわけだが、その中に次のような文章がある。
まず、2国間バランスについて、次のように書いている。
「現実の国際的な議論の場では、しばしば2国間での貿易収支をバランスさせるべきだとする議論がみられる。しかし、国際分業という観点からみて、地域別の収支の均衡を目指すことは全く意味がない。それぞれの国の比較優位に基づいて国際貿易が行われれば、地域別にみてインバランスが生じるのはむしろ自然である。もし、各国が地域別の収支を均衡化させようとすれば、一種の物々交換が行われるのと同じこととなり、世界経済は縮小均衡に陥ってしまうだろう。」
また、市場の閉鎖性との関係について、次のように書いている。
「今回の経常収支黒字の拡大は、基本的には循環的要因、特殊要因、為替要因といった諸要因で十分説明できる。しかし、経常収支黒字の議論に際しては、『何によって説明できるか』だけではなく、『何によっては説明できないか』ということもまた重要である。この点でしばしばみられるのは、『経常収支黒字拡大の原因は、市場の閉鎖性にある』という議論である。しかし、経常収支の動きを市場の閉鎖性によって説明することは不可能である。」
さらに、次のような文章もある。
「このような貯蓄と投資の推移は、基本的には、各経済主体が経済環境の変化に応じて行動した結果であり、制度的なバイアスがない限り、それ自体として問題だとはいえない。」
このように見ていくと、「政府の白書に、課長個人の考えを書いてもいいのか?」といぶかる人もいるだろうが、それは(ある程度は)可能なのであり、だからこそ当時の内国調査第一課長は官庁エコノミストにとってあこがれのポストだったのだ。
もちろん、政府の文書なのだから原案は各省に配布されて、コメントがあれば修正する。しかし、上記の部分については、私の書いた原案がほぼそのまま残っている。このことは、各省の関係者もまた「論理的にはその通りだ」と考えた可能性が高い。
最近の経常収支赤字化についての私の考え
前述のような小宮氏の考えは、黒字を赤字に置き換えて、符号を逆にすれば、現代においてそのまま成立する。私自身もそのような議論を展開している。
財務省の財務総合研究所は、2012年から13年にかけて「貿易・国際収支の構造的変化と日本経済に関する研究会」を設けて、赤字に向かいつつある貿易・経常収支問題について議論を行った。その成果は、伊藤元重・財務省財務総合政策研究所編著『日本の国際競争力―貿易・国際収支の構造変化がもたらすもの』(2013年、中央経済社)としてまとめられている。
この研究会には私も参加し、最終回でプレゼンテーションを行ったのだが、そのエッセンスは次のようなものであった。
・そもそも経済政策の目標は国民福祉を向上させることであるが、経常収支は経済成長や物価、雇用と異なり、国民福祉の向上につながるものではない。よって、経常収支は政策目標にはなりえず、黒字、赤字といった水準もそれ自体は問題にはならない。
・国民福祉の向上につながるのは、貿易の増大であり、輸出と輸入が両建てで拡大していくことで国際分業が進められ、分業の利益を取り入れて経済が効率化することである。
・経常収支の赤字化が、日本の「稼ぐ力」の衰え、日本経済の成長力の衰え、製造業の競争力の衰え、製造業の空洞化を示しているといった見方があるが、そのような現象を捉えるには、他の指標を見た方が良く、経常収支は、これらの事象を示す指標としては説明力に乏しい。
・経常収支をめぐる議論をみていると、経常収支の黒字はプラス、赤字はマイナスというような価値判断をもって受け止められることが多い。これは「黒字」「赤字」という言い方そのものに価値判断が含まれているからではないか。
このように並べてみると、私の赤字に対する議論が、かつての小宮氏の黒字に対する議論によく似ていることが分かるだろう。私は、この議論をする時に、小宮氏の議論を参照したわけではないのだが、小宮氏の議論は完全に私の血となり、肉となっていたので、自然に似たような考えになったのだ。
このように、小宮氏の議論は現在に至るまで私の中で生き続けている。それだけではなく、小宮氏に対しては、忘れ難い個人的な思い出がある。紙数が尽きたので、この点は次回書くことにしよう。
※2013年8月に終了した「地域から見る日本経済」はこちら(旧サイト)をご覧ください。
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